来年度から上場企業に課せられる「人的資本についての開示」においては、「人的資本可視化指針」にて「ビジネスモデルや経営戦略の明確化、経営戦略に合致する人材像の特定、そうした人材を獲得・育成する方策の実施、指標・目標の設定などが必要となる」と示されています。しかも、経営者自らが投資家との対話を行っていく上で語りかける、経営戦略と関連付けられた「ナラティブ」をどう構築していくか、それもなかなかの難題です。
人事は「人的資本可視化指針」をどう読み解けばよいのか――投資家目線からの人的資本開示についての解題(第3回)
ネット上に氾濫する「人的資本の可視化」に関するHR業者による記事、HPなどを読むと、コンサルティング仕様で、いくつかの箇条書きにして抽象化したメソッドのオンパレードという印象を持ちます。

きれいにまとめられてはいるものの、「経営に資するHR=戦略人事」って、具体的にどうやっていけば良いのか。どう、有価証券報告書にHR関係のものを掲載していけば良いのか。

要するに、「それで、私たちは何をすれば良いのか?」「どのように開示したら良いのか?というテクニカルな話だけではなく、本当に大事なことは何か?」と問いかけたくなるのがHRの方々の偽らざる気持ちではないでしょうか?

その答えは、この問題を考える上でそもそも本件が、「投資家目線」でのHR=人的資本への投資(採用、育成、制度改革)を通した経営改革、企業価値の向上という本質に立ち返って、「どういうことを書けば投資家は満足してくれるのか?」と考えることがヒントになるのではないでしょうか?

さて、その前に、「投資家とは何なのか?」。具体的に、人的資本の開示と関連付けて意識しなければいけないその思考法、行動について、以下のように整理してみました。


【1】
機関投資家(年金基金、信託銀行、生保、金融機関など)あるいはカストディアン(投資家の委託を受けて株式を保管する機関。議決権行使を代行する場合もある)などの受託者責任のある機関が、行動指針(スチュワードシップ・コード)に則って、人的資本の開示によって明らかになる経営状況について不十分であれば、会社名を公表したり、株主総会の議決権を行使したりする。

※HR面では……「人材育成、リーダーシップ分野」「労働慣行分野」「健康安全分野」「多様性分野」の4つについて定量的な数字を投資先企業で評価することになると思われる。

【2】
投資家として、投資先企業(あるいは投資候補先企業)における今後の企業価値増大が見込めるかどうかを判断し、売買の基準とする。

※HR面では……HRは、企業の経営戦略の巧拙やその実行可能性、ひいては企業価値増大を支える大きな要素である。HRについて有効な制度が構築されていて、運営がなされているかを評価する。

「人的資本可視化指針」から紐解く経営戦略とHRの関係性

投資家の思考法、行動と言うものはHRや一般の企業人にはわかりにくい所もあるかと思いますが、このように人的資本開示におけるアウトプットを投資家目線で考えたときに、重要なことは、SDGs、ESGなど社会的責任を果たしている企業なのか(上記【1】)ということを押さえた上で、「企業価値が増加するための経営戦略を遂行できるようHRは構築されているのか?」(上記【2】)ということに尽きるのです。

このようにスパッと一刀両断にしてしまえば、内閣官房「人的資本可視化指針(※)」に出てくる経営とHRの関連を示した「価値協創ガイダンス」や「ROIC逆ツリー」と言った概念も、同指針がはっきり「可視化に向けた準備」、つまり「手段」に過ぎないことがわかります。

※:内閣官房「人的資本可視化指針」

すなわち、これまでの経営のあり方(過去)、今の経営(現在)、さらには、これからの経営戦略(未来)について、「上手くいっている」「上手くいっていない」両方について、過去であれば「どこが良かったのか?悪かったのか?」をHR面から検証することが有効であり、そのためのツールが「価値協創ガイダンス」などなのです。

その証拠に、同指針でも明確に、上記のツールは、「準備」としているのです。ただし、準備なので、その検証内容をそのまま開示する必要はありませんし、もちろんこのツールを使って検証しなければいけないわけでもありません。

投資家への開示を意識して、経営を各部分にブレークダウンして検証し、それをHR面からも検証する……。そうしたことを踏まえて、「このHRの運営であれば、きっと経営は上手くいき、企業価値が増大するのですよ」と経営者自ら語ることが重要なのです。

但し、注意を要するのは、筆者が「経営が上手くいく」と書いた内容は、例えば、「前年比8%で売上がアップし、利益も……」と言った「小さな」成果ではない、ということです。
VUCAの時代に、グローバルで戦っていく際に勝ち組になれるようなドラスティックな改革、多くはビジネスモデルの見直しや、破壊的イノベーションを推進していけるような経営です。投資家が望んでいる、人的資本の開示というのは、突き詰めて言えば、そういうことなのです。

例えば、「弊社は経営改革として……を推進していきます。そのためにその分野でのトップクラスの専門人財を相当数採用し、また全社的な取組みとして、全社員に〇〇について付表のように整備した研修プログラムの受講を必須とし……」というようなことこそが、投資家が聞きたい「ナラティブ」の内容なのではないでしょうか?

有価証券報告書で言えば、「【経営方針、経営環境及び対処すべき課題等】」に経営方針、経営戦略が書かれていますが、ここに人的資本を意識したナラティブの記述が出てくるはずなのです。
 
さらに、有価証券報告書では、「人的資本可視化指針」に示されているように、「人的資本に係る『人材育成方針』、『社内環境整備方針』やこれと整合的で測定可能な指標(インプット、アウトプット、アウトカム等)やその目標、進捗状況等を開示」が欠かせません。また、任意開示においては、「『統合的なストーリー(2.2.)』を基礎として、統合報告書や長期ビジョン、中期経営計画、サステナビリティレポート等)を戦略的に活用」も必要になるでしょう。

これまで、新たな経営戦略を実行する場合には、組織を新設したり、M&Aを実施したりということが中心だったわけですが、これにHR面での対応策が組み込まれ、開示されるのです。

筆者の言うことに賛同いただけるのであれば、人的資本の開示、とりわけ経営者自身の「ナラティブ」については、以下のように考えるといいでしょう。

・色々なHR業者が提示する、複雑なメソッドは、活用する場合にも、あくまでも経営やHRについての「検証ツール」として使う程度に留める。
・むしろ、会社の経営戦略一つひとつについて、それを支える自社のHRは十分であるかを「問いかけ」、不十分であれば、制度の見直し、採用の見直し、育成の見直しを、そうした文脈で整理し実行する。


HRと経営戦略を連携させて検討すれば当然、これまでの「メンバーシップ」オンリーのHRの制度ではモタず、ジョブ型雇用や専門職制度も必須でしょう。まだCHROが任命されていない場合、それはMustでしょうし、HRBPのようなアドバイザーが必要かもしれません。中途採用や研修への投資増大、そして昇格時の階層別研修に終始していた企業であれば、経営戦略、経営改革に資する形での研修が必要になってくるなど、質的変革なども経営の重要課題となってくるでしょう。

「スキル」や「コンピテンシー」(行動特性)についても、強化していかざるをえないものと思われます。経営戦略をきちんと策定し、実行していく人財を採用・育成していくことが人的資本開示開始以降のHRの大きな使命になるからです。

次回は、ナラティブ構築のためにHRが今後やるべきことについて、具体的に、わかりやすく書きたいと思います。
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