次にダイバーシティ(Diversity)を見てみよう。ビジネスにおける各国の垣根はなくなりつつあり、グローバル化が加速度的に進んでいる。日本人同士でも個々人に違いがある訳だから、他国の人間ともなれば文化や言語をはじめ、その違いは顕著にならざるを得ない。そこでダイバーシティ構想の出番だ。この本来的な姿は、一人として同じ人間はおらず、例えば人種・性別・年齢・障害を持たれた方・性格や価値観、宗教観等々においてみな異なっている。この違いをお互いに受け入れあい、これらを各人がそれぞれ持つ個性や能力として発揮することができる組織風土を形成するための考え方こそダイバーシティ・マネジメントが持つ本来の意味である。だからDiversityが「多様性」と訳される。
しかし、日本におけるダイバーシティは「性」に向けられてしまい、男性と女性の平等に重きが置かれる。ダイバーシティ構想は、もっと幅広い物事に対する受容であるハズなのに、日本の場合は男女の性差別問題の是正だけに限定されてしまうことは誠に残念である。
そしてレイオフ(Layoff)だ。会社の都合により再雇用を前提として一時的な解雇を実施する制度である。アメリカで実施する際はセニョリティ(Seniority)=先任権を基準に適用される。先任権を端的に言えば「勤続年数」である。レイオフを実施する時は、先任権の低い(=勤続年数の短い)労働者から順番に一時解雇していき、再雇用する際は先任権の高い(=勤続年数の長い)労働者から呼び戻される。すなわち、先任権が高い労働者は、一時解雇が実施されても最後まで会社に残ることができ、企業が再雇用を実施する時はいち早く呼び戻される。極めて年功的要素の強い運用がなされるのが基本だ。しかし日本では、一時解雇する際は高齢者層から先に実施される。そして再雇用の段階では若年労働者から先に呼び戻される傾向が強く、その運用はアメリカとは明らかに異なる。
最後に成果主義をみてみよう。主にアメリカでは仕事に値段(給与)が付されている。その仕事を担う者であれば誰でも同じ給与が支払われるのである。これが給与の土台として保障され、その上に目標数値である出来高(成果)に応じてプレミアム給が上乗せされて支給されるのが基本だ。これを成果主義と捉えるならば日本では全く異なる。そもそも日本の給与は職務給ではない。また、成果主義として認識し導入された制度が各企業によって様々であったものの、多くは管理職層の労働者を中心に適用し個人間を競わせ、目標達成度に応じて給与へ反映させることで、企業の生産性を高める手法として導入した点が強い。運用上の煩雑さもさることながら、何を成果とするのかが曖昧なために評価する側も困難を極め、また労働者側は達成可能な目標を立ててしまうといった弊害が顕在化し、その多くが導入失敗に終わっている。城繁之氏の『内側から見た富士通「成果主義」の崩壊』によれば、アメリカから輸入されたはずの成果主義という制度はアメリカにも存在しない制度だったと述べられている。一体、日本に導入されたこの制度は何だったのだろうか。
このように、日本では都合よく解釈して導入するあまり、制度本来の意味合いと異なった形で導入が図られてきた傾向が多々ある。先進諸外国の制度を参考にすることは意義のあることだと思うが、制度本来の肝になる部分を削いだ導入は実効性や有効性は得られない。先にみてきた制度のどれもが相対的に功を奏したと言えるものがない点からも明らかである。むしろ職場の荒廃を招き逆効果であったと言えよう。他国の制度を参考に日本版にアレンジするにせよ、制度根幹の肝を無視したアレンジはすべきではない。もはやその制度ではなくなるからだ。今後も他国の制度を参考にすることがあるだろう。失われた20年間に起こったこれまでの失敗を繰り返さないためにも、国も企業もそろそろこの点を学習しなければならない時期にきている。
SRC・総合労務センター、株式会社エンブレス 特定社会保険労務士 佐藤正欣