土方の士道
土方は「自分は武士である。武士とは節義のために生きるべきものである」と考えている。「俺は百姓の出だが、これでも武士らしく生き、武士らしく死にたい。どうやら世の移り変わりとはあまり縁のねえ人間らしい。」と隊士である原田佐之助と永倉新八に語り、袂を分かつ。また病床の沖田の傍らで「総司、刀は切るためのものだ。目的は単純明快なものだ。しかし見ろ、この単純の美しさを。目的は単純であるべきである。新撰組は節義にのみ生きるべきである」と涙を流しながら、自らに言い聞かせている。(司馬遼太郎 『燃えよ剣』新潮文庫より)
彼は新撰組を統率するために、隊中法度という極端に厳しい規則の制定と徹底遵守を行った。反した場合、士道不覚悟として、何名もの隊士を処分することも辞さなかった。これにより命を落とした隊士は数多い。
半面、「鬼」が唯一心を通わせたお雪から「これほど心弱い人があるだろうか?」と思われるほど、情愛細やかな手紙も書いている。その手紙の中では「会わないで行く。会えば辛くなる」(同書より)とも綴っている。
これらの行動の背景には「人は本来弱いものである。その弱さを露呈してしまっては武士の目的は果たせない。弱さを徹底的に排除しなければならない」という思想があるようである。
土方の人生の方向を定めた「近藤勇」は、土方に言わせれば「英雄」である。勢いに乗れば実力以上の力を発揮し、一国一城の主にもなれる「男」だと、土方自身が称している。しかし、「勢いに乗じられなくなった時」近藤は力を発揮できなくなるのである。
土方は近藤が官軍の軍門に下ることを決めた時、死に物狂いで止めた。にも関わらず近藤が「歳、俺は疲れた。もう自由にしてくれ」と去ったとき、「凧は風が吹けばどこまでも高く舞い上がるが、風がとまればそれまでだ。俺は鳥だ。自分の力で飛び続ける」と自らに言い聞かせている。(同書より)
滅びの美学、その正体
「人は弱いものである。故に自らの力で規律を定め、守ることで自らを制御できるようにならなければならない」「武士とは節義にのみ生きるべきものである。節義に反し周囲に流されるのは武士として恥ずべき行為である。一度己が定めた道ならば、その道を自らの力で進み続けなければならない」という信念が、土方を縛った。
この行動理論が、時流に抗わせ続けたに違いない。
彼は最期まで、自らに課した武士であった。
行動理論が時代を創る
土方の中には、「人は美しく生きるべきである。美しい生き方とは節義ある生き方のことである」という人間観、人生観が横たわっている。土方が、この人間観、人生観の上に、「自分は芸術家である」という自分観を持ったならば、「豊玉師匠」は別の道を歩み、時流もまた違うものになっていたのかも知れない。
やはり、行動理論が時代を創るのである。
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