「若気の至り」という言葉がある。企業においても、若手社員がその若さゆえに自分の価値に強いこだわりを持ってしまうのはよくあることだ。自分が“価値ある者”と見られようと必死に足掻き、“価値あるモノ”を手に入れようともがく。価値とは「値」であるから、相対的なものさしとして、他人と比べたりもする。他人に認められて評価を受けるとはそういう意味だ。
若手社員が「生きづらさ」を感じる理由は? 「選択肢の多さ」や「生き急ぐ」ことに疲弊する若手に上司が伝えられることとは
若手の時代に、結果にこだわるのは仕方ない。しかし社会人生活を長く過ごしていると、意味や価値があるのは“結果”ではなく、結果に至るまでの“プロセス”であることに気づく。結果はただの事実に過ぎず、人生の中の些細な出来事に過ぎない。人生の意味や価値はそのプロセスにあるのだから、招いた結果を憂いたり、不安がったりしても仕方がない。それよりも、歩む道のりにやりがいや生きがいを探すことの方が有益である。

最近は「生きづらい世の中だ」とよく言われるが、その理由を筆者なりに自問自答してみた。その結果、次のような仮説が成り立つのではないかと考えた。「生きづらさ」とは、「人生の選択肢が多すぎる」ことや、「自分のことを考え過ぎ、生き急ぐ」ことから感じられてしまうのではないかということだ。

若手が混乱する「人生の選択肢の多さ」

筆者が大学を卒業して就職する頃、多くの同世代が抱いていた就業のロールモデルは、「一流企業の社員になり、キャリアアップに勤しみ、その会社で仕事人生を終わり、悠々自適の老後を過ごす」というものだった。ちょうど日本が世界の先進国として、「Japan as Number One」と謳われ舞い上がっていた時期である。アメリカの社会学者で、東アジアの研究者であったエズラ・ヴォーゲルが、同名の著書を世に問うたのが1979年であり、筆者の就職した年と符合する。

ヴォーゲルはその著書の中で、「日本の高い経済成長の基盤となったのは、日本人の高い学習意欲と読書習慣であった」としている。それを例証するように、日本人の1日の読書時間がアメリカ人の2倍であったことや、新聞の発行部数の多さなども紹介している。そして、アメリカ人に「日本人から何を学ぶべきで、何を学ぶべきでないか」を明確に示唆しているのだ。

話は逸れたが、昨今は上記に挙げたかつての“就業のロールモデル”のような生き方と比べると、人生の選択肢が多すぎる。就業に関して言えば、「企業に就職する」、「フリーランスとして働く」、「起業して経営者となる」、「投資家としてFireする」、「転職により適職を見つける」など。そして人生そのものについても、「結婚するか、しないか」、「子どもを持つか、持たないか」などがある。

しかもその情報は、親や学校、メディアのニュース、SNS、セミナーなどを通じ、あらゆる方向から様々に流れてくる。すると、当の本人が戸惑うだけでなく、周囲の人たちとの軋轢も生じてしまいかねない。多様な選択肢は「豊かさ」や「個人主義」の裏返しなのかもしれないが、反対に「生きづらさ」を表象している可能性が高いとも言えるだろう。

このような環境の中にあって、数多の選択肢を取捨選択することは容易ではない。しかし、選択しなければ混乱し、「生きづらさ」を感じることになってしまう。世の中の若手社会人には、「シンプル・イズ・ベスト」を拠り所に、生きやすさを自己追求してもらいたいと思う。

若手は「自分」のことを考え過ぎ、生き急ぐ

「自分」という言葉には、「自らの取り分」という意味がある。若手の時代には自分が貰える取り分が気になって仕方がない。そのように欲求を携えた状態で仕事をし続けていては、心身ともに疲弊してしまう。

ヨーロッパの古い格言に「フェスティーナ・レンテ(Festina lente)」というものがある。「良い結果により早く至るためには、ゆっくり行くのがよい」および「歩みが遅すぎても求める結果は得られない」のどちらの意味も含む言葉で、成熟した大人の人生の歩み方とも言えよう。簡潔に言えば「ゆっくり急げ」と表すことができ、悠々とゆっくり人生を歩み、確実な結果を手に入れなさいということである。

長く人生を歩んでいると、自分が持ちたい価値ではなく、他人の価値のためにする行為が、ひいては自分に返ってきて人生の大きな意味になることを理解するようになる。だから、自分が保持したい価値にこだわり過ぎるのはやめた方がよい。自分自身にこだわり過ぎて生きる人は、組織の中で愚痴をこぼすことが日常となり、かえって様々な不利益を招きかねない。利他的な行動や思いを実践していけば、世間が広く大きく見えるようになり、人生の意義が深まるだろう。

若手社員の「生きづらさ」を解消するために上司がとるべきスタンスとは

結局、若手社会人が「生きづらさ」を感じてしまうのは、「誰もが自由に選択できるわけでもない選択肢をあてがわれ、先が見通せない未来への不安感から自分のことに思いを寄せ、生き急ぐあまり出てくる感情」ゆえのことである。しかし、彼らをマネジメントする上司たちは、それを否定的に捉えるのではなく、未来への希望を削いでしまうような社会構造そのものと敵対し、若手社員と同じ側に立って考えるべきである。特に、「教育」や「社会保障」、「雇用」に関する『制度』と『実態』の乖離は甚だしい。「誰かの責任」というのではなく、皆が当事者意識をもって再構築に力を合わせて邁進していけば、多くの若手社会人が抱える「生きづらさ」も解消に向かうだろう。
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