社会人大学院が企業に提供できる価値とは何か〜K.I.T.虎ノ門大学院・三谷教授がめざす教育とその活かし方〜
K.I.T.(金沢工業大学)虎ノ門大学院 ビジネスアーキテクト専攻 主任教授 三谷 宏治氏
聞き手:ProFuture代表/HR総研所長 寺澤康介
教えることの難しさと面白さに惹かれて、経営コンサルタントから教育者へ
三谷さんはBCG、アクセンチュアなどで長く経営コンサルタントとして活躍されていたという経歴をお持ちですが、教育者に転身されたきっかけは何だったのでしょうか?
元々子供の頃から人に何かを教えるのは好きでした(笑)。友達に質問されて教えるということを自然にやっていて、それを通じて、教えることの難しさもわかっていました。自分が「本当に理解していること」でないと教えられないんですよね。何かを教えるということは、自分がそれをどれだけ理解しているかどうかの試金石でもあります。
コンサルタント時代もクライアント企業の幹部研修講師や自社の社員教育体系をつくることをしていましたが、そのうち自分の一番大きな価値は教育にあると考えるようになりました。6歳下の弟に、「ビジネスでバリバリやっていて、しかも人に教えるのが好きな人はあまりいない」と言われて、そうかと思ったせいでもあります。コンサルタントとしてのキャリアは40歳までと決めていたので、「じゃあ次は教育だな」と。
教育とは脳内のOSを作ること/入れ替えること
三谷さんは社会人から子供まで幅広く教えていらっしゃいますが、共通している部分はありますか?
社会人大学院生だけでなく、企業の経営幹部や新入社員、そして小中高校・大学生や親・教員向けにも教えていますが、根底にあるテーマは知識を伝えることではなく、決める力や発想力を身につけてもらうことです。
発想力なんて子供の方が得意で、経営者や管理職の方がダメですね。私は発想力研修でよく、なぞなぞや写真クイズを使います。席に座って考えているだけでは絶対に解けない問題、頭を切り換え、席を立って何かを測るとか、説明なしに机に置いてある道具を使ったらわかる(かもしれない)問題です。大人は口ばかりで手も足も動きません。頭の中で考えたり、与えられたものをただ眺めているだけ。席を立ってもいいか、道具を使ってもいいか、訊くこともない。訊く必要なんてそもそもないんですけどね(笑)。そういう凝り固まった頭や体を変えていくのが私の教育の目的です。「三谷さんの授業は、頭のOSの大幅バージョンアップみたいなもの」と看破した学生さんもいましたね(笑)
経営において決められる人と決められない人の違いは、全員が座っているときに立てるかどうか、多数決でマイノリティーになる覚悟、たとえば10人のうち3〜4人になる覚悟があるかどうかです。さらに、イノベーションを生み出す発想ができる人とそうでない人の違いは、10人の中の1人になる覚悟があるかどうか、いや、それを楽しめるかどうかにあります
いきなり殻を破ってそういう発想ができるようになるのは無理としても、小さなチャレンジを繰り返しながら慣れていくことはできます。だから私はなぞなぞのようなかたちで、そうした常識が覆る経験、手足を動かすことでの発想体験を何度も繰り返していくわけです。
シンプルな方法論を理解し、くり返して使える技にすること
三谷さんがK.I.T.虎ノ門大学院で実践していらっしゃる教育のコアはどのようなものでしょうか?
それはシンプルな方法論を、徹底的にくり返して身につけることに尽きます。多くの受講生は一般の社会人で経営コンサルタントではないのですから、分析手法を10も20も習っても仕方ありません。自分の会社や身の回りで、実際に使って役に立つ「技(スキル)」が身につくかどうかです。
そのためには、いくつもの方法論を伝えるのではなく、ひとつの方法論に絞って繰り返すことです。学習のためのケース(企業事例)は色々なものを使いますが、方法論はひとつに絞る。ゼミではあらゆるテーマを許容しますが、ゼミ生がその方法論を使いこなすことを求めます。頭で理解するだけでは人は変わりませんし、変わったとしても職場に帰ると元に戻ってしまいます。ひとつのことを繰り返すメリットは、理解するだけでなく、技術として体得し、応用できるようになること、実戦で役立つ、使える技術が身につくことです。
私の教育のコアは、これだけです。いたってシンプル。シンプルだから伝わるし、学んだ人が会社に戻って人に教えることもできる。チームでリーダー1人が体得すれば、それをチーム全体に伝えていくこともできるでしょう。いや、そうしてもらわないと価値がありません。
企業のイノベーションに欠かせないビジネスの「世界共通言語」と人事部の変革
日本ではビジネススクールのような大学院で学ぶ社会人が海外に比べて少ないだけでなく、企業には社会人大学院というものをそれほど必要と考えていない人も多いようですが、社会人大学院の意義・必要性を三谷さんはどのように考えていらっしゃいますか?
