最近、「他人の言動によって自分はとても嫌な思いをしている」と感じている人が目立って増えているように感じる。そうした人たちの共通点として「他人の事は見えても、自分の事になると盲目的になる」、「自分を客観視することができない」、あるいは「自分を客観視できているように思い込んでいる」といった特徴が垣間見える。今回の論考では、最近の不確実な社会の中にあって、経営者・就業者ともに等しく身に付けておきたい「幸せを哲学することの大切さ」を考えてみたい。
「ウェルビーイングな生き方」を叶えるために、他者との人間関係がもたらす“幸せ”の哲学とは

「他人」ではなく「自分」がどう考えて生きるか

人間はどうしても無意識のうちに、他人に対してより、自分に対しての捉え方の方が甘くなってしまう場合がある。それゆえ、自分の事になると盲目的になってしまうのかもしれない。

冒頭で述べた「他人の言動によって自分はとても嫌な思いをしている」と感じている人たちは、必然的に自分の生活環境や人間関係に様々な歪みや不満が生じて来るのだろうなと思う。つまり、「傷ついている人ほど、他人を傷つけてしまう」、「他人を傷つける人ほど、自分も傷つけている」ということを理解していないために、常に「他人の言動によって自分はとても嫌な思いをしている」と感じてしまっているのである。前述のような法則に気づかない限り、“いつも他人のせいにして終わる”ことになりかねず、不愉快な感情や不満の原因を考えるとき、自分の言動に目を向ける事はないのだろう。

逆に、上記の法則に気づけば、自分の言動に注意深くなるため、他人から不愉快な思いをさせられることも少なくなるだろうし、仮に心ない人から勝手に絡まれたとしても全然気にならなくなるだろう。つまり「自分の人生を楽しいものにするか、つまらないものにするか」は、他者のせいではなく、自己責任以外の何ものでもないのである。

人間はときに、小さな出来事に固執し、シンプルな出来事をわざわざ複雑にしてしまうことがある。しかし、この極めて人間的な生き様から、たまには離れることが必要かもしれない。自分に対する他人の言動が必要以上に気になってしまうということは、実は「他人と自分は同じ土俵で相撲を取っている」と考えてしまっているということでもある。他人に振り回され、心が疲弊している人たちに伝えたいことは、他人が自分に対してどうであろうと、結局は「自分がどう考えて生きるか」が大事だということである。

幸せを導くのは他者との間に築かれる「人間関係」

ここから、「幸せ」について哲学していきたい。

幸福の「福」は、「衣食住」を表すと言う。衣食住がままならなかった時代は、それが満たされるだけで「幸せ」を感じることができた。しかし、社会が豊かになり、飽食の時代となった現代において、毎日「幸せ」を感じて生きている人が大多数かといえば、そうとも言えないように思う。多くの人たちは、物質的な豊かさが満たされれば「幸せ」になれると信じ、お金を得るために日々働いている。しかし、お金を十分に得たとしても、思ったように「幸せ」は訪れず、こんなはずではなかったと感じる人も多いのではなかろうか。

では、何が「幸せ」に繋がるのだろうか? 「幸せ」がお金や物ではないとしたら、私たちはどうしたら「幸せ」になれるのだろうか。

私たちは、いつも「他人からどれだけ価値のある人間だと見られているか」と、結局は自分自身に目を向けて生きている。しかし、本当に自分の「幸せ」を感じるには、自分以外の他者に目を向け、「相手をいかに喜ばせることができるか」、「どうすれば満足してくれるか」を常に考えて行動することが最も大事なことなのではないか。そして、その結果が稀にでもフィードバックされたときにこそ、「幸せ」を感じることができるのだろう。

下図は、10年以上続けている公立学校の教職員に対する「ライフプラン相談会」のアンケート結果の一部である。少なくとも筆者は、稀にではあっても、このような感謝の言葉が寄せられれば本当に「幸せ」な気持ちになる。
「ウェルビーイングな生き方」を叶えるために、他者との人間関係がもたらす“幸せ”の哲学とは
このように、「幸せ」は自分の身の回りの様々な人間関係から導かれるものだ。他人の存在を疎ましく思うのではなく、まずは「誰しもが精一杯人生を歩んでいる、リスペクトすべき存在だ」と思うことが大切である。そして、そのような環境の中で、他人への利他的な思いや行動に注力することで「幸せ」を誘うことができる。時には、行き違いや思い違いで違和感を抱くこともあるだろう。しかし、それは些細な出来事に過ぎず、本質的な問題ではない。

これとは反対に、自分への思慮ばかりで、他人に思いやりを持ったり、他人様のために行動したりすることができない人は、たとえ物質的な豊かさに恵まれたとしても、心は貧相なままかもしれない。そして、自分の内なる「幸せ」を感じられることもないだろう。

先行きが不透明な時代で、社会や組織がギスギスしてしまうこともある現代だからこそ、このように哲学しながら人生を歩んでいくことに価値を見出したい。
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