現在94歳の私は、老人ホームで暮らしています。そこから、週2回か3回は会社に行って、仕事をしています。こう言うと驚かれたり、時には「変な人」とまで言われたりしますが、会社が仕事をさせてくれるのは有難いことです。
戦時中の学生時代のことを思い起こすと、男子学生は学徒出陣に駆り出され、女子学生も時期を繰り上げて卒業させられました。私は19歳で津田塾を終えると、女は「銃後の護り」に励めと言われる時代だったので、直ぐに就職しました。勤め先は帝国海軍の技術廠、立場は女子作業員でした。そして、1945年の8月、終戦の日を迎えます。悲劇的な敗戦です。私は虚脱状態のまま、母に迫られ結婚、2人の子供を出産し、子育てに追われました。
2人の子供が幼稚園と小学校に行くようになると、家計の足しにと、共稼ぎで近くの米軍キャンプに勤めました。在日米陸軍司令部下の広報部で事務員をし、その後、人事部に移り、管理者訓練教育のトレーナー職になりました。
米軍勤務7年目、夫が山口県の日立製作所・車両工場に転勤することになったので、私も米軍を辞め、家族全員が転居。そして今度は、夫と同じ日立製作所の工場に勤めて輸出業務です。しかし、教育訓練の仕事が好きで、コンサルタント業を1人で始めました。1959年のことです。
暫くして、米軍時代の教育訓練業の仲間に誘われ、一緒に東京で教育訓練のコンサルタント会社を創立しました。1966年のことで、それが今のマネジメントサービスセンターとなります。
19歳で勤め始めてから94歳の今日まで、途中に10年間の専業主婦時代がありましたが、そのほとんどの期間はビジネス・ウーマンとして暮してきました。
これから、その間の経験や思い出をつづっていきたいと思います。働く女性の皆さんのために少しでもお役に立てばと思っています。しばらくの間、お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。
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