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江戸っ子・榎本武揚
2018/08/13
勇猛果敢な武将である。初陣は17の歳、1563年上野箕輪城攻めである。敵将が物見から帰る際のすきをついて追撃、討ち取ったといわれる。さらにその後もいくつもの戦で城を落とす功を挙げた。 武田勝頼は、信玄...
2018/06/11
西洋文化への憧憬と造詣が深かった。西洋かぶれと呼ばれた彼は「日本人最初のルイ・ヴィトンの顧客」であった。ヴィトンの顧客名簿に自筆のサインが残っているそうである。 同郷の東郷平八郎と並んで「陸の大山、海...
2018/02/07
「大将の要害は徳にあり。徳あるところ、天下これに帰す」 大谷吉継の言葉であるとされる。 戦国の世の武将であり豊臣秀吉の家臣、越前敦賀城主であった彼の号は白頭。目を患っていた彼が常に白頭巾をかぶってい...
2017/10/16
1582年、全ての武具を赤一色に染め上げた一群が戦場を駆け抜けた。意図は二つ、かつて武田の将であった者の意志を継ぐこと、そしてもう一つは戦の最中、自分の配下を一目で掌握するためであった。 赤一色の集団...
2017/09/19
彼は生涯57度の戦に挑み、一度たりとも傷を負わなかった。 武田軍の将から「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」と称賛されたという。 通称平八郎、徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑のすべてに...
2017/08/21
戦人(いくさびと)上杉輝虎 この男は「音に聞こえし大峰の五鬼、葛城高天の大天狗にや」と評された。 「大天狗」「六尺近い偉丈夫」などと言われているが、其の実五尺二寸(156cm)ほどであったという。「...
2016/07/08
米沢藩第9代藩主。幼名、松三郎、諱は治憲。 困窮した藩の財政を再建し、かのケネディ大統領が最も尊敬する日本人政治家と評した、偉大な改革者、上杉鷹山である。
2016/04/11
詩歌をよくし、書籍を愛した文人でありながら、政治においてもっとも優れた才能を発揮した。のちに上杉鷹山が藩政改革の際にその方法論を手本としたほどである。 一方で上杉景勝の忠臣として辣腕をふるい、徳川家...
2016/02/09
戦国の世に生まれ、織田信長の妹、浅井長政の妻、茶々・初・江の母であった。彼女が生き延びたからこそ、秀頼も生まれ、家光も世に存在し、徳川の世の土台が築かれた。 戦国随一の美女として名高いお市の方(当時...
2015/10/07
強さと嫉妬深さをあわせ持つ「強い女性」の印象が強い頼朝の妻、北条政子。 伊豆で勢力を誇っていた北条時政の娘であり、伊豆に流されていた源頼朝の妻となり、頼朝の死後も鎌倉政権を守り続けた彼女の行動理論は...
2015/08/25
雷鳴の轟く中、一人の男が生まれた。彼は維新の時代において回天の志士となり、しかしながら志を成し遂げることなく、この世を去る。 幕末の尊王攘夷の流れを作ったといってもいいこの男は、山形県(庄内藩)の酒屋...
2015/07/15
人を育てる行動理論 「学問のすすめ」の中で、私にとって最も印象に残る文章は、 「一国の暴政は、必ずしも暴君暴吏の所為のみに非ず、その実は人民の無智をもって自ら招く禍なり」である。 つまり、「国が...
2015/04/09
磐鉄(いわかね)も くだかざらんや武士(もののふ)の 国安かれと思い切る太刀 桜田門外の変という、いわばテロの実行犯である薩摩藩士・有村次左衛門の辞世の句である。
2015/03/13
元新撰組鬼の三番隊組長、斎藤一が七二歳でこの世を去ったのは一九一六(大正四)年九月二八日。 背が高く、あまり無駄口を利かない、目つきの鋭い男だったようであるが、出自、経歴、人柄、氏名に至るまで謎の...
2015/02/06
小柄故に不相応なほどの長刀を好み、直立して撮る写真を好まなかった。 坂本龍馬が所有するリボルバーは彼が上海で購入したものである。 「疾風怒涛」「衝動的行動家」という言葉で表現されることの多い高杉晋...
2015/01/20
「一期一会」という言葉を耳にしたことがある人は少なくないと思う。一生に一度だけしかないかもしれない出逢いを大切にしようとする茶の湯の言葉である。この言葉が井伊直弼の「茶湯一会集」から生まれていることは...
2014/12/10
生真面目で融通が利かない行動理論を持った人間が、ひとたび目指すべき方向性を定めると、その生真面目さ故に周囲のみならず自分をも窮屈にし、揚句には志を果たせず道半ばで倒れてしまうことがある。
2014/11/12
合理主義者「板垣退助」 少年時代の彼は「本当に神罰が下るのか」を確かめるために、稲荷神社のお守りを厠に捨ててみたそうだ。 また、わんぱくすぎた彼は藩からは二度の処罰を受けるが、その...
2014/08/26
私心なき官僚 三成に限ったことではないが、歴史上の人物には、相反する風評がある場合が多い。三成の場合、その一つは「秀吉の威を借りた横暴・陰険な小役人」というもの。もう一方は「二君にま...
2014/07/24