ある時は快感を、ある時は不快を感じながらも、日頃埋もれている感覚に揺さぶりをかけてくる。
これからの社会を生きやすくするキーワード
アートは、「マニュアル化して誰でもできる仕事」の対極にある。十把ひとからげの人生の対極にあって存在し続け、時折鋭い問いかけをしてくる。熊本の地震で住まいに難儀している現状に、壊れない家、ふわふわしている家、ホバーしている家はできないものか、と考えている中で、アーティスト村上慧氏の存在を知った。
家は、生きる、という現実の厳しさから避難するシェルターであり、気がねなく、まっ裸でうろうろしていられる空間、明日を養う空間である。
住の語源にはとどまる、停止する意味があり、老衰を防ぐことを住衰というのだそうだ。
そんな住まいがなくなってしまう。
村上氏は、持ち運べる、発砲スチロールで作った家を背負って、全国を移住する生活をしている。
彼は大学で建築を学び、アートとしての作品づくりをしてきたが、2011年の東日本大震災をきっかけに、災害を自分ごとと考え、“住う”ことを作品化することにした。
様々な土地に移住し、“住う”とは何か、国や社会、家を、文字通り“背負って”思索を続けている。
2011年以来、引っ越しは200回を超えている。
発砲スチロールの持ち運べる家は、まだ、住むための機能として改善点が多く、完成するまで移住し続けるとのことだ。
白いかわいい家だ。 イメージとしては旅篭の担ぎ棒をとったものから2本の足が見える、彼が設計した、移動できる家のモックアップが歩いている、といった感じである。
彼はその家を被るようにして歩く。 人の家の庭先等を借りながら移動を続け、土地の様子を観察したり、人々と交流している。 変人扱いで警察を呼ばれそうになる反面、大歓迎を受けたりしているようだ。 しかし、ほぼ毎日、自分を知らない人に、移住の場所を確保するため、自分の説明をしなければならない。例え身分証明書の類を見せたところで、怪しい、と感じられてしまうだろう。毎日が面接試験のようなものだ。
そんな生活の中で、“きのうの自分を知っている人”と話しができることの貴重さに気づいたという。 移住が続く中で、きのうの自分を知っていて、話が出来る人が妻になった。
定住者である私は、ほぼ決まった人々と会う生活がある。 営業で知らない人と会わない限り、毎日、毎回、自分が何者であるかを説明する必要はない。
固定した生活圏に住むことにより、“きのうを知っている”人々との間に、無意識の安堵を感じて生活しているのである。
より具体的に多くの“きのう”を知っているのは家族だろう。 お互いのきのうを共有して、今日が成り立っている。
過去とか、履歴とか、実績といった“きのう”を語るものより、“あなたのきのうを知っている”がより、親密であり、体温が伝わってくる。
知ってもらっちゃ困るきのう、も含めて、きのうという確定した事実の共有を肯定すれば、嬉しさが、否定すれば悲しみが生ずる。“きのう”のたくさんの蓄積である人生を肯定しなければ、尊厳、は遠い。
企業にも移住はある。 異動等で住まいが変る、課が変る、業務等が変る時、“家を背負って歩き”、新しく会う人ごとに、一生懸命自分や会社のこと、商品を説明している姿を思い浮かべる。
その家は、自分であり、家族であり、会社であり、国でもある。
背負うためには、誰かが“きのうの自分を知って”いて欲しい、必要なのである。
あなたを知っているよ、にあなたの“きのう”を知っているよ、を加えてみると、今までとは違った思いが湧いてくる。
もし、きのうを知らなくとも、“背負う”ことを共感できれば、きのうを共有できる。
災害や老病死など、あしたの不確実なリスクを共有しながら、多様な人々が、多様な働き方をする社会で、庭先を提供する、いっときだが休んでいきな、と言えたら。
背負うことの多い、これからの社会を生きやすくするキーワードではなかろうか。
村上氏の作品に揺さぶられ、思いやりの可動域が拡がった。
久保 照子