政府や労働組合などの働きかけもあって、近年「賃上げ」を実施する企業が増加傾向にある。実施を考えている、あるいは、実施すべきかどうか悩んでいる企業にとって、その意味や理由、背景などの理解を深めるのも効果的だ。本稿では賃上げについて詳しく説明し、賃上げ促進税制や賃上げ以外に考えられる人事施策についても解説していきたい。
「賃上げ」の意味や理由とは? 大企業や中小企業向け促進税制の内容のほかベアや昇給などの定義も解説

「賃上げ」の意味とは

まず「賃上げ」の意味や定義、考え方などを整理してみたい。

●「賃上げ」とは

「賃上げ」とは、従業員に支払う賃金を引き上げることを意味する。その考え方としては、「定期昇給」と「ベースアップ(ベア)」の二種類がある。

●「賃上げ」の考え方

・定期昇給
定期昇給とは、企業が事前に定めた基準に応じて定期的に実施される昇給を言う。ほとんどの企業は年1回、ないし2回設定しているが、決めたタイミングで必ず「賃上げ」が実施されるとは限らない。企業が設定した基準に基づいて、従業員の勤続年数や年齢、評価結果などを考慮し賃上げを行う・行わない、どの程度の上げ幅にするかが決定される。

・ベースアップ(ベア)
ベースアップ(ベア)とは、全従業員の基本給(ベース)を一律に引き上げることを言う。定期昇給とは異なり、従業員の勤続年数や年齢、仕事の評価などは一切関係ない。主にインフレ時や物価が上昇した場合に実質賃金を調整するために実施されることが多い。

「賃上げ」の理由や大手企業・中小企業向け促進税制について解説

次に、企業が「賃上げ」を行う理由や企業向けの促進税制について説明したい。

●これまでの「賃上げ」に関する日本の状況

まず前提として、長年に渡り年功序列制度が定着してきた日本企業では、昇給は実施していたものの、ベースアップには消極的であった。その理由は、基本給を一旦上げてしまうと容易には下げられないからだ。基本給の減額が労働条件の不利益変更に該当し、労働契約法に準拠すると労働者の同意なく行うことはできない。「どうしても下げたい」となると、労働組合等と交渉し労働者の同意を得る必要が出てくる。話し合いは難航が予想されるだけに、労働者側の納得を得ることは難しいと言わざるをえない。

ただ、企業としてみれば、いつ業績が悪化するかわからないという不安がある。もしもの場合には、ベースアップが企業財政を圧迫する要因になるのではと危惧せざるを得なかった。それゆえ、代わりに賞与の増額や特別賞与という格好で従業員に報いてきたのである。

それを踏まえて、日本の主要企業における「賃上げ」の推移を見ると、1993年までがピークであった。その年の平均賃上げ(妥結)額は1万1077円だが、以後はせいぜい7000円止まり。1万円を超えることはなかった。また、賃上げ率も1993年は3.89%だが、以降は2%前後に留まっていた。

流れが変わったのは2022年以降だ。組合員およそ700万人の労働組合の中央組織である連合(日本労働組合総連合会)が、2022年10月時点のインフレ率3.7%を踏まえ、次年度に5%の「賃上げ」を要求することを決めた。これをきっかけに、2023年度からの大幅な「賃上げ」に踏み切る企業が増えた。中には、最大40%もの「賃上げ」を行った企業もあるほどだ。また、対象も正社員に留まっていない。非正規社員であるパートタイムやアルバイトを対象としている企業も見られる。

その結果、2023年は大企業で1993年、中小企業も1994年以来の高い水準に引き上げられた。平均賃上げ額は1万1245円と、実に30年ぶりの高水準となった。背景としては、円安や原材料の高騰による物価上昇も大きい。そうした状況を鑑み、実質賃金を調整した感がある。

労働組合側は依然として、より高い水準の賃上げを要求する姿勢を打ち出しており、構造的・持続的な賃上げへの動きは、2024年以降もさらに加速していきそうだ。

●近年賃上げが増えている理由

では、どうして近年「賃上げ」が加速しているのであろうか。その理由として以下が挙げられる。

・物価上昇への対応
近年、円安が進んでいる他、ロシアのウクライナ侵攻の影響によるエネルギー・原材料費の高騰が著しい。これによって、物価も大幅に上昇しており、人々の生活が厳しくなっている。従業員の生活を守らなければいけないという意図もあって、「賃上げ」に着手する企業が多い。

もし、企業が従業員の生活を守ろうとしなければ、優秀な従業員はもっと高い給与を求めて他社に転職してしまう可能性がある。そうした人材の流出を防ぐ、定着率を高めると言う意味でも、物価高に対応した「賃上げ」を実施する企業が増大傾向にある。

・人材の獲得
少子高齢化が進み、労働人口が減少する日本では、どの企業も人手不足は懸念材料となっている。「2025年には超高齢化社会が到来する」という予測もあるほどだ。そうした課題を解決するために、「賃上げ」を実施する企業も目立つ。特に、同業他社が「賃上げ」を行ったとなると、自社でも踏み切らざるを得ないのが実情となる。やはり、魅力ある給与水準は、選ばれる企業になるためには重要な条件だからだ。加えて、従業員のモチベーションやエンゲージメントの向上にもつながると期待される。また、物価高に苛まれる状況下で「賃上げ」を行うことで、従業員を大切にする企業であると社会全体にアピールすることもできる。自ずと企業に対する印象をより良いものにしていける。

