フロイト、ユングと並び“心理学の三大巨頭”と称されるアルフレッド・アドラー。彼の思想、理論、実践技法は、人間の変化や成長、ストレス軽減やモチベーション向上をもたらすものとして注目を浴びている。本稿では「アドラー心理学」の基本的な思想や価値観、5つの理論、技法、職場に導入するメリットなどを解説する。
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「アドラー心理学」とは?

「アドラー心理学」とは、オーストリアの精神科医、アルフレッド・アドラー(1870~1937)が創始した心理学である。人間を、精神と肉体、意識と無意識、理性と感情など、相反する要素で分割して考えるのではなく、それらの要素が統一された存在として個人を捉えることが特徴で、こうしたことから正式には「個人心理学」と呼ばれるが、日本では通称である「アドラー心理学」の名で広く知られている。

また「アドラー心理学」は「人は誰でも幸福になれる」ことを前提としている。アドラーの後継者たちによって理論や治療などの技法が体系化され、現代では、どうすれば幸せに生きることができるか、心と行動の問題をどう解決するか、といった点でヒントを与えてくれる実践的な心理学として受け入れられている。

●アドラーの思想は、フロイトやユングとどう違うのか

アドラーと同時代に生きた心理学者・精神科医にジークムント・フロイト(1856~1939)がいる。フロイトは人の心の深層=無意識に着目し、無意識が反映された“夢”から人間を分析する『夢判断』で知られる。またフロイトは「過去の経験や無意識の欲求が原因となって、人間の行動が規定される」という『原因論』を提唱。人間心理の理論化と治療方法の体系化を進めることで心理学を大きく発展させたことから、精神分析学の創始者とされている。

そのフロイトと共同研究も行っていたアドラーだったが、「人間の行動にはすべて目的がある」、「無意識と意識は対立しない」という思想を持つようになり決別することになった。

一方、性格の分類(内向型と外向型)、言語の連想によって人の無意識を理解する「連想実験」など、深層心理や心理療法の理論化に取り組んだのが、スイスの精神科医カール・グスタフ・ユング(1875~1961)だ。人類には共通の深層心理・無意識が存在するという「集合的無意識」や、その無意識は各地・各時代の神話や伝説などに「元型」として現れる、と説いたのもユングの特徴である。この“人類共通”という視点に対し、アドラーは「個人の経験などから性格は決まる」としており、その思想や立場は大きく異なるといえるだろう。

●「アドラー心理学」が広まった背景

青年と哲人の対話形式で「アドラー心理学」を解説したのが、岸見一郎(哲学者・心理学者)と古賀史健(ライター・作家)の共著によって2013年に出版された『嫌われる勇気』(ダイアモンド社)である。同書は舞台化・ドラマ化もされるなど大ヒットを記録。翻訳されて世界各国でベストセラーとなった。

またSNSが隆盛となり、承認欲求、些細なことから始まる炎上、あらゆる方面への過剰な配慮、コミュニケーションの難しさなどが問題となっている近年、「すべての悩みは対人関係である」とし、その解決策を提示する「アドラー心理学」への注目度は、ますます高まっていると言える。

「アドラー心理学」が唱える5つの理論

「アドラー心理学」は「人は誰でも幸福になれる」という前提に基づき、幸福になるために必要なものとして、下記5つの理論を提唱している。

●自己決定性

「自分の行動は自分自身で決めることができる」という考えが「自己決定性」である。周囲の環境や先天的な要素など、自分ではどうにもできないことが影響し、人間の行動を左右してしまうことは確かにある。だが、それらをポジティブに捉えるのもネガティブに考えるのも、自分次第。どう対応するのかも各自に委ねられている。自分の人生の主人公は他ならぬ自分自身だと考え、主体性や独自性を保ち、自身の行動は自分で決めるべき、というのが「アドラー心理学」の考え方である。

●目的論

「人間の行動にはすべて目的がある」という考えが「目的論」である。目的達成に向かって人は行動し、さまざまな選択の結果として現在の状況があるというこの理論は、「過去の経験や無意識の欲求によって人間の行動が決まる」とする「原因論」とは対立するものだといえる。目的達成に向けて意思を持って行動するなら、現状や未来、人生や自分自身を変えることも可能である、というのが「アドラー心理学」の考え方である。

●全体論

「精神と肉体、理性と感情、意識と無意識など、矛盾した2つの要素が自分の内面で対立している」と考える人は多い。だが「アドラー心理学」ではこれを否定し、「人間は分割することなどできない。すべての要素がつながった存在」だとし、全体として捉えるべきだという考えを採用している。これが「全体論」である。

