「ブランドの維持」が日本大学の問題の原因だった?
日大は、歴史を遡れば、学生運動華やかりし頃の「全共闘」世代の残滓を一掃するために、体育会系の人材を重用するすることで大学をマネジメントしてきた。その象徴が、相撲部出身の前理事長である。今でもその周囲の人間や組織風土は残っているから、2018年の「悪質タックル問題」から、わずか5年で別の問題を起こしてしまった。この原因は、当時の監督を更迭し、他大学出身の監督を招聘してアメフト部の再建を図っていたにもかかわらず、「3年契約満了」を形式的に遵守し、日大アメフト部OBを中心とした首脳陣に入れ替えてしまったからだろう。新しい理事長は作家の林真理子氏となったが、彼女もまた日大OGである。
私立大学の場合、職員が当該大学出身のOB・OGで固められていることが多い。日大がそうだと言い切れる確証はないが、もしそうであれば「日大は日大出身者で固められたブランド」であり、それを維持することが至上命題であったのかもしれない。これはあくまでも筆者の考えだが、大学の本来のミッションである「学生への教育サービスの提供」が置き去りにされ、学生は「モノ」扱いされてしまった、と言えば言い過ぎだろうか。
経営の失敗を従業員に押し付けたビッグモーター
一方、ビッグモーターは日本の人口の塊の一つである団塊ジュニア世代をターゲットに、人口増加の波に乗って急成長を遂げた企業である。しかし、人口減少に転じてもなかなか過去のビジネスモデルから脱却できず、拡大路線に固執してしまった。時代背景が変わったのに、同じ事業戦略を続けるから上手くいかない。そうすると、経営陣は過大なノルマ、理不尽な過重労働を疑うことなく現場に強いてしまう。その結果、業績が上がらない現場は不正に手を染めざるを得なくなる。筆者には、経営の失敗を従業員を「モノ」扱いすることによって、問題をすり替えた結果に見える。
「定年再雇用」の運用は機械的過ぎないか?
大学はともかく、ビッグモーターのような企業は潜在的に多く存在しているのかもしれない。これらと同列に論じたらお叱りを受けそうだが、ほとんどの企業で行われている「定年再雇用制度」も、従業員を「モノ扱い」する制度だと言えなくもない。ご承知のとおり、高年齢者雇用については、2021年4月から「70歳までの継続雇用制度の導入」などが事業主の努力義務となった。人手不足も手伝って、70歳まで働ける社会へと環境整備が進んでいるのは周知のとおりだ。
事業主側は、「生産性向上」が目下の課題である状況下で、定年後の従業員の有効活用に頭を抱えるケースも多い。従業員側も、継続雇用によって仕事の質が下がり、賃金などの処遇も悪化する。しかし、長年培ってきた経験や能力を生かせないために働く意欲が低下しても、「食べていくためには従わざるを得ない」というのが実情だろう。要は、ここで生起している問題は、意図的かどうかは別にして、「人心を忘れた企業の論理」で事が進んでしまっていることである。つまり、企業が構築した仕組や運用が、人を「ヒト」として丁寧に扱えていないことに気づいていないのである。
「ヒト」は現役を引退すると、その能力は急速に劣化する。仕事についていえば、「現役」を離れ、数年も経過すればほとんど白紙に近い状態に力が衰えてしまう。スキルや仕事を考える上では「現役」を辞めさせるのは厳禁だ。
「1日練習を怠ると自分にはわかる。2日怠ると批評家にわかる。3日怠ると聴衆が分かる」。これは、ポーランドの首相も務めたピアニストのイグナツィ・パデレフスキの言葉だと言われている。このように、仕事をする・させるうえでは、現役を引退させてはならないのだ。名実ともにである。
確かに、定年再雇用やその先の継続雇用は、形式的には現役の続行ではある。しかしながら、彼らの人心を覗くと「実質引退だ」と思わせてはいないだろうか。労働組合の機能が弱くなった今日、従業員の声が企業に届きにくくなっている分、問題が顕在化することは少ない。企業はそれに安住してはならない。定年後の継続雇用制度は、従業員目線で再考する時期に差し掛かっているのではなかろうか。
最後に、下図は筆者がセミナー等でよく使用する「3人のレンガ積み職人の話」である。「モチベーションアップ」に関するものであるが、これを事業主側・従業員側ともに理解するようにしよう。
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