在宅勤務の普及から飛び出した「オフィス不要論」
令和3年1月、東京都をはじめとする11都府県に対し、新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく「新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言」が発出された。新型コロナウイルス感染症に伴う緊急事態宣言の発出は、令和2年4月に続き2回目となる。本緊急事態宣言では、対象地域の企業に対して「在宅勤務によるテレワークなどで出勤者数を7割削減すること」、「テレビ会議を活用すること」などが強力に要請されている。また、本宣言の発出対象となっていない道県の企業に対しても、同様の措置により「人と人との接触機会の低減を図ること」が求められているところである。
確かに、一般的な企業の場合、会社に出勤して行う業務の多くは、IT環境を整備すれば自宅でも可能となる。在宅勤務で課題となりがちな「社員間のコミュニケーション不足」も、テレビ会議システム・ビジネスチャットツールなどを活用すれば、一定程度は解消可能といわれている。そのため、企業としては在宅勤務と並行してオフィスを縮小または廃止することで、多大な経費削減が可能となる。
このような事情から昨今では、オフィスを保有しなくても企業経営上は問題がないとする「オフィス不要論」を耳にするようになってきている。
オンライン教育では効果が期待でない「意識教育」
ところが、人材教育という視点で考えた場合、在宅勤務は通常勤務を完全に代替できる勤務形態とはいえない。社員に対して実施する人材教育は、教育内容の相違から「知識教育」と「意識教育」の2種類に分類できる。前者は「業務に必要な知識・スキルを理解させる教育」であり、後者は「業務に必要な考え方に則して行動させる教育」である。以上の2つの教育のうち「知識教育」については、会社に出勤しなくても効果的に実施可能である。テレビ会議システムやeラーニングなどを活用し、在宅勤務者に対して一定の教育効果を上げている企業は少なくない。ところが、業務に必要な考え方に則して行動させるための「意識教育」については、ITツールで効果的に実施することは困難である。
例えば、社員にコンプライアンスを教育するケースを考えてみる。「企業にコンプライアンスが重要なこと」について、知識として社員に理解させるだけであれば、テレビ会議システムなどを使用することで、在宅勤務者にも効果的な教育は可能であろう。しかし、社員に「コンプライアンスを重視した行動をとらせる意識教育」は、極めて実効性に乏しくなる。
「アイコンタクト」が機能しないモニター越しの呼び掛け
ITツールで行う意識教育が効果を生みにくい理由は、2点考えられる。1番目は「アイコンタクトの効果が生じにくいこと」である。効果的な教育を行うには、さまざまな教育テクニックが必要となる。代表的なテクニックのひとつが、目と目を合わせる「アイコンタクト」という手法である。つまり、効果的な教育は、教育担当者が教育対象の社員と視線を合わせながら行うことがポイントとなる。
教育担当者がアイコンタクトをしながら教育を行った場合、された側の社員は「自分に向かって語り掛けている」という気持ちを強く抱くことになる。その結果、教育に対する参加姿勢が前向きになり、社員の行動変容が起こりやすい。
ところが、テレビ会議システムでモニター越しに教育を受ける状態では、社員の心に「語り掛けられている」という感情が湧きにくい。そのため、教育内容を知識としては理解できるが、社員の行動変容には繋がりにくいものである。
同じ空間を共有しているからこそ可能なことがある
ITツールで行う意識教育が効果を生みにくい2番目の理由は、「“熱意”が社員に伝わりにくいこと」である。例えば、社員にコンプライアンスを教育して「行動変容を求める」場合、単に理屈としてコンプライアンスの説明をするだけでは不十分だ。コンプライアンスの重要性について、社員の心の琴線に触れるよう、熱心にかつ力強く語り掛けることが必要となる。このような教育により、はじめて社員の心の中に「私もコンプライアンスを守ろう!」という強い気持ちが芽生え、社員の行動が変わるのだ。
しかしながら、どんなに教育担当者が熱心に語り掛けたとしても、モニター越しでは社員にその“熱意”が上手く伝わらない。そのため、社員が教育内容に心を動かされることも少なく、行動変容に結び付きづらいのである。
人材教育の現場には、「同じ空間を共有しているからこそ可能なこと」が存在する。特に社員に意識変革・行動変容を求める教育では、これが効果を大きく左右する。このように、在宅勤務者に対する教育を行う際は、「ITツールは万能ではないこと」を心に留めておきたいものである。
大須賀信敬
コンサルティングハウス プライオ 代表
(組織人事コンサルタント/中小企業診断士・特定社会保険労務士)
https://www.ch-plyo.net
- 1