●認知論

「人間は物事をありのまま客観的に捉えることなどできず、自分の主観を通して把握する」というのが「認知論」である。たとえ同じ時間・同じ出来事を共有したとしても、その感じ方や受け止め方は人それぞれ。場合によっては思い込み・思い違いを起こすこともある。また自身の解釈次第で物事や体験の価値は変えられる。そうした考えを説く理論だといえる。

●対人関係論

「人の感情や行動には、必ず相手が存在する」というのが「アドラー心理学」の考え方である。自分の感情・行動と相手の感情・行動が互いに影響を及ぼしあいながら対人関係が作られていくのだ。そして「人間のあらゆる悩みは対人関係に集約される」と考え、この悩みを、職場における「仕事の課題」、友人との間にある「交友の課題」、異性との付き合い方にまつわる「愛の課題」という3つの「ライフタスク(人生の課題)」に分類している。各課題・各場面において、どう行動し、相手とどう接しているかを観察して人物を理解する、という考えが「アドラー心理学」の特徴である。

「アドラー心理学」をより詳しく知るためのキーワードと価値観

「アドラー心理学」を深く理解するために、知っておきたいキーワードや価値観を紹介しよう。

●共同体感覚

「アドラー心理学」では、最終的に「共同体感覚」を目指すべきだと唱えている。家族や地域、学校や職場といった集団の中で「自分はその一員である」、「周りとつながっている」という感覚を持ち、理解し合い、共同で生活していく能力が「共同体感覚」である。

支配・依存といった“タテのつながり”ではなく、信頼・協力を基とする“ヨコのつながり”を意識することが重要で、この「共同体感覚」を養うためには、自分をありのままに受け入れる「自己受容」、他人を信頼する、あるいは他者が自分を支えてくれている感覚を持つ「他者信頼」、仲間に対して働きかける「他者貢献」という3つの思想が必要だとされている。

他者に関心を持てず、「共同体感覚」を身につけられないと、疎外感や孤立感が増し、自分本位になっていく。「共同体感覚」によって他者も自分も幸福になることを目指すのが「アドラー心理学」の基本的な思想であり、その実践のために前述した5つの理論や後述する各種の技法が存在するのである。

●勇気づけ

「アドラー心理学」における“勇気”とは、課題を克服し、困難を乗り越える力のことである。自分自身で勇気を育むだけでなく、周囲・他者に対し、自発的な行動や課題へのチャレンジを促すための支援や言葉がけ=「勇気づけ」が「アドラー心理学」では重視されている。

職場においては、ほめたり叱ったり何かを命じたりするのではなく、相手の考え方や行動を受け止め、対等な立場から感謝を伝えることで、課題の克服、目的の達成、悩みの解消を支援する。それが「勇気づけ」である。

●課題の分離

自分にはどうしようもできない他者の課題に介入しようとすると、ストレスが募り、また相手の「自己決定性」を阻害することにもなりかねない。「その人がイライラしているのは、あくまでその人の課題である」と、自分と相手を切り離して考えることは、人間関係のトラブルを避けることにもなる。

コントロールできない相手の感情や思考を抱え込むことなく、それよりも自分自身の課題と向き合い、自分にできることのみに注力する、という考えが「課題の分離」である。

●劣等感の利用

「アドラー心理学」では、自分は他者よりも劣っているという感覚、すなわち「劣等感」について否定せず、むしろ「人間には他者より劣っている部分を補おうとする力が備わっている」、「劣等感を利用して向上する」という考え方を提唱している。

●ライフ・スタイル

「アドラー心理学」における「ライフ・スタイル」は、いわゆる“生活様式”ではなく、人が生きていくうえで持つことになる考え方、価値観、性質、行動の傾向などを指す。

●承認欲求の否定

「アドラー心理学」では承認欲求について、「ほめられたいから行動する」、「ほめられないなら何もしない」、「不適切な行動は罰せられる」という姿勢・価値観であり、誤った行動原則であると批判している。「ほめる」、「罰する」という行為は上下関係が生むものであり、自分と周囲を対等に考える「共同体感覚」を重視する「アドラー心理学」では否定されるべきなのである。

「アドラー心理学」を活用するメリット

人事担当者として気になるのは、ビジネスの現場で「アドラー心理学」を活用するメリットだろう。ここでは、主に従業員の成長という観点から下記6つのポイントをあげておく。

