もっと言うと、欧米の先進国と比べて、GDPの成長がほとんどゼロ、日本企業の業績の一つの表れである株価指数の伸びが劣後している、ビジネスパーソンの報酬の伸びがほとんどゼロ、という日本の悲しい現実からの脱却が可能となるような企業業績の「成果」です。
では、そうした成果が日本で得られにくいのはなぜなのか。人財面から考えてみましょう。
成果に結びつく「コンピテンシー」は、日本と欧米企業で何が違うのか
ここで、一つの図を提示したいと思います。まず、成果に結びつくような「コンピテンシー」の導入については、日本企業においては以下の2点が欧米の企業に比べて弱かったように思います。
(1)「人間力」と言った曖昧な「人物評価」が重視され、成果に結び付く内容、具体的には成果を挙げるための「行動力」にフォーカスした「コンピテンシー」(行動特性)という考え方が浸透していない。人物評価中心であるため、社内の「和」を重んじるような調整型の人物が評価される傾向があった
(2)「行動力」が能力評価の項目を取り入れていたとしても、重きを置かれる項目は、人物の性格などが中心であり、その重点項目を決める際には、経営陣やHRによる感覚的な好みが反映される場合もあった
コンピテンシーは、「ハイパフォーマー」と「ローパフォーマー」の2つの群団についての定量分析による、感覚的な好みを排除した指標選びが行われています。一方、従来の日本の大企業では、企業における「能力評価」について、「行動」、「成果を挙げる」という意識が希薄だったと言えるのではないでしょうか。
下記は、コンピテンシーに関して著名なスペンサーのコンピテンシーの表です。これを見ると、日本企業の人物評価とは随分趣を異にしているのではないでしょうか。
しかしながら、今後日本企業、特に大企業は、成果にフォーカスし、それを可能にする「コンピテンシー」による人財育成、そして人事評価を推進していくことが求められるでしょう。
成果を出すための「スキル」や「コンピテンシー」のあり方とは
コンピテンシーの次に大事な「スキル」については、現在日本企業が取組んでいる、「専門職制の導入(あるいはその拡大)」、そしてそれと類似した内容である「ジョブ型雇用の導入(あるいはその拡大)」や「中途採用の拡大」で事足ります。ただ、スキルの育成ついては、HRが研修などによって対応するのではなく、資格取得に関する補助金の支給や、処遇面での優遇が大事だと考えます。それは、地道で継続的な学習や経験が重要だからです。
かつて日本企業で、欧米の「成果主義」を導入しようとして失敗したケースが散見されました。成果というものを直に指標とすることももちろん大事ですが、それだけでは社内がギスギスしますし、「成果を出せば何でも良い」といった風潮がコンプライアンス面での綻びに繋がる懸念もあります。成果というものが、スキルやコンピテンシーというものにブレークダウンして、それぞれを強化することが必要でしょう。
成果は、「成果を出せ!」と従業員に号令をかけても簡単に出せるものではないでしょう。むしろ、コンピテンシーを社内で明確に意識し共有した上で、研修やOJTで磨いていき、スキルというツールを上手に活用していくことが人財面では重要です。
戦略の実行にあたって日本企業は、組織をいじることが大好きで力を注ぐ一方、その組織の中で頑張る社員や経営幹部の能力育成についてはOJT任せで、本気で向き合ってきませんでした。人的資本経営の時代には、組織と人財、両面からの対応が重要になっています。
昭和の日本企業では、人物本位の能力開発、能力評価を推進し、「社員を大事にする会社」「会社一丸となるような調和を重んじるような会社」を作り、ある時期までは大きな成果を挙げました。しかしながら、日本企業はいつしか、「成果にこだわり、その成果を挙げるために会社をどのように変えていくのか」という問いに対してきちんとした対応をしてこなかったように思います。とりわけ、HRについてはHRにおける大きな変革、成果を挙げるためのHRと言う視点を置き去りにしてきたのです。
結果として、グローバル化が進む変革期の時代には、こうした日本企業のあり方が、企業のダイナミズムを失わせ、イノベーション、経営改革、DXへの取組みなどが大きく遅れました。ビジネスパーソンの報酬についても最早、韓国に抜かれるまでになってしまいました。
一方、世間では、「新しい資本主義」と言った言葉が実態のない形で空を彷徨っています。「人を大事にする経営」を日本人が取り戻そうとするなら、「資本主義」(会社の業績、成果)と「ウエルビーイング」(社員の幸せ)を両立させる方策を見出していく必要があります。
人的資本経営、そしてその強化ポイントとして、「コンピテンシー」について日本の企業社会は真剣に考える時期が来ているのではないでしょうか。
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