「パワハラは絶対にいけない、でも部下の指導はしろ」と言われた管理職は……
このような相談は最近のパワハラを巡る世相を反映しているな、という印象を持った。巷間、パワハラは絶対するな、部下の指導はちゃんとやれ、である。これは、意外と難しい。言葉を換えれば「絶対にパワハラに当たるようなことはしないで、成長へと導く指導をしなさい」ということだからだ。パワハラを恐れて、穏やかに微笑みながら「失敗は誰にでもあるから、次は気をつけようね」などと指導すればパワハラにはならなくとも、部下には全く響かず、却ってバカにされることにもなりかねない。かといって「なぜそんなことになったんだ」と少し語気を荒げて叱責すると、委縮してしまう部下も多く、パワハラ認定へまっしぐらである。
旧い世代にとっては信じられないことだが、これが現代の会社の実相なのである。管理職が「やってられない」となってしまうことも無理はない。
“アンガーマネジメント”は日本人に適合するのか?
このパワハラをしない、させない、つまり現象としての「怒り」を悪者扱いして、それをコントロールする方法として「アンガーマネジメント」が外から輸入されている。すでに、日本アンガーマネジメント協会という組織もあるようだ。同協会の安藤俊介氏によると、「アンガーマネジメントはアメリカ生まれの怒りを制御・予防する心理プログラム」だそうで、「日本では2010年代から普及し始めた」らしい。その代表的な手法は次のとおりだ。
【2】「深呼吸をする」
【3】「その場から離れる」
【4】「“~べき”という思考をやめる」
【5】「価値観の違いと割り切る」
【6】「怒りの原因を考えるのをやめ、いまに集中する」
上記のようなやり方で、いずれも「怒り」を抑える具体的方法が中心となっている。要は、これらにより「怒り」=「パワハラ」を失くしたり、低減したりさせようとの算段である。
ここで、一つの疑問が湧く。「アンガーマネジメント」はアメリカ発だということだけれども、それはグローバルスタンダードだと言えるのだろうか? あるいは日本に適合するものなのか? という点である。
どこの国だと特定するのは難しいが、総じて日本人と外国人では怒るときの「怒り」のレベルが違い過ぎると思うのだ。なるほど、外国人であればアンガーをマネジメントせねばとんでもないことになることもあるような印象を持つ。
しかし、これは日本人には当てはまらないことも多いのではなかろうか。ただでさえ穏やかな国民性をさらに鎮める必要はない場面も多いのではないか。逆に、怒るべきときにもっと怒らないと舐められてしまうことになりかねない。
指導・育成に必要なのは「上司が築く信頼関係」と「部下の積極性」
兎にも角にも、日本では「怒ること」が忌み嫌われ、あらゆるセクトでパワハラを撲滅することに腐心している。その甲斐あって、パワハラは確実に減少するだろう。ただし、「怒り」=「パワハラ」を過剰に抑え込んだ社会はネガティブな労働市場を作り出すかもしれない。パワハラなき社会では、パワハラを恐れた上司は部下の指導教育を諦め、彼を戦力外扱いとするだろう。例えば、「何度指導しても本人の自助努力で改善が見られない」、「仕事を指示してもかえって業務量が増えてしまう」ような場合だ。その結果、「重要な仕事は任せない」、「単純でスキルアップしない仕事ばかりをアサインする」という、いわば職場で放置された状態になってしまう部下が量産されてくる。
しかも、本人には何が問題だったかを知らされることがないから、二度と改善も成長の機会も与えられない。その会社での本人のキャリアは終わりとなってしまうのである。そうなる理由を教えてもらえず、フィードバックもないので自分自身で気づくのはかなり難しい。
この状態が数年も続くと、年齢に相応しいビジネススキルも身に付かず、齢だけ重ねた役に立たない人材だけが残ることになってしまうだろう。このような状況が水面下でルーティン化しつつあることに危機感を持つべきだろう。
これを避けるためには、上司には「パワハラを恐れずに部下を適正に指導していく必要がある。そのためには、日頃からコミュニケーションによる信頼関係作りを励行しなさい」、部下には「『私は仕事を通じて成長したいので、間違っていることがあったら厳しく指導をお願いします。そして、一日も早く戦力になれるように頑張ります』ということを上司に言い続け、やる気をみせることが大切だ」と伝えることが必要だろう。
冒頭の相談ともボヤキともつかぬ経営者からの話には、このような趣旨の話をして、経営者自らが社員とのコミュニケーションを怠らないようにしてもらっている。
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