口には出せない人材のジレンマ
こんな会話に出会いました。「Aは積極的なんだけどなあ。でもBはぜんぜん自分から動いたりしないんだよ。どうにかならないかなあ。」
そうそう自分のところもそうだ、と思われたかもしれません。
口に出さずとも同じことを思っているひとは多い会話ですよね。
Bさんのような社員はやきもきさせられます。
BさんがAさんのようになってくれたら、仕事に対して積極的なAさんが2人いることになりますから、きっと会社の業績も上がるはずだと思うからです。
社員を抱える経営者、役職者はひとと向き合うという大変で、大切な仕事。ときには「給料を渡しているのはこちらだぞ」と思ったとしても当然のことです。
ところがそれを振りかざすほど社員はますます「業務が回る最低限 = 給料がもらえる範囲」として捉えてしまい、それ以上動かなくなってしまいます。
かといって甘やかしても、緊張感がゆるみ、成長しようともせず、結局のところ会社の生産性は向上することもない。
ひとの問題はジレンマだらけ。一筋縄ではいきません。
「Bさんが、Aさんのようになってくれたら。」
ボトムがアップすればするほど強い会社になることは間違いありません。
それを実現するよい方法はあるのでしょうか?
さまざまな方法が提案されています。
たとえばAさんには有りBさんには無いスキル研修をBさんに受けさせて戦力化させる方法です。
Bさんと個別面談をして、Bさんを励ます方法もあります。
モデリング、という方法で、うまくいっているAさんのやり方を全員で学び、同じようにやってみるという方法もあります。
ひとつひとつはどれも有効な方法です。実際にやって成果を上げる会社もある。
しかしそこに「うまくいっている」会社と「やっぱりうまくいかない」会社の違いがあるのはなぜでしょう?
その違いは、方法ではなく「3つのポイント」にありました。
第一ポイント~既存手法があてはまらないときにまずやること~
わたしたちは普段、仕事が「できる社員」と「できない社員」を区別しています。Aさんのように積極的でみずからどんどん動く社員はもちろん「できるひと」。だから現場で重んじられ、次のリーダーを担ってもらいたいと期待します。
一方、Bさんは「できないひと」。消極的であるため、現場では無難な範囲だけしかまかせることもできず、ずっとやきもきし続けます。
何とも言えない、既存の解決手法のあてはまらない、もやもやした壁にぶち当たったとき、こういうときこそ「メンタリング」の出番です。なぜならばメンタリングは一手法ではなく、手法そのものを方向づける「あり方」だからです。
メンタリングでは、まず目指す人材像を明確にすることが大切です。
「どんな困難な状況や環境に左右されずそれを乗り越え、自分自身の最大限の力を発揮して、ビジョンに向かい、社会や会社に貢献する人材」
これを「自立創造型相互支援人材」と呼びました。
言い換えれば、「みずからやる気をだせる人材」です。
とはいえ本人以外の外部から ―― それがたとえ経営者・役職者からであれ―― 無理やり人やその意識を変えることはできません。
「やる気は外から出させるものではない。自ら出すものである。」
あくまでも本人が自分自身で成長したくなる。ここにフォーカスします。
徹底的に本人の自発性、つまり「やる気」=「一生続く成長への欲求」にアクセスするのです。わたしたちは、本人がみずからやりたくなる「きかっけ」を与え続けます。
1つめのポイント。
それは「観る」視点です。
メンタリングはひとを「会社人」ではなく「ひと」として観ます。
そしてその「ひと」とは「無限の可能性をもって成長し続けるひと」であると観ます。
目で「見る」ではなく、内側の目で観る。単に目に入ってくる姿に左右されず、「ひと」として観るとわたしたち自身がまず決めるということです。
いま現時点の「できる」「できない」ではなく、つねに無限の可能性つねに成長途中であるひととして観て、外からは成長したくなるきっかけだけを与え続け、本人のやる気にアクセスするのです。
第二ポイント~やる気の源泉の見つけ方~
「自立創造型相互支援人材」とは、自分自身の最大限の力を発揮できるひと。そこに決まった形はありません。
あえて言いましょう。
AさんはAさんで素晴らしい。でもBさんもBさんでやはり同じくらい素晴らしい。
そのように観ます。
繰り返します。
そう観るとわたしたちの側がまず決めます。
Aさんの最大限の力は、積極性というところにあります。みずからどんどん動いて、ときに周りを巻き込みながら、みずから仕事を創り出し力を発揮し、成長し、周りに貢献することがAさんのよろこびであり、Aさんのやる気の源泉です。
Bさんはどうでしょう。
Bさんは積極的に動くことはないのかもしれません。しかしBさんは「いわれたことは確実にやる」ですとか、「リスクをつねに考えて行動している」という場面はありませんか。
目立たないけれども、仕事やプロジェクトの、地味なだれもやらないことを黙々と担っているひとではありませんか?
