株式会社小松製作所 顧問 日置 政克氏
SAPは、経営課題に応える人事ソリューションを提供することで企業の成長を支援している世界最大手ERP(統合基幹業務システム)ベンダーです。
SAPジャパンで人事・人財戦略のコンサルティングおよびIT活用の提言を推進している南和気氏を聞き手とし、いま、多くの日本企業が課題とするグローバル人事戦略において先進的な取り組みを行っている企業へインタビューを行いました。「先進的企業に聞く人材戦略の秘話」を2回にわたってお届けします。
第2回の今回は、小松製作所の顧問、日置政克氏をゲストにお招きし、同社のグローバル経営と、それを支える人事戦略などについてお話をうかがいました。
日置 日本企業のなかでは早く海外に出たというアドバンテージが、当社にはあったと思います。海外生産は、ブラジルの工場を1973年、インドネシアの工場を1982年に立ち上げ、それぞれが40周年、30周年を経て歴史を重ねています。そういうなかで経験の積み上げがあります。海外志向も以前から非常に強かったのです。私が入社したのは1975年ですが、1973年にオイルショックが起こり、原油価格が4倍に跳ね上がりました。大変な問題でしたが、世の中が苦しんでいるなかで、実は当社の業績は良かったのです。オイルマネーの入った国々が建機を買ってくれたからです。私たちは「コマツは建機を輸出する商社のような機能を持ったメーカーだ」ということで入ってきたから、同期にはもともと海外で働きたいという人が多かったし、実際、サービス部門でもマーケティング部門でも、早くから大勢が海外に行っています。執行役員も、いまでは4分の3が海外駐在経験者です。
■80年代から「現地化は当たり前」
南 日置さんご自身も、人事部門で海外駐在を経験されていますね。日置 行きたくて自分で手を挙げ1986年にイギリスに行って工場を立ち上げ、ものづくりの現場の人たちと一緒になって仕事をしました。その次は、1988年にアメリカで立ち上げたジョイントベンチャーに赴任しました。2カ国で10年ほど駐在経験をしましたが、そのころから当時の社長が「経営は現地化だ」と言っていて、私たちも「現地化は当たり前だ」という発想でした。人事サイドから見ても、全米自動車労働組合(UAW)と交渉する場面などもあり、こういうことを含めれば、人事は絶対に現地の人でないといけないという信念を持ちましたし、人事に限らず、協業でやっていこうと考えてきました。
このアメリカのジョイントベンチャーでは、私が赴任していたときに社長だった坂根正弘会長が、「うちはヘッドハンティングでトップを据えない。中で鍛えて登用する」というメッセージを出していましたが、実際、現在の社長はそういう現地採用のアメリカ人です。この人が社長を10年務めて今度交代しますが、次の社長も同様に現地採用で長く勤めてきたアメリカ人です。
日置 当社は売上の85%を海外で上げています。しかし、ものづくりのベースはまだ日本にあり、もっとシフトしていける部分があります。たとえば、中国でいろいろやっていこうというとき、「中国でやると全部漏れてしまう」と必ず言われますが、一緒に腹を割って働いてきた人間から言うと、それほど違わないと思うのです。グローバル経営を拡大しようとするなら、カギになるのは、どれだけ海外の人たちと協業できるか、心を許して仕事をできる仲間が増えるかだと思います。
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