【これまでの連載】
※「マルチジョブホルダー制度」の意味やメリットとは? 雇用保険法の改正を契機に「副業・兼業」促進の流れも振り返る
※4つの視点から考える「副業・兼業」のメリットとその事例とは
※ガイドラインや裁判例が示す「副業・兼業」のリスク管理と企業が推進するうえでの4つのポイントとは
「プロティアン・キャリア」と副業・兼業の関係性とは
数年前からシニア活用の文脈で「プロティアン・キャリア」という言葉を目にするようになった。米ボストン大学経営大学院のダグラス・ホール教授によって1976年に提唱された概念で、環境変化に応じて柔軟に変わることのできるキャリアモデルのことを指す。ちなみに「プロティアン」という言葉はギリシア神話に登場する、火や水、獣に変わることができる変幻自在なプロテウス神に由来する。プロティアン・キャリアはシニア活用に特化したものではないが、日本で出版される書籍の多くが比較的シニアに焦点を当てている。それらの書籍の中では、個人がキャリア自律をし、環境変化に対し変幻自在に対応していく有効な施策として「副業・兼業」が挙げられており、現在の仕事を辞めずにプロティアン・キャリアを実現できるとしている。
通常、年齢が高くなるとポストの数が減り、役職定年等によりポストを外れることもあるため、将来への不安が生じやすいと言われる。ただ、現業以外に副業・兼業に従事し、会社以外に活躍の場ができると、自分の能力はまだ生かせると感じ、副業・兼業先だけでなく、現業においてもモチベーションの向上が見られるという。
一歩現業の外へ踏み出すことで、さらに新しいことへの挑戦にも積極的になるかもしれない。定年後のシニア社員をどのような職務につけたら良いかと悩む企業は多いが、「仕事を与える」という一方的な考えでは限界があり、一人の意欲ある現役社員として、業務に従事し続けられる状態を作ることが大切である。
シニア社員の副業・兼業に向けて重要な「アンラーニング」と「リスキリング」
一方、新卒で入社し、長年同じ会社で総合職として異動を繰り返してきた50代の方々の中には副業・兼業でつまずいてしまう人がいる。よくある話として部長が部長然とした姿勢のまま他社で働こうとしてうまくいかないケースや、そもそも培ってきた知識や専門性がそれほど売れる代物ではないことがある。業務に根差した高い専門性を持つ方もいるが、特に40代・50代の管理職の中には保有する知識や専門性にあまり深みがなく、自分が所属する組織以外では高い成果を出すことができない人がいる。選択する仕事内容にもよるが、副業・兼業でつまずかないためには、肩書や過去の成功体験を捨てて学び直す「アンラーニング」と「リスキリング」が大事であろう。シニア社員の副業・兼業を推奨するある企業では50歳の社員を対象に行うキャリア研修の中で、この「アンラーニング」と「リスキリング」の心構えを伝えつつ、豊富なラインナップを揃えたeラーニングを提供している。副業・兼業においては、普段接する固定メンバーとの役職や職責の違いにより成り立つ関係とは異なり、若い世代も含めた他者と協業し、自分に求められていることを謙虚に考え、臨む姿勢が必要である。こうした壁を乗り越えようとする者にはプロティアン・キャリアへの道が開けていくのだろう。
シニア社員の「キャリア自律」に関する企業事例
シニア社員のキャリア自律の課題に対し、企業側でも各種対策を打ち始めている。ある食品メーカーでは50歳の節目にキャリア研修と面談を行っている。同社キャリア支援室長は、「70歳まで働く時代がすぐそこまで来ている今日、50代はこれまでのシニアではなく、かつての30代後半や40代といった中堅クラスに位置し、現役としてまだまだ働いてもらう必要がある」と話す。実際のキャリア研修では過去を振り返りつつ、副業・兼業の道も提示しながら、さらなる成長のために環境適応力の向上や個別の強化課題の整理を行っている。キャリア支援に積極的なある電機メーカーでは、「50代になって初めてキャリア研修を行うのでは手遅れだ」と主張する。キャリア自律には成功体験が必要で、20代から定期的に自身の経験を棚卸し、アセスメントや周囲からのフィードバック等を通じて強みや適性を見出し、自身の成長課題と行動計画を立てる節目研修を続けており、シニア社員のキャリアデザインにつなげている。