海外でMBAコースなどのビジネススクールが普及してきたのは、仕事やキャリアアップの役に立つからからです。ビジネススクールで学ぶことはビジネスの「世界共通言語」のようなもので、これを身につけていると、世界で使われている用語や論理の立て方、議論のしかたがわかり、世界中のビジネスパーソンと話ができます。一種の運転免許のようなものとして通用しますから、転職するにも有利です。
一方、日本には共通のビジネス言語が存在せず、各企業がそれぞれの言語で仕事をしているため、この「世界共通言語」が通用しませんでした。この言語がトップダウン型で、日本企業の強みであったボトムアップと相容れなかったこともあるでしょう。しかし、グローバル化が進んで、海外と仕事をする人たちが増えると次第にそうもいかなくなってきました。海外のビジネスパーソンと議論し、意思決定していくためには、今までの独自言語ではなく「世界共通言語」が必要になってきたわけです。
しかし、日本の企業には、まだその必要性に気づいていない人も少なくありません。特にビジネスの最前線に出て行かない人事は、必要性を実感しにくいということがあるように思えます。せっかく社員がMBAを取得してもそれを活かしていない会社もあるようです。
私が知っている例でも、海外MBAを取得したのに、学んだ英語や経営スキルをまったく使わない部署にわざわざ配属された人が多くいます。もったいないことです。しかし、一方でイノベーションを起こし、自分たちを変えようと真剣に考えている企業が増えていることも事実です。
大企業はイノベーションを行うとき、既存事業と並行して新規ビジネスを立ち上げることになります。そこですべてをゼロから作り出すのは非効率的ですから、既存事業で活用してきた開発や販売チャネル、マーケティングなどの力をもちろん借りていい。でも、「既存事業の力を借りるのは1〜2つの部門に留めよ」と米ダートマス大学の碩学ビジャイ・ゴビンダラジャン教授は言っています(『ストラテジック・イノベーション』参照)。特に「絶対に力を借りてはいけないのは人事、総務、経理などの間接部門だ」と。
なぜなら間接部門こそが、その企業本来の性質を決めているからです。情報収集・分析のスピード、お金の管理法やリスクの取り方、人材の採用・評価のしかたなどはすべて、既存事業を回すためにできています。その力を借りてしまうと、過去のやり方から脱却できなくなってしまいます。一般的に「人事部」はそうした企業の本質、過去の体質を体現する部門の代表格だともいえるでしょう。
会社がイノベーションを起こすとき、新規ビジネスを立ち上げるとき、大切なのは人事がそこで必要なことをどれだけ理解しているか、勉強しているか、自ら変えられるかです。これができなければイノベーションは必ず失敗します。
社内教育・OJTのよさと社会人大学院のよさ
「社員教育は社内教育・OJTで十分」と考えている人もまだまだ多いようですし、社外研修は現場から人がいなくなり、業務に支障をきたすからマイナスであると考える人も少なくありません。そうした人たちのために、社内のOJTと社外教育の比較を踏まえたうえで、社会人大学院のメリットを説明していただけませんか。
OJTのよさは圧倒的な緊張感とリアリティーです。自分の仕事や課題を通じての学びですから座学にはない真剣さがある。ただし問題もあります。そこには明確な方法論やフレームワークが欠けていることが多いということです。
企業に余裕がなくなってきているために、OJTが機能しなくなっているということもあります。人的な余裕がないので教える人がいない、あるいは失敗できる余裕がないので経験から学べないといったことです。OJTのよさは仕事を任せて失敗から学べることですが、その余裕がないとOJTがOJS(オンザジョブ・サポート)になってしまう。失敗する前にサポートするからトレーニーはいつまでたっても鍛えられない。失敗する過干渉型の子育てと同じです。
一方、社会人大学院のよいところは方法論があること、失敗する余裕があることです。ただし、そこで大切なのはいかにそれをしっかり使って自分の身につけるかです。そのためには、マスではなく少人数教育が、そしてゼミを通じた、徹底的なリアル題材による反復練習が必須とも考えます。われわれK.I.T.虎ノ門大学院にはそれがあります。そこで学ぶのは、単なる知識や机上の論理ではなく、あくまで実戦で使える技なのです。