・促進税制
経済産業省が、2022年4月1日から施行した「賃上げ促進税制」も企業の「賃上げ」を後押ししている。「賃上げ促進税制」とは、従業員の給与を前年度より増加させた企業に対して、その増加額の一部を法人税額から控除する制度だ。2024年4月からは税制が強化され、ますます支援が拡大している。なお2024年4月以降の税制は、大企業、中堅企業、中小企業で条件が異なってくる。

【大企業向け】
大企業向けの増加額と法人税額の控除額は以下の通りとなっている。

・3%の給与増額:増加額の10%を税額控除
・4%の給与増額:増加額の15%を税額控除
・5%の給与増額:増加額の20%を税額控除
・7%の給与増額:増加額の25%を税額控除

上記に加えて、教育訓練費を10%増額させるとさらにプラス5%の税額控除を受けられる。また子育てとの両立・女性活躍支援を行う、「プラチナくるみん」または「プラチナえるぼし」認定企業は税額控除率が5%上乗せされる。

【中堅企業向け】
中堅企業向けの増加額と法人税額の控除額は以下の通りとなっている。

・3%の給与増額:増加額の10%を税額控除
・4%の給与増額:増加額の25%を税額控除

上記に加えて、教育訓練費を10%増額させるとさらにプラス5%の税額控除を受けられる。また「プラチナくるみん」または「えるぼし三段階目以上」の企業は税額控除率が5%上乗せされる。

【中小企業向け】
中小企業向けの増加額と法人税額の控除額は以下の通りとなっている。

・1.5%の給与増額:増加額の15%を税額控除
・2.5%の給与増額:増加額の30%を税額控除

上記に加えて、教育訓練費を10%増額させるとさらに最大10%の税額控除を受けられる。また「くるみん以上」、「えるぼし二段階目以上」の企業は税額控除率が5%上乗せされる。

いずれも要件があるとは言え、企業からすれば大きな控除が受けられるのは魅力だ。それだけに、「賃上げ」に前向きな企業が増加している。



さらに、厚生労働省は2023年1月に「賃金引き上げ特設ページ」を開設。「賃上げ」の取り組み事例や業種ごとの平均賃金等の情報提供を行っている。まさに、国をあげて「賃上げ」を積極的に支援し始めている。こうした動きも企業の「賃上げ」を後押ししていると言っていいだろう。

「賃上げ」が難しい場合の人事施策とは

すべての企業がすぐに「賃上げ」を行えるわけではないだろう。「現状では難しい」と判断する企業もあるはずだ。そうしたケースで何か採り得る施策がないのか考察してみたい。

●食事補助やインフレ手当など福利厚生を充実させる

第一に、福利厚生の充実が挙げられる。実際、労働者にアンケートを取ると「基本給のアップ」、「賞与額のアップ」、「手当の充実」など金銭面の拡充に次いで要望度が高い。さらに、昨今は福利厚生にも税制優遇措置が講じられているので、注力する企業が増えている。具体的には、食事補助やインフレ手当の支給などを行う企業が多い。

どうしても、育ち盛りである高校生以下の子どもを持つ家庭だと食費の負担が重く、「少しでも援助してほしい」という声が目立つ。 一方、インフレ手当とはインフレが加速した際に企業から臨時で支給される特別手当である。一時金、または月額給与に上乗せする形で支給されるケースが多い。一時金として支給する場合、勤務年数や雇用形態、役職によって支給・不支給を決めたり、金額の差をつけたりする企業も見かける。ただ、企業としてはあくまでも臨時支給という位置付けなので、インフレがある程度収まれば支給を打ち切る考えであるのは言うまでもない。

●多様な働き方を実現させる

多様な働き方の実現も有効だ。働き方改革の広がりもあって、フレックス勤務や在宅勤務、時短勤務などがかなり定着してきている。その流れに乗り遅れていると、従業員の不安は膨らむばかりだ。また、ワークライフバランスの徹底も欠かせない。「残業を強制しない」、「過重業務はなくす」など、労働時間が適正な範囲内に収まるよう留意する必要がある。

●職場内のコミュニケーションを活性化させる

従業員が毎日気持ち良く働ける職場環境づくりも大切だ。そのためにも、職場内での円滑なコミュニケーションを重視したい。実際、パワハラやセクハラを含め、何らかの悩みを抱えているにもかかわらず、誰にも相談できす心身の不調を来してしまったという事例は少なくない。そうしたことがないよう、一人ひとりに向き合える職場にしていく必要がある。効果が導けた人事施策は、社内外に積極的に発信していくのも有効と言える。人事と労務、広報などの部署が連携して取り組んでほしい。

まとめ

「賃上げ」は、従業員の安定した生活の維持と優秀な人材の定着・確保に向けて大きな効果をもたらしてくれる。さらに、政府も2022年から賃上げ促進税制をスタートさせるなど、積極的にバックアップを図っており、取り組みやすい環境が生まれつつある。しかし、ただ単にアップすれば良いというわけでもない。賃上げが業績の改善や事業の成長に結びつかなければ、企業の体力をすり減らすだけになってしまう。そうしたリスクを踏まえてでも「賃上げ」を行う意義があるかどうかを、戦略的に検討してもらいたい。また、もし「賃上げ」が難しいなら、本記事で紹介したような代替策を考える姿勢も望まれる。
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