求める人材要件を作る時、人事の協力が必要となります。今回は、経営と人事との関係について、理解を深めていきたいと思います。
経営と人事の間に厚い壁がないだろうか
さて、経営にも人事にもそれぞれの戦略があり、その戦略に対する思いは、経営も人事も同じ思いであることは間違いありません。たとえば、企業を取巻く環境が変われば、計画の変更や戦略の変更はあたり前、と思っています。変更することへの意識も意欲も、驚くほど、経営も人事も同じ思いです。
しかし、問題なのはここからです。
変更をどのような方法で、どのような手段で、どう対応するか、と言う具体的な話になったとたん、経営と人事の間に非常に大きな温度差や厚い壁、深い溝を強く感じることがあります。
この原因がどこにあるのか、経営と人事に聞いてみました。
まず、経営の人事に対する言い分です。ちょっと冷静に聞いてみることにしましょう。
-人事は、いつも人事のことしか見ていない。もっと視野を広げて全体を見てほしいものだ
-人事は、現場のことをちっとも理解していない。そもそも現場に行ったことがない。だから現場とまともにコミュニケーションが取れない
-人事がこれまで、どこかの海外拠点に行ったことはあるの? そんなの聞いたことがないね。英語ができる人もいないしね
-人事って「ひとごと」って書くよね。いつも、ひとごとにしか思っていないし…
-部下の問題にしても、人事は現場の上司の問題として片付けているし…人事ってやっぱり、ひとごとだね
-また人事が勝手に制度を変えた。やっと慣れたと思ったのに…いい加減にしてほしい
-制度のグローバル化への変革を求めても、いつもできない理由ばかり聞かさせてうんざり。できないのならできないと、ハッキリいってくれたほうがスッキリする
-制度変革をしても、結局、制度を変更しておしまい?
-労務管理だけは強い。これって社員でなくてもできるよね
-人事部が一番ガラパゴス化で、一番変われていないよね
まだまだ出そうでしたが、もう充分でしょう。
一方、人事の経営に対する言い分も聞いてみました。
-経営陣は、誰も人事のことを理解していない
-いつも目先の利益ばかりで、戦略的に人を育てようとする気があるんだろうか
-長期的戦略がないからいつも場当たり的になって、結局、大変な思いをしているのは人事ばかり
-急に変更しろと言われても、それなりの手順が必要だというのが分かっていない
-すぐできるよね、と簡単に言うけど、何にも理解していない
-人件費が高い、コストをもっと削れ…。これ以上、何を削れっていうの?
-予算カットはいつも研修費。だから人材が育たない
-そもそも人事に来たくて人事に来たんじゃないんだ
こちらも、まだまだ出そうです。
著者は、人事部長の経験も役員、副社長の経験もあるので、いずれの言い分もよく理解できます。
それにしても、この違いは何から来ているのでしょうか。
経営と人事との間に共通言語が必要
「経営理念への理解は、両者共に一致している。行動方針も一致している。企業価値観も一致しているように思える」と思っても、どうもビジョンが怪しい。さらに、経営計画の理解となるともっと怪しい、と言うことがわかりました。一致している点と違っている点が理解できたので、さらにこの厚い壁の原因を調べてみると、経営と人事との間に共通言語がそもそもないことが分かりました。
共通言語とは、何でしょうか。
みなさんは、「アフリカでの靴の営業」の話を聞いたことはありませんか。
靴を売りにアフリカへ行った二人の営業からの報告です。
最初の営業からは、「現地は全員、裸足です。靴が売れるとは思えません。今から帰国します」という報告がありました。ところが二人目の営業からは「現地は全員、裸足です。靴が大いに売れると思います。また報告します」と連絡があったのです。
同じ現地で、同じように裸足を見たのに、全く違う理解、対応をしています。
この違いはどこからくるのでしょうか。
いろいろな理由のなかでも、まず「何のために営業をしているのか?」「営業の使命と役割とは何か?」を本人がどこまで理解し、どのような価値を感じているか、ではないでしょうか。
人事が理解している「人事の役割」と、経営が期待している「人事の役割」が、そもそも食い違っている場合がありませんか。
経営と人事が同じモノを見ても、理解が違えばその価値も対応も違ってきます。つまり理念などの上位の思いは、経営と人事に理解の差はなくても、それを具体的にしていく過程のどこかで、共通言語がないためそれぞれがバラバラな思いによる行動に移ってしまうのです。
