「鶏口となるも牛後となるなかれ」、という言葉がある。「鶏口」は鶏の口、「牛後」は牛のお尻を表している。これを組織論に置き直せば、鶏のような小さな動物が「小さな組織」、牛のような大きな動物が「大きな組織」として理解することができる。そして、「小さな組織の長(小さな会社の社長や役員)」にはなっても良いが、「大きな組織の凡庸な社員」にはなってはいけない、ということを意味している。
社員が成長できるのは「小さな組織」か「大きな組織」か?

「小さな組織のトップ」で得られるものと、「大きな組織の凡庸な社員」で勘違いするもの

この言葉は、中国の歴史書『史記』の「蘇秦列伝」にある。中国戦国時代に圧倒的な強国であった秦に対抗する心構えを、学者である蘇秦が韓の恵宣王に説いた際の言葉「寧為鶏口、無為牛後」が元になっている。秦に屈して配下になるのではなく、韓という国を独立した状態で維持し、まわりの国々と連携して対抗すべきというのが、この言葉の真意である。韓の恵宣王が蘇秦のアドバイスに従った結果、秦は15年間に渡って侵攻することができず平和が保たれたことから、「鶏口牛後」という言葉は今日まで連綿と受け継がれている。

組織論として考えれば、確かに「小さな組織のトップ」は組織を動かすための様々な体験ができる。小さな組織というのは、社員数も少なく、チームワークで与えられた仕事をこなすよりも、自分で判断して動くことが求められることが多い。「どうすれば組織を盛り上げていけるか」、「どのような方針で組織を動かしていけば、オンリーワンの組織として成長していけるか」を常に考えていかなければならないからである。

従って、「鶏口」として小さな組織で経営者や役員として関りを持つと、経営のセンスが身に付き、何よりも社内政治のしがらみや大組織同士のドロドロした付き合いも希薄である。それより、自分の力が試され、荒波にもまれることで自分の実力が着々と身についていく。給料のためだけではなく自身を磨くための仕事ができるのである。それが、小さな組織の経営者や役員などの重要なポジションで働くことの大きなメリットとなる。

一方「牛後」、つまり「大きな組織の凡庸な社員」として働くというのはどうだろうか? 凡庸かどうかは別として、大きな組織で働くことも気の持ちようで悪くはない。ただし、よほど心してかからないと大きな組織で働くことにはマイナスの効果が働くこともある。

その一つは、組織の看板を背負って仕事しているに過ぎない自分を、自分の実力であるが如く錯覚してしまうことである。それがプライドとなり、小さな組織で働く人を見下したり、横柄な態度を取ってしまいがちになることだ。単なる大組織の平社員であるにもかかわらず。結局、深く考えることもなしに何となく働き続ければ、出世もままならず小さな歯車の一つとしての仕事人生を過ごすことになってしまいかねない。

では、どうすれば良いのだろうか?

仕事人生の糧となる「負ける経験」を積み重ねよう

仮説に過ぎないが、そして全ての人に当てはまることでもないが、若い時は大きな組織で目的意識を持って働くことをお勧めしたい。大きな組織は優秀な人材も多く、競争に勝ったり負けたりを繰り返す。特に、「負ける経験」は仕事人生の糧となる。

多くの人が経験していると思うが、競争に勝ったとき、上手くいったときには、自分自身を振り返ったり、自省したりはしないものである。自分に向き合うのは、競争に負けたときや失敗したときに限られる。「どうしたら次は勝てるだろう」、「同じ失敗を繰り返さないためには、どうしたら良いのだろう」、このような試行錯誤を経験することで人は成長曲線を描くことができる。

そのような意味で、大きな組織で埋没せず、将来へのスキルアップを獲得するための行動準則は「負ける経験や失敗する経験を積み重ねること」にあると言えよう。

このようにして、大きな組織で本当の実力を身に着けたうえで、小さな組織に転職し「鶏口」を目指すも良し、大きな組織で「鶏口」となれれば尚良し。昨今は、大きな組織といえども決して安泰ではない。人材不足の時代にありながら、リストラも横行している。この現象は、「企業が不要な人材を捨て、必要な人材の獲得に血眼になっている」証拠だとも言えよう。大きな変革が生起している時代にあって、仕事人生を様々な視点からメタ認知し、自己成長戦略を考えていきたいものである。
  • 1

この記事にリアクションをお願いします!