公益財団法人 日本スケート連盟
スピードスケート強化部委員 情報部門責任者 紅楳英信氏
<インタビュアー>ProFuture株式会社 代表取締役社長 寺澤 康介
2018年平昌オリンピックで、見事日本が金メダルを獲得したスピードスケート・チームパシュート。3人団体での追い抜きタイムトライアルであるこの競技において、個の力では他国の上位競合チームに劣る中、日本は組織力で圧倒的な強さを見せつけた。その裏側には、チームとしてのパフォーマンスを大きく向上させる科学の力があったという。果たして、科学やデータはどのようにして活用されたのか。そして、このことは企業の組織パフォーマンス向上にどのようなヒントをもたらすだろうか。 今回のHRサミット2018の基調講演では、日本のチームパシュートを金メダルに導いた陰の立役者である、公益財団法人 日本スケート連盟 スピードスケート強化部委員 情報部門責任者 紅楳英信氏をお招きし、科学的な手法を取り入れるまでの経緯やデータ活用のポイントなどをお話いただく。
スピードスケートは2014年のソチオリンピックではメダル0に終わりましたが、今回の平昌オリンピックでは金3つ、銀2つ、銅1つ…と計6つのメダルを獲得されました。そしてチームパシュートを始めとするこの快進撃の裏側には、データの活用など科学的な取り組みがあったことが知られています。そもそも、こうした取り組みは、いつどのような経緯で始まったのでしょうか?
実は科学的な取り組み自体は、10年以上前から始めていました。2006年のトリノでメダルが0に終わり、その翌年、日本スピードスケート史上初の科学班が作られました。データの内容等は今とあまり変わっていませんが、当時はまだ「科学で何ができるんだ?」といった考えが残っており、また選手に対する伝え方なども一方通行で、うまく機能しない時代が続きました。そんな中、大きな契機になったのはソチオリンピックでした。またもやメダル0の惨敗に終わり、選手も連盟も危機感を持ち、一気に歴史的な変革が起こりました。それまでの企業頼りから脱却し、真のナショナルチームを結成。メダルを取るためには何をすべきか、ビジョンやプロセスを共有し合える一枚岩の組織へと生まれ変わりました。さらに史上初の外国人コーチ、ヨハン・デビット氏を招聘。彼は、日本のようにそれなりに力はあるものの燻っているチームを一気に引き上げることに長けており、チーム力はもちろん、選手個々の意識も大きく変えてくれたのです。
目標を明確にし、それに向けて組織を整えていったということですね。そうした中、一方通行だったという科学的なアプローチはどのように変化したのでしょうか?
我々が提供するデータを基に、コーチと選手が一緒に議論できるようになりました。つまり組織が変わったことで、選手への接し方や伝え方が大きく変わったということです。一方で我々技術スタッフの意識も変わりました。それまでの研究的視点から、選手の立場に立った実践的な視点へとシフトし、選手の持っている能力をいかに効率良く結果に繋げられるかを重視しました。スピードスケートというと、どうしてもスピードを追求しがちですが、重要なのは競合選手よりも早くゴールをすることです。そこで、隊列をどのように組めば空気抵抗が抑えられるか、どのようなコース取りや交代の仕方が有効か、といった視点でデータを分析・提供するようになりました。
コーチや選手の立場になって、彼らが使いやすいデータを提供することが大事であるということですね。
そうですね。今までは我々自身も、「このデータは素晴らしい」、「絶対にこのデータを使ったほうがいい」というスタンスで仕事をしてきました。しかし、いくら良いデータを提供できたとしても、実際に使ってもらえなければ意味がありません。よって我々科学スタッフも現場のことをより深く理解することが重要なのです。
日本のチームパシュートの隊列は非常に美しく、あのようなハーモニーこそ、まさに“和の力”だと感じました。
できるだけ近づき、できるだけ足を合わせることで、空気抵抗も抑えられるので、あのような形はずっと練習から意識してきました。日本人には互いを思いやるという部分があり、それが何より強みでしょう。我々としても、コーチの戦術や選手の特性を踏まえ、必要なデータを的確に提供したことで、チームの調和に少しは役立てたかと思っています。
科学的=合理的=西洋的という見方もできますが、そういった“借り物”ではない、日本選手に合ったやり方が功を奏したのでしょうね。しかし一方で、選手の間には科学に対してまだまだアレルギーのようなものもあったのではないでしょうか?
