過去にもあった、ひげを巡る判決例
冒頭取り上げた判決の概要は、次の通りである。【事例1】
大阪市営地下鉄(現大阪メトロ)の運転士がひげを理由に低い人事評価を受けた
→賠償を求め訴訟
→裁判所が大阪市に慰謝料等の支払いを命じた
(※なお、大阪市は控訴する方針)
実は過去にも、ひげを剃る剃らないで裁判になった事例(イースタン・エアポートモータース事件 東京地裁判決 昭和55.12.15)がある。こちらを事例2として紹介しよう。
【事例2】
ひげをたくわえたハイヤー運転手に会社がひげを剃るよう命じた
→運転手は従わなかった
→会社がこの運転手を乗車業務から外した
→裁判
→運転手はひげを剃る義務は無いと判断された
事例1も2も、どちらも労働者側のひげを認めている。(念のため記しておくと、この場合のひげとは清潔に整えられたひげのことであり、無精ひげや、一見して異様なひげなどはまた別問題である。)しかし、これらを以て、
「ひげを生やすのは労働者の自由だ!」
「会社はひげを禁止することはできない!」
と考えるのは早計であろう。
このいわゆる「ひげ問題」について、“労働契約”という切り口から整理してみたいと思う。
ひげそり命令は困難だが、日頃から十分な指導を
まず、事例2での裁判所の判決文に注目したい。当時、裁判所は次のように判決文の中で述べている。【事例2判決文(要約)】
従業員は労働契約を締結して企業に雇用される
→労働条件に定められた内容を順守し、その義務を履行することは当然である
→企業が、企業経営の必要上から、容姿、口ひげ、服装、頭髪等に関して合理的な規律を定めた場合、
→従業員はそれに添った労務提供を負う
↓
つまり、会社のひげそり命令も「企業経営上の必要」があり、それが「合理的な規律」であるなら、それは労働契約上の義務となるというわけである。
となれば、それに違反した場合は、人事考課に反映させたり、場合によっては懲戒処分の対象としたりする余地が残されることになる。ここは押さえておくべきポイントである。
実務上はこれを踏まえた対応が求められる。具体的にどのような経営上の問題があるのかを検証し、その改善のために「ひげそり命令」が必要であることを証明できるかが、肝となりそうだ。
ただそう考えるならば、現実問題として労働契約上の義務としてひげを剃らせるということは、極めてハードルが高く、限定的なケースに限られると言えよう。
また、前述の判決において「従業員はそれに添った労務提供を負う」というように、「添った」という言葉が使われている点にも注意したい。「添う」とは、趣旨や目的から外れないように、という意味であり、完全に従うという意味ではない。
この辺りに、裁判所は労使間の歩み寄りを期待しているように感じる。よって、会社側としては、さしあたって頑なな姿勢をとらないようにすることが、問題解決に向けてのポイントになるかも知れない。
――以上が“労働契約”という切り口で見たときの「ひげ問題」の解釈である。
ひげそり命令は困難という見方になったわけだが、これが“日頃の指導”や“お願い”であればまた話は違ってくる。「割れ窓理論」(※)にもあるように、小さなことでも見逃さずに対処することは、企業の秩序維持のためには必要なことであろう。
(※割れ窓理論:1枚のガラスが割れた建物を放置すると、他のガラスも割られ、更には地域全体の荒廃に繋がるという考え方)
身だしなみ規程やマニュアルを作成して、それに基づいた指導、お願いは、むしろ会社として積極的にするべきである。そうした努力の積み重ねが、より良い企業風土を作っていくのではないだろうか。
……とは言っても、それもやり過ぎるとハラスメントになりかねないので、十分ご注意を。
社会保険労務士 出岡 健太郎