社内での立場を示す「役職」
多くの企業は一定のルールに基づいて社員に「役職」を付与し、事業活動を営んでいる。社員に与えられた「役職」の間には上下関係が存在し、「役職」の集合体はピラミッド構造を形成するケースが多い。係長の上に課長がおり、課長の上に部長がいるといった具合である。また、企業における給与政策は、「役職」の上下関係に連動して受け取り額が変動する仕組みを採用する事例が一般的だ。課長の給与は係長よりも多く、部長の給与は課長よりも多いという企業が大半であろう。
そのため、多くの組織リーダーは、「役職」は社内における “身分” であり社員間の “序列” であると認識している。もちろん、「役職」にそのような側面が存在することは事実である。
しかしながら、「役職」を社内での “身分” や “序列” とのみ捉えるのは、組織リーダーとして必ずしも好ましい思考とはいえないだろう。このような価値観に偏り過ぎると、得てして「上の役職は下の役職よりも価値が高い」などの組織観に陥りがちだからだ。
「上の役職は価値が高い」との思いがトラブルを招く
「上の役職は下の役職よりも価値が高い」というような組織観は、企業運営上のトラブル要因となることが少なくない。例えば、部下に対するパワーハラスメントやセクシャルハラスメントなどのいじめ・嫌がらせ行為に及ぶ上席者の中には、「上の役職は下の役職よりも価値が高い」との組織観に起因する優越感・万能感を潜在意識に持つケースが少なくない。
また、リーダーが「部下には厳しいが、自身には甘い」、「自分のミスを部下に転嫁する」などの不適切な業務姿勢を有する事例では、「上の役職に位置する自分は部下よりも価値の高い人材である」などの差別感情にとらわれているケースも散見されるようである。
従って、組織リーダーが「役職」を社内での “身分” や “序列” とのみ捉えるのは、好ましいとはいいがたいのである。
“役割” の全うが組織を持続に導く
私たちの社会は、多くの人材の社会活動の成果に依存している。スーパーで買い物ができるのも、移動に交通機関を利用できるのも、医療機関で診療を受けられるのも、それぞれの分野で活動する人材が存在すればこそ可能になることである。つまり、社会を構成する一人ひとりが自身の “社会的役割” を全うすることにより、健康で安全で持続可能な社会体制が構築されるわけである。“社会的役割” の間には、難易度の違いはあっても優劣は存在しない。どんなに些細な “役割” であったとしても、その “役割” を担う人材がいなければ社会運営上は何かしらの不都合が必ず発生するからである。これが社会という名の組織が機能する基本的な仕組みである。
企業も同様であろう。企業内にも、当該企業の存続に要する多くの “役割” が存在する。そのため、企業の構成員である社員・役員の一人ひとりが自身の “組織における役割” を全うすることにより、健全で持続可能な経営活動が可能になるといえよう。
「役職」とは “役割” を示す呼称である
企業では社員の “組織における役割” を「役職」に紐付けて定義し、職務分掌などで整理するのが通常である。「営業部長の役割は〇〇」、「総務課長の役割は△△」といった要領である。つまり、「役職」は単に社内での “身分” “序列” を表すだけでなく、 “組織における役割” を示す呼称という側面も持ち合わせているのである。この観点に立脚すれば、「役職」の相違とは “組織における役割” の相違に過ぎないことになる。
“社会的役割” の間に優劣が存在しないのと同様に、“組織における役割” にも難易度の相違はあっても優劣は存在しない。仮に難易度の低い “役割” であったとしても、その “役割” を担う人材がいなければ少なからず企業活動にマイナスの影響を与える事象が生じるものだからである。
「役職」とは “役割” を示す呼称である。このような概念を理解していれば、下位者に対する不適切な優越感や万能感、差別感情も醸成されづらいであろう。組織リーダーの皆さんには、企業経営における「役職」の意義をいま一度振り返っていただきたい。
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