人事の役割を認識し合うことができるか
人事の役割を、人事自身はどう理解しているのか、そして、経営はどう期待しているのか。そもそも、この認識が違っている限り、コミュニケーションも不十分で経営戦略と人事戦略も決して、密な関係になれません。その結果、それぞれが主張しあった戦略に終わってしまいます。
このような状態では「人」の戦略においても、経営と人事とは統合性もなく、一貫性も感じられません。こうした食い違いを認識していても、どうしようもないと諦めてしまう経営陣も少なくないようです。
こんな事例があります。
ある経営が「グローバル経営を強化するために、今後3年間でグローバルで通用する人材を今の倍に増やしたい」と考え、これに対する人事戦略を人事に求めました。
これに対してできあがった人事戦略には「外人による英会話教室を社員のレベルにあわせて3クラスを設ける。クラスは毎朝、就業時間前に行う。また、その研修成果を確認するためにTOEICを受験させ、before-afterを検証する。TOEIC750点を取得できればグローバルで通用するレベルと定義する。なお、研修予算は昨年比の3倍は必要となるが、これによって海外での活躍が期待できる人が増えると思われる」と、ありました。
経営は本当にこのような人事戦略を求めていたのでしょうか。
人事の戦略は、社員の平等性を重んじた、日本人のための英語強化策でした。
一方、経営は公平性を求め「グローバル人材の適性を見極め、その適性と強みを活かした活躍の機会を、広く日本人だけでなく全世界の社員に与えたい」と考え、これを具現化するための方法を求めたのでした。この経営の思いについては、この企業の経営ビジョンを読めば明白でした。
しかし経営ビジョンは同じなのに、人事の見ていたビジョンや風景の見かたは、経営の描いたものではありませんでした。「人」を日本人だけに絞った人事と、全世界の全ての「人」を見ていた違い、グローバルで通用する語学に絞った人事と、適性や個人の強みを考慮したい経営の違いはとても大きなものです。この違いは、先の「アフリカでの靴の営業」と同じではないでしょうか。
このように、経営と人事の間に厚い壁があると、経営戦略を実現させるための人事戦略に、不安と疑問を感じます。
これは、“求める人材要件”を作成する時にも出てきます。
概要レベルは同じでも、具現化すると明らかな違いが生まれてしまいます。こうなるとタレントマネジメントによる人財マネジメントに将来変えたとしても、経営が求める「人」マネジメントと、人事が考えている「人」マネジメントの間の壁が取られないまま部分最適しかなされず、全体最適も統合化もできないままのタレントマネジメントになってしまいそうです。残念ながらこうした事例はゼロではありません。
タレントマネジメントを共通言語とする
タレントマネジメントは、「人」のマネジメントのツールです。タレントは、人財です。資産の概念が入ります。これまでの人材の資源の概念とは全くちがいます。
まず、人財に対する人事の役割を明確にしなければなりません。勝手な役割ではなく、経営が期待している役割です。そして、現場のマネージャの役割にも人財の定義が必要です。
また、社員にも本人としての人財に対する考え方を、リセットしてみる機会も必要となります。
このように、タレントマネジメントのツールを利用する対象として、経営陣、人事部、現場のマネージャ、そして、社員がいます。つまり、全従業員です。これらの全ての対象者が、同じタレントマネジメントという共通言語でコミュニケーションができないと、タレントマネジメントの本来の効果は得られません。
タレントマネジメントの本来の効果や本質を理解することができれば、マネジメントツールとしての共通言語が生まれ、経営と人事との溝、人事と現場マネージャとの壁も排除することができます。
タレントマネジメントは、社内における人財マネジメントの共通言語です。
共通言語として使うためには、
・まず最初に、人事の役割の見直しから始めます。経営が期待する役割、経営戦略に貢献できる役割、長期的に企業成長を支えることができる役割の見直しを検討します。
・次に、タレントマネジメントによる統合化、全体最適化された人財マネジメントの実現化の検討が必要です。
では、経営目標・経営戦略に貢献する「人」、その人財(タレント)について、次回の第3回目で理解を深めていきます。あわせて、タレントマネジメントの定義についても理解をします。
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