●自責思考や自立心が身につく

「自己決定論」に基づいて行動することで、仕事の成果に責任を感じるようになるはずだ。指示を待つのではなく自発的に動き、失敗を他人のせいにせず、何が悪かったのか冷静に振り返る習慣も身につく。また「共同体感覚」や「勇気づけ」の考えに沿うならば、部下をほめたり叱ったりするのではなく、自発的な行動やスキルアップを促すコミュニケーション、働きかけ、フィードバックなどが上司には求められることになるだろう。

●モチベーションが向上する

上に立つ者が部下を「叱る」、「ほめる」ことで相手をコントロールするのではなく、「共同体感覚」と「勇気づけ」を意識したヨコの関係からのコミュニケーションを図ることで、個人と職場全体のモチベーション維持・向上がもたらされるはずである。

●目標達成に向けてポジティブになる

「自己決定性」の考えが職場に浸透することで、従業員は主体性と独自性を身につけ、「目的論」に従って働くようになる。失敗を他者のせいにせず「何が原因か」、「次はどうすべきか」と考え、いつまでに何をしなければならないか、目標達成に向けて意識的かつポジティブに行動する人材となるだろう。

●問題解決能力が向上する

「課題の分離」を意識し、自分ではコントロールできないことには介入せず、自分の目標達成や仕事に集中することによって、それぞれが抱える課題をそれぞれが解決する可能性が高まるはずである。

●対人関係のストレスが軽減する

「認知論」によって、同じ出来事に対する感じ方は人それぞれ、意見の相違があって当たり前と考えることができる。また自分の課題と相手の課題を分けて考える「課題の分離」を実践することで、他者が抱える問題に介入する必要がなくなる。これらにより人間関係にまつわるストレスは大いに軽減されるはずだ。

●コミュニケーションが活性化する

対等な存在として互いに尊重しあい、上下関係ではなく“ヨコ”の関係であることを重視するのが「共同体感覚」だ。また自発的な行動や課題へのチャレンジを促す「勇気づけ」を「アドラー心理学」では推奨している。こうした意識で人と接するようになれば、健全で円滑、かつ活発なコミュニケーションが実現するだろう。

「アドラー心理学」のデメリット

「アドラー心理学」的な考えと行動を組織に導入するにあたっては、以下のようなデメリットや問題点の存在についても理解しておくべきだろう。

●変化を好まない人には不向き

「自己決定性」、「目的論」、「劣等感を利用した向上」を提唱する「アドラー心理学」では、物事をどう考えるか、どう行動するかは自分次第、自分が変わることで周囲の状況をポジティブに捉えることもできる、と説く。すなわち“変化”を前提にしているわけだ。

こうした思想は「自分を変えたくない」、「現状に満足しているのだから、わざわざ考えを変える必要などない」、「何かを変えた結果、今より悪くなることが怖い」という思考の持ち主にはフィットしないだろう。「変化を強要されている」と、会社に不信感を抱く人が出てくる可能性も否定できない。

●放任主義や無関心と捉えられる恐れがある

「自己決定性」を尊重しすぎるあまり、育成を放棄する上司が現れるかもしれない。またアドバイスや助けが必要な場面で、上司が「それは君の課題だ」と「課題の分離」を前面に押し出せば、部下はどのような感情になるだろうか。こうしたケースでは「私の上司は放任主義だ」と捉えられてしまう恐れがある。「課題の分離」ばかり意識して「共同体感覚」は無視、自分は自分、他人は他人、あの人の失敗は自分に関係ない、といった態度を取れば、他人に無関心だと思われ、人間関係に問題が生じることも考えられる。

「アドラー心理学」では承認欲求を否定しているが、誰かの期待に応えたい、認められたいという思いがモチベーション向上につながるケースもある。そうしたタイプを無視する思想や育成策が悪い結果をもたらす可能性もあるだろう。

「アドラー心理学」の実践例

ここでは職場やビジネスの現場に「アドラー心理学」的な思想や行動をどう取り入れるか考えてみよう。

●「すべては自分次第」という考えが課題解決や成長につながる

人は「希望の部署に配属されなかったので活躍できない」などと、上手く行かないことの原因を他者や環境のせいにしがちだ。また「自分の頑張りを評価してもらえない」と悩む人も多いだろう。だが、いまの環境を「可能性を広げるチャンス」だとポジティブに捉え、「自己決定性」に基づいて自身の考えや行動を見直すことで、活躍や成長を見込めるようになる。「上司や会社の評価は自分自身で決めることはできない」と理解し、まずは自分の課題と向き合うことで成果をあげれば、正当に評価される道も開けるはずである。

