大山が救ったもの
大山は最大の恩人であり、師であり、兄とも慕う西郷の命を救うことはできなかった。が、西郷の志を救い、日本政府を救い、新たな日本の礎を創ったのである。西郷の自刃という形で終結した西南戦争における彼の胸中は、当時は誰にもわからなかったかもしれない。事実、遺族への弔慰金は突き返され、実の姉からは責め立てられた。が、月日を経て明治天皇巡幸に同行した際、天皇は、「私は西郷に育てられた。西郷は今賊となっているが私はそれが悔しい。西郷亡き今、私は大山を西郷の代わりと頼る」と語られるのである。
やはり信は信として返ってくる。彼の信念は正しかった。
大山の胆力の源泉は「人を信じる」点であると同時に「信は必ず信として返ってくるが、それには時が必要である」ということがわかっていた点にあるのであろう。
1916年12月死去。臨終の枕元には山縣有朋をはじめ多くの要人が集まった。その様子は大山家に元帥府が移ってきたようだったと伝えられている。さらに、国葬には駐日ロシア大使と共にロシア大使館付武官の少将が訪れ、「全ロシア陸軍を代表して」弔詞を述べている。かつての敵国の人間から、これほど丁重な弔意を受けるのは異例であろう。
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