経営理念は社内外に約束する「公式の価値観」
多くの企業は経営理念を定めており、自社の価値観やバリューを理念に位置付けている。「価値観」や「バリュー」とは、経営活動における日々の判断や行動の基軸となる考え方である。企業は価値観に沿った事業活動を目指して経営理念などを定め、広く内外に公表することになる。具体例で考えてみよう。例えば、自社の経営理念に「失敗を恐れず、失敗から学び、大きな成功を勝ち取る」と定めている企業があるとする。この場合、当該企業は「チャレンジ精神」を価値観・バリューとし、経営活動の拠り所として位置付けていると考えられる。この企業は定めた経営理念を内外に公表することで、ステークホルダーに対して「チャレンジ精神」にあふれる事業活動の励行を約束することになる。また、組織メンバーに対しては、日々の業務遂行における「チャレンジ精神」の大いなる発揮を要求していることになるのである。
“実務の拠り所”として職場に根付きがちな「暗黙の価値観」
ところが、例えば上記企業の経営実態を精査すると、「チャレンジ精神」とはかけ離れた以下のような事業活動の現状を見て取れることがある。(2)上司が部下の新しい提案に対し、「前例がないから許可できない」と却下している
(3)上司が部下の新しい提案に対し、却下こそしないものの、苦々しい表情を浮かべている
(4)「挑戦をして失敗をした人材」よりも「挑戦をせずに失敗をしない人材」のほうが人事上の評価が高く、給与・賞与も多い
(5)「挑戦をして失敗をした人材」よりも「挑戦をせずに失敗をしない人材」のほうが、昇進が早い
上記のような現象が見られる職場には、「失敗を許容しない組織風土」や「新しい挑戦を忌避する企業文化」が存在していると考えられる。つまり、公に約束した価値観が「失敗を恐れず、失敗から学び、大きな成功を勝ち取る」であったとしても、日々の業務遂行において実際に拠り所とされている価値観は「失敗をしないこと」であり、「新しい挑戦をしないこと」なのである。
このように、明文化されていないにもかかわらず、誰もが従うことを暗に求められている価値観を「暗黙の価値観」もしくは「インフォーマル・バリュー」などという。
リーダーの一挙一動が「暗黙の価値観」を形成する
職場に「暗黙の価値観」が根付く代表的なケースは、リーダーの「個人的価値観(パーソナル・バリュー)」が経営理念とは相違する場合である。例えば、リーダーが「仕事では失敗を犯すべきではない」という強い思いを抱いている場合には、前述の(1)のケースのように「なぜ、このような失敗をしたのか?」と部下を詰問するケースも出てくるであろう。「仕事とは定められた業務を確実にこなすものである」という信念を持つリーダーであれば、前述の(2)のように、部下の新しい提案に否定的な態度を取るかもしれない。
このような「個人的価値観」に基づく部下対応が繰り返されると、そうしたリーダーの価値観がやがて集団を統制する「暗黙の価値観」となる。その結果、「暗黙の価値観」を基礎とする組織風土・企業文化が形成されることになるのである。
なお、前述の(3)のような「苦々しい表情を浮かべる」などのわずかな変化も、部下にはリーダーの「個人的価値観」を示すシグナルとして受け止められがちである。そのため、上司の日々の行動が無言のメッセージとなって部下に送られ続けた結果、やがて部下は上司の価値観に沿った行動ばかりを取るようになる。つまり、リーダーの一挙一動が組織内に「暗黙の価値観」を醸成するわけである。
<理念>と<制度>の不整合も「暗黙の価値観」の原因に
職場に「暗黙の価値観」が根付くもうひとつのケースは、企業内に経営理念とは整合性の取れない制度やルールが存在する場合である。例えば、前述の(4)のように、人事評価制度の中に「挑戦をして失敗をした人材」よりも「挑戦をせずに失敗をしない人材」に高評価を与える指標があり、さらには人事評価の結果が給与制度や報酬制度と連動しているようなケースである。このような企業では、どんなに経営理念で「チャレンジ精神」をうたっていても、挑戦をせずに失敗をしないほうが高評価・高報酬になるのだから、「チャレンジ精神」にあふれた業務遂行など望むべくもない。
組織活動を統制するために設けられる各種制度・ルールは、“社員に対するメッセージ”の機能を持つ。上記のような人事制度を設けていれば、それは企業側が「失敗をしないこと」や「新しい挑戦をしないこと」を奨励していると、社員に示すメッセージとなる。そのため、制度内容が「暗黙の価値観」を醸成し、職場に根付いて組織風土・企業文化の基礎を構築することもあるのだ。
経営理念は容易に「暗黙の価値観」に負けてしまうため、職場への経営理念の浸透は、極めて難易度の高い業務である。本稿を読んだ皆さんも、自社に経営理念と相反する「暗黙の価値観」が存在しないか、振り返ってみていただきたい。
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