共有する目標はただ一つ、「勝ちたい!」ということ。そのためには何秒で滑ればいいのか、どんな滑り方をすればいいのか、その解となるデータを提供すれば、選手たちは納得してくれます。何も難しい数式を見せているわけではありません。小・中学校の数学レベルで話をしています。心理的な抵抗感が強いだけで、ハードルを下げてみれば、普通に話せる材料ばかりです。
科学やデータを活用し、組織・チームのパフォーマンスを高める重要なポイントとは何でしょうか?
コーチのヨハン・デビット氏は、事あるごとに「自分でしっかり考えなさい」と言います。おかげで選手たちは自ら話し合って考えるようになりましたし、我々スタッフも、彼らにより考えてもらえるようなデータを出せるようになりました。データだけでは何も教えてはくれません。あくまで議論の材料です。データに基づいて自分たちで考えて、議論することが大事なのです。今回の平昌オリンピックで日本のスピードスケートが成功したのは、まさに選手・コーチ・組織…これらがすべて繋がったからだと考えています。
企業における組織のパフォーマンス向上のために科学やデータ分析を活用するということは、紅楳さんが取り組まれていることとの類似性、興味を感じられることなどはありますか?
最近のメジャーリーグなどを見ているとマネーボールの影響か、データにこだわりすぎる故、本来の野球の目的から離れてしまっている気がします。スポーツでもビジネスでも、データを細かく分析しすぎており、データだけが独り歩きしてしまっては、本末転倒です。また、どんなに素晴らしいデータを用意しても、それを活かすための目的がぼやけてしまっては、データが無駄になってしまいます。データが有効に活用されるのは、目指すべきゴールが明確になっていることが前提ではないでしょうか。 私は人事の世界については詳しくありませんが、組織のパフォーマンスを上げるためには、組織そのものを整備し、目標を明確にして、社員の立場に立った使いやすいデータを提供することが大事だと思います。そういう中で社員一人ひとりが問題意識を持ち、自ら考え、お互いに議論を重ねていく。そうなれば、自ずと結果はついてくるはずです。
今回のHRサミット2018では、世界最先端のHRテクノロジーの有識者であるPwCコンサルティング合同会社 北崎 茂氏と、自衛隊で特殊部隊を創設した指揮官の伊藤 祐靖氏、そして紅楳さんという人事とは異分野のお二人を加えたお三方に、現代において組織のパフォーマンスをいかに高めていくことができるかについて語っていただきます。そこで最後に、HRサミット2018に参加される企業経営者の方々や人事の方々に向けてメッセージをお願いいたします。
スポーツの世界でもビジネスの世界でも、より良い結果が欲しい、成果を残したいという想いは一緒です。そのためにいかに科学の力を借りられるか。今回のオリンピックで私たちは成功を招くことができました。HRサミット2018では、この成功体験についてお話しさせていただきますので、もしビジネスの現場でヒントになるようなことがありましたら、ぜひご参考にしてください。また逆に、私自身もビジネスの世界から何か吸収できることがあればと期待しております。
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1980年京都府生まれ。筑波大学第三学群工学基礎学類卒業。 筑波大学大学院体育研究科修士課程修了。 陸上競技をしていたが、筑波大学入学後にスピードスケートを始める。 在学中からスケートの研究の補助的な業務を行うようになり、2007年から 日本スケート連盟スピードスケート科学班スタッフ、14年より科学班の責任者を務める。