●上司の言動には理由がある、または自分にはどうすることもできないと考える

上司からの指示やアドバイスに疑問を感じたとしても、上司は上司なりに「目的論」のもとで言葉を発し、行動していると考えるべきである。上司の目的が、あなたの成長なのか、お客様への配慮なのか、理解することができれば、あなた自身の思考や行動をスムーズに変えることも可能となる。

不機嫌な上司に対して「自分のせいかもしれない」と思い悩む必要はない。他人の機嫌などコントロールできない、上司の感情は上司の問題と「課題の分離」を実践し、まずは自身の課題解決に集中することが肝心である。

●失敗を恐れて委縮・緊張してしまうときの行動

過去の失敗に囚われて「またミスをしてしまうのでは」と委縮し、いつまでも失敗の原因ばかり考えて悔やんでいるようでは、成績は上がらず、成長もできない。また商談が成立するかどうかは取引相手次第、という側面もあることを理解しなければならない。

「次はどうすべきか」と考え、変化を恐れずに行動する。「課題の分離」によって自分のすべきことに注力する。商談成立を目的としてプレゼン資料の作成に取り組む。そうしたことの積み重ねが、失敗の回避や成果につながるはずである。

「アドラー心理学」を学べる書籍

「アドラー心理学」に関する書籍は数多く出版されている。なかでもオススメの3冊を紹介しよう。

●『アドラー心理学入門』

日本におけるアドラー心理学の第一人者である岸見一郎の単著で、1999年に出版された。アドラー心理学の基本的な考え方や実践方法がわかりやすく解説されており、初心者にも理解しやすい内容だ。「どうすれば幸福に生きることができるか」、「どのように生きていけばいいのか」といった根本的な問いに対するアドラー心理学の答えを知ることができる。

●『嫌われる勇気』

岸見一郎と古賀史健の共著で、2013年の出版以来、世界累計部数475万部を超えるベストセラー。「なぜいつまでも自分が変われないか」、「劣等感を克服できないのはなぜか」、「どうして幸せを実感できないのか」といった、多くの人が抱える悩みについて、対話形式で解説している。アドラー心理学の考え方を日常生活に適用する方法が具体的に示されており、実践的な学びを得ることができる。

●『アドラー心理学―人生を変える思考スイッチの切り替え方―(スッキリわかるシリーズ)』

臨床心理士の八巻秀が執筆したこの本は、イラストや漫画、図版を多用して、アドラー心理学を視覚的にわかりやすく解説している。心理学の世界に馴染みのない人でも理解しやすいよう工夫されており、日常生活でよくある悩みに対して、会話形式で答える入門に打ってつけの一冊だ。アドラー心理学の基本概念から実践的なアドバイスまで、幅広く学ぶことができる。

まとめ

「アドラー心理学」は、人が幸福になるための思想であり、方法論であるといえる。物事をポジティブに捉え、自分を変えていく。自分の課題に集中し、自分の行動を自分で決定する。何を目的として行動するか明確化し、目的達成のための準備や作業を進め、知識を蓄え、スキルアップを図る。劣等感を利用して向上する。そうした取り組みの先に幸せが待っていると説くのだ。

「課題の分離」を実践することで問題解決能力が向上し、対人関係のストレスは軽減される。自責思考や自立心が身につき、従業員個々のモチベーションは向上し、目標達成に向けてポジティブかつ主体的に行動できる、いわゆる“自走力のある人材”が増えていくだろう。みんなが「共同体感覚」を養い、周囲への「勇気づけ」を心がけることでチームとしての結束力や課題克服力も強くなるはずだ。「アドラー心理学」の思想、理論、技法を深く理解し、自身や従業員の育成とチームマネジメントに生かしたいものである。

よくある質問

●「アドラー心理学」とは簡単に言うと何?

「アドラー心理学」とは簡単に言うと、人間を精神や肉体などで分割せずに統一された存在として捉え、「誰もが幸福になれる」という前提に基づいた心理学。オーストリアの精神科医アルフレッド・アドラーが創始し、人間の心と行動の問題解決や幸せな生き方を探求するためのヒントを与えてくれる。

●「アドラー心理学」の5つの理論とは?

「アドラー心理学」は「人は誰でも幸福になれる」という前提に基づき、幸福になるために必要なものとして、「自己決定性」、「目的論」、「全体論」、「認知論」、「対人関係論」という5つの理論を提唱している。
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