2つめのポイントは「ひとは違う」という認識です。
全員がAさんになるのではなくそれぞれ違うひとが、それぞれ最大限の力を発揮することで、もっとしなやかで多様性の溢れる強い会社になっていきます。
幕末に吉田松陰という人がいました。
かれは藩の罪人として「野山獄」に収容されていたことがあります。そこにはさまざまな囚人がいましたが、あるとき松蔭は他の牢獄にいる囚人たちに向かって話しかけました。
「ひとはそれぞれ一つはかならず良いところを持っています。ぜひそれをお互いが先生となって学びあいませんか? わたしは孔子や孟子のことなら教えることができます。」
それ以来、あるときは松陰が先生となり他の囚人に「論語」を教え、あるときは松陰が生徒となって他の囚人から「俳句」を教わったりと囚人同士がまるでサークルのように交流し、ついには看守までがその輪にはいるまでになりました。
有名な「松下村塾」で、かれは当時の長州藩で一流の学者でありながら、塾の子どもたちにまるで英雄に接するように丁寧に、そしてやさしく接しました。そしてかならず良いところだけを観て褒め、それを伸ばす学習を勧めていました。
この小さな私塾から何人もの幕末の偉人や、明治の総理大臣を出したのはご存知の通りです。
むかしもいまも、ひとがみずからやる気を出す原則は変わりません。
とはいえBさんのように積極的ではない社員をどう扱えばいいのかは、それでも悩ましいと思われるかもしれません。
そのために、やる気を出すためのポイントがもうひとつあります。
第三ポイント~貢献したくなる人材を創るには~
3つ目のポイント。それは「役割」という視点。
メンタリングには、社員が上司を見てやる気を出すこともあれば、上司や経営者が社員を見てやる気を出すという相互に影響しあうことで全員が成長する相互支援の精神があります。
会社というものは社長を頂点とし、社員をボトムとする三角形の形で組織が作られています。たしかに「会社人の集まり」としてみた場合には上下がありますが、「ひとの集まり」してとらえる場合には、本質的な上下はありません。どの「ひと」も無限の可能性をもった成長し続ける存在ばかりです。
とすると会社における地位とは「能力で獲得され保証された立場」ではなく「役割」となります。
生まれた年代も、場所も背景も違う「ひと」が、会社というビジョンの形にたまたま集まって役割を担っている、という視点。
その視点が正しいか間違っているかは問題ではありません。
そのように「観る」とわたしたちのほうが先に決めるということです。
創業者には創業者の、社長には社長の役割、部長には部長の役割があり、社員には社員の役割があります。
社員の中でも、積極的なAさんの役割もあれば、堅実なBさんの役割もあります。
どんなひとにも貢献の欲求がありますが、貢献せよと外から押し付けられてやる気が出るひとはいません。あくまでも自分自身が、貢献できているという自己認識とそれを認めてくれるひと(仲間=社員、上司、経営者)がいるときに、やる気が内側から出てきます。
その自己認識のためには、いま自分が全体のどの部分にどのように貢献できているのを知る必要があります。
全体とは、会社でもありますが、より大切なことはその会社のビジョンや目指すところ。
つまり、 会社が具体的にどのように社会に貢献できているのか。
これは一般社員ではなかなかつかむことはむずかしい。だからこそそれを語ることが経営者や役職者の「役割」となるのです。
「わたしの仕事や、日々の事務を整理する仕事だ。でもこの事務を通じて、この会社の社員が事務作業で混乱することなく快く働くことができる、それを通じてこの会社が社会に良い商品やサービスや文化を届けて良くすることに貢献できている。」
と、「ありありと具体的に認識」できたときに、ひとは自分の仕事や存在の価値に気づき、それをより高めたいとやる気を出していきます。
それには認めてくれるひとが必要です。
その役割を担うひとが必要です。
つまり経営者や役職者であるあなたです。
大切なことは、それを認めるひとも同じことを「本気で」信じていること。
本気でビジョンを信じ、そのビジョンのためにそれぞれのフィールドで働いている社員の役割の重要性を認識していること。
ひとはひとを見て成長し、ひとを見てやる気を出します。
「会社都合」だけの認識は「ひと」にはすぐに伝わります。
それは結果として「やる気がない」社員の続出となって現れています。
まずは経営者や役職者こそビジョンを夢を語りましょう。
そのビジョンや夢に社員は集まってきます。
Bさんにこう声をかけられる会社は強くてしなやか
「わたしの会社は○○を目指して、こんな風に社会に貢献し、良い社会を作ろうとしている。その中でわたしは、こんな役割で今の仕事をやっている。」社員全員がうれしそうにこう言える会社は強いです。しなやかです。
そして、お客さまや周りから見ても、とても気持ちがよく「ぜひ、この会社と長く付き合いたい」と思いたくなる、ひきつけられる会社です。
お互いがお互いのひととしての強みと役割を認識し価値を認め合っていますので、相互支援の精神にあふれています。
その役割の重要性を認識しながらもっと高められる人材は、たとえそれが積極的なタイプでも、慎重なタイプでもひとりひとりがリーダーなのです。
そんな多様なリーダーがいる会社を想像してみましょう。景気や社会環境がどんなに変わっても、それぞれの役割や個性を生かしながら、あるときは積極的に大胆に、あるときはリスクを見て手堅く、まるで強いスポーツチームを見ているかのように、柔軟に乗り越え目指すべきものをつかんでいくことができます。
そして……不思議なことですが、その役割を「自立創造型相互支援人材」として高めて遂行していく人材は、ほかの役割、たとえばBさんがあるときAさんの立場に行くことになったとしても、その役割をきちんとこなす人材になります。
全体ビジョン、役割、そしてそれをになう自分自身の価値をきちんと一本の軸として認識できているからこそ、どんな環境、状況にいっても最大限の力を発揮できるようになるんですね。
もしちょっとやる気の落ちているBさんがいたら声をかけてみてください。
「B、君のおかげでプロジェクトは着実に進んでいる。だからこの会社はお客様によろこびを提供できて信頼を得ているし、だから社会もこんな風によくなることができている。B、本当にいつもありがとう。」
Bさんの、ちょっとびっくりしたような、照れくさいような、はにかんだ笑顔が見えるようです。
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