今回のリーダー:株式会社ラナデザインアソシエイツ 代表取締役社長 木下 謙一 氏
多くの業界で固有のルールや商習慣、人事労務のあり方などが存在する。それらはある時期までは効率的で、生産性があるのかもしれない。しかし、時代や環境は変わっていくものであり、変化に対応しなければ、取り残される場合がある。そして、生産性の低さや効率の悪さを長時間労働で補おうとし、「ブラック」と揶揄されてしまうケースもある。そんな業界の一つがクリエイティブ業界だろう。今回は、業界の体質に危機感を覚え、「働き方改革」に取り組み成功させた、株式会社ラナデザインアソシエイツの代表取締役社長 木下謙一氏に話を伺った。リーダープロフィール
木下