あるIT企業では、人事部長がミドル・シニア向けのキャリア研修の冒頭で必ず語る言葉がある。それは「再雇用は保険」だ。同社では副業・兼業を容認し、社員には会社に縛られた働き方ではなく、自ら考え行動し、キャリアを自身で築くべく、外の世界を見ることを推奨している。副業・兼業であれば現在の仕事を失うことなく、失敗しても雇用は維持される。実際うまく行かない場合も、報酬は下がるかもしれないが、「再雇用というセーフティネットがある今だからこそ挑戦するべきである」と語る。
シニアに向けた副業・兼業の推奨は、見方によっては社員を社外に転進させ、代謝を促す取り組みだと捉えられるかもしれないし、実際そうした意図もあるだろう。ただ、終身雇用という枠組みの中で、企業が社員の雇用を守ることばかりに奔走するのも限界がある。個人の幸せは人それぞれである。雇用と一定の処遇を守るため、会社の指示の下で高い専門性も身につかぬまま働き続けさせることは、各人のウェルビーイングにはつながらない。人事部門には、過去のしがらみや短期的な感情に流されず、中長期の視点で組織と個人の望ましい姿を描き、施策を展開してほしい。
「業務委託型」による副業・兼業の可能性
話は少し横道にそれる。前回触れたように、副業・兼業を容認する企業の中には、労働時間規制が適用されない自営やフリーランスなどの業務委託型のみを許可するケースが多い。雇用型で労働時間の通算を行うことが現実的ではないという理由もあるが、70歳までの就業が求められる今日、業務委託型を率先して行うのも良いのではないだろうか。個人にとっては、雇用型に比べると業務委託型の方が相対的に、自らの知識や専門性をしっかり定義し、提供することが求められ、さらに責任が増すことで成長につながりやすい。しかも副業・兼業であれば、既存の雇用がありつつ、挑戦することができ、プロティアン・キャリアを築く上での助走期間として好都合だと言える。定年前から副業・兼業によって、フリーランスなどの業務委託型の経験を積んでおけば、再雇用だけではない定年後の選択肢も増えてくる。
他方、2021年4月に改正された高年齢者雇用安定法で努力義務として示された70歳までの就業確保措置の一つに、創業支援等措置という雇用によらない働き方がある。この働き方を実施するためには、雇用ではなく創業支援等措置を講ずる理由を含む各種計画を定め、過半数労働組合等との同意を得る必要があり、社内調整の面から導入は容易ではない。ただ、60歳前から業務委託型の副業・兼業を会社として実践していれば、70歳までの業務委託という就業確保対応も社員の納得が得られやすく、双方にとって選択肢も増えるのではないだろうか。社員を個人事業主化する制度を2017年にタニタが、2021年に電通が開始しており、労使双方にとって業務委託による就業確保は自然な選択肢となるのではないだろうか。なお、社員の個人事業主化に対してはネガティブな意見もあるが、個人の働く機会や選択肢を増やし、キャリア自律を促し、成長を促進する積極的な面は押さえておきたい。
企業が「副業・兼業」の施策に取り組むにあたって
厚生労働省は2022年7月に「副業・兼業の促進に関するガイドライン」を改定した。企業に対し、従業員の副業・兼業を許容しているかどうかや、許容する場合の条件をホームページで公表するよう促している。ガイドラインに罰則などの強制力はないが、今後経団連などと連携して開示を求めていき、副業・兼業を制限する企業がその理由を公表する動きが広がる可能性がある。こうした動きを捉えながら、自社にとって最適な働く環境を築いていってほしい。本連載は今回で最終回である。雇用保険の法改正に端を発し、副業・兼業について人事部門の役割やシニア活用の取り組みについて見てきた。全編を通じて筆者がお伝えしたいことの根底には、「一人ひとりが持てる力を十二分に発揮し、充実した職業人生を送るにはどうしたらよいか」がある。経営や人事に関わる側の視点からではなく、働く当事者としても、ぜひ自分自身の職業人生について考えてほしい。この連載が、個人と組織の持続的成長の一助となることを祈念する。
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