地域によって全く文化が違う、もともと“ダイバーシティ”なインド
稲垣:まず、簡単に自己紹介をしていただけますでしょうか。柴田:大学卒業後に人材系の会社でキャリアをスタートし、人事系のコンサルティングを経て、その後は人材紹介会社の立ち上げなど、日本では主に人材系の仕事をしておりました。そして2012年より、インドのバンガロールで海外研修事業や日本への人材紹介事業などを開始し、以来10年間研修事業を運営しております。それと同時に、同じくインドで日本人向けのフリーペーパーの事業を行っており、バンガロールを皮切りにチェンナイ、デリー、ムンバイと、インド国内の主要4都市において各地域雑誌を刊行しておりました。2020年3月にコロナの影響でストップしましたが、そのフリーペーパー事業によって、ホテルやレストラン、スーパーマーケットなど、インド全土で約3000社ほど取引先があったため、今はそのネットワークを生かして、日本から食べ物やお酒、工芸品などをインポートする事業に発展しております。
稲垣:インドに非常に精通している柴田さんに、インドの文化を聞いていきたいと思います。私はインドには出張で一度しか行ったことがないのですが、正直その一度の訪問ではこの国の文化を理解できませんでした……(笑)。インド・デリーへの出張は今から5年ほど前だったのですが、噂に聞く通りすべてが交渉、交渉、交渉……という状況で、予約したはずのホテルの部屋もきちんと押さえられておらず、大変困った記憶があります。一方で、多くの起業家の方々とお会いしましたが、みなさんエネルギーが溢れており、日本の起業家とは比にならないという危機感も覚えました。
柴田:そうですね。それは一般的なデリーの文化かと思います。しかし、日本でも大阪と京都でキャラクターや仕事の仕方が違う部分がありますよね。例えば、京都の場合はとてもコンサバティブなビジネススタートをするなどですね。インドについても、広大な土地に26の州があるため、州ごとにかなり見え方が変わってくる国なんです。いろいろなインドセミナーで分かりやすい事例としてよくお伝えするのは、インドを“EU”だと思っていただくこと。例えば、稲垣さんがイタリアに行って帰ってきた時に、日本人に「EUはどうでした?」と聞かれることはないじゃないですか。しかし、インドのムンバイに行って帰ってきた人に、「インドはどうでした?」と聞くのは、「EUはどうでした?」と聞いているのと同じことなんですよね。イタリアしか見ていない人がEU全体を語れないのと同じで、同じインドの中でも、デリーとムンバイとでは全然違うんです。この「全然」というのは、例えば日本でいう沖縄と北海道の違いなんかよりも遥かに大きな違いですね。言葉も違う、食事も違う、文化も違う。さらに言うと、人種も違います。そこに、収入やカースト、宗教の違いも入ってきます。インドには「ダイバーシティ」という言葉はありません。そもそも、“多様性”しかないんです。私は、それがインドの一番の魅力だと思っています。ビジネス的に優秀な方は飛びぬけて優秀です。グーグルもマイクロソフトも、IBMもスターバックスも、インド人が社長になりました。また、最近の大きなニュースとしてはイギリスの首相がインド人になりましたよね。さらに日本でも、あの亀田製菓の社長がインド人になりました。いまやインドでは、「カリカリ」というブランド名で大躍進しています。
稲垣:“地域による違い”が特徴のひとつということですが、どのような区分ができるのですか?
柴田:まず民族が違うので、大きく「北」と「南」で分かれます。デリーに代表される北の地域は、過去にアレキサンダー大王が攻めてきたときの、「アーリア系」といわれるアーリア人です。どちらかというと狩猟民族系で、戦闘を好む人たちですね。一方、南のバンガロールやチェンナイは、元々インドの地場にいた「ドラヴィダ系」という農耕民族系なんですよ。
稲垣:北と南でそもそもの民族性が全然違うんですね。では、ムンバイはどんな地域ですか?
柴田:ムンバイはまた少し変わっているんです。元々、イギリスの統治下の時代の首都が現在のムンバイで、当時はボンベイといわれていた場所でした。ボンベイは港町で、今アジアのハブはシンガポールといわれていますが、大航海時代にヨーロッパからアジアに行く時には、アフリカの方や希望岬を回ってきて、最初にアジアに行き着く地点がボンベイだったんです。ボンベイにいろいろな人たちが集まるので、いわばコスモポリタンですね。ぱっと見ではギリシャ系の人にも思えるような、ヨーロッパ系の顔のインド人もたくさんいますし、もちろん北のアーリア系の人たちも、南のドラヴィダ系の人たちもいて、ムンバイという町は非常に特殊です。インドの中では最もオープンマインドで、ヨーロッパ、アフリカ、アジアのカルチャーが融合しています。
“世界で活躍するインド人”は少数民族出身ばかり
稲垣:素人質問で恐縮ですが、日本人が抱く代表的なインド人のイメージとして、“頭にターバンを巻いている人たち”がいますよね。彼らはどういう民族なんですか?柴田:頭にターバンを巻いた人たちは、日本人からすると“ザ・インド”ですよね。実は彼らは「シーク教徒」と呼ばれる人たちで、全体の2%もいないんですよ。それにもかかわらず、なぜか「インド人=ターバンを巻いている」というイメージがあるじゃないですか。シーク教徒の人たちというのは優秀でビジネスセンスに長けているため、どんどん世界に羽ばたいていった人たちなんです。アメリカやヨーロッパ、中東に行き、そこでとても優秀なビジネスをやっていたことが、「インドの人はターバンを巻いている」というイメージにつながったといいます。
稲垣:わずか2%の人たちが優秀すぎて、そのイメージが根付いたんですね。
柴田:そのほかに少数民族で有名なのは、南インドのタミル・ナードゥ州にいるタミル人です。実はシンガポールにいるインド人の9割はタミル人で、シンガポールの公用語はタミル語なんですよ。あとは、マレーシアやスリランカといった東南アジアにいるインド人も、タミル人が多いです。ちなみに、日本にいるインド人で最も多い民族もタミル人です。
稲垣:タミル人も世界に羽ばたいているんですね。
柴田:世界中で活躍しています。グーグルのサンダー・ピチャイもタミル出身です。しかし、実はインド人からすると、タミル・ナードゥは特殊なんです。他の民族からは、「タミル人は生真面目すぎる」と言われます。時間を守るし、堅物で融通が利かない。そのため当地に長くいる日本人は、「日本人はタミル人と合う」と言っているんです。タミルの人たちもシーク教徒同様優秀で、どんどん世界に羽ばたいていったという経緯があります。そのため、東南アジアや日本、アメリカなどにいる優秀なインド人には、タミルの人がとても多いです。ちなみに、「タミル人だから優秀だ」というわけではなく、デリーの人もムンバイの人も優秀ではあるものの、彼らには国内でも活躍できる場所があったんです。また、もう一つ面白いのがケララ州です。この州は最も国際空港が多い場所で、州内に4つも国際空港があるんですよ。
稲垣:なぜそんなに国際空港が集まっているのですか?
柴田:実は中東で働く人たちのほとんどがケララ出身であるためです。彼らは非常に優秀で、ケララ州はインドの中でも識字率がダントツで1位なんですよ。ケララの人達はデリーなどに行かずに、ドバイやアブダビ、サウジアラビアなどに活躍の場を求めるんです。私も4~5年ほど前に、ドバイでビジネスやろうと1年間くらい通ったことがあったのですが、そこで出会う優秀なインド人は全員ケララ出身なんですよ。
稲垣:ケララの人たちも、世界に羽ばたいて活躍しているんですね。
インド人を見極めるコツは「地域性の違い」をまず理解すること
柴田:今のアメリカのIT業界では、南インドの人が非常に多いんですよね。そういう人たちは、ダイバーシティの宝庫のような国で育ち、それでいて南インドについてはとても温厚な人が多いため、議論は好むものの、北インドほどの激しい言い合いはあんまりしないんですよ。ちなみに、インドの地図の右上にはノースイースト・インディアという地域があって、そこの人たちは僕ら日本人と同じ顔をしています。「セブンシスターズ」と言われる7つの州でできているこの地域はミャンマーと近く、タイやミャンマーのいわゆる「モンゴロイド系」と言われる人たちが、だいたい8000万人ぐらいいます。稲垣:ほんの少しわかってきました。本当にインドを1つの文化としては括れませんね。
柴田:単純に「インドでビジネスをする」と言っても、どの地域のインド人と組むかによって、“できること”と“できないこと”が変わってきます。それを日本人が理解せずに、インド人をひとくくりにしてしまうと上手くいかないですね。これについては、例えば稲垣さんが作っている適性検査「CQI」をあらゆる地域のインド人に受けてもらえば、文化の違いが見えてくると思いますよ。おそらく、“東南アジアの各国の違い”のような差が、インド国内だけでも出てくるはずです。日本は比較的平準化されているので、平均を取りやすい国だと思うのですが、冒頭に言ったようにEUを平均化することができないのと同じで、インドでは平均がほぼ意味をなさない。まさに世界一の“ダイバーシティ”の国ですね。
対談を終えて
私は「CQI」という検査を通じて、その人や組織の持つ文化を紐解いているわけだが、インドをいかに理解できていなかったかを知り、恥ずかしくなった。結局、インドとはどのような国なのだろうか。柴田さんに聞いてみた。「インドの方には、『インド人であること』に対するアイデンティティはあるのでしょうか?」
柴田氏はこう答えてくれた。
「私がインドを離れることができない大きな理由のひとつがそれです。今、『こんなに違いがある』って言ったじゃないですか。それなのに、「なぜ彼らは1つの国なんだろう?」ということです。しかも、みんなインドが大好きなんですよね。それがなぜなのかはわからないです。私は、それがわかるまではインドを離れないでおこうと思っているんですよ」
「インド」という国を一つに括って表現することはできないし、その必要もないのだろうと筆者は感じる。柴田氏が日本に帰ってくるのはまだまだ先になりそうだ。
EIJ Consulting Pvt.Ltd. Founder & CEO
2004年上智大学文学部新聞学科卒業後、株式会社シンカ入社。20代は人事採用コンサルティング領域から人材紹介業までHR領域を一通り担当。2012年にインドのバンガロールに移住し、在印邦人向けの日本語無料情報誌事業を創業。デリー、ムンバイ、バンガロール、チェンナイの4都市で事業展開。2018年よりインド人エンジニアの日本企業への紹介事業をスタート。コロナ渦で日本産品のインド市場へのエントリー支援事業をスタート。インドビジネス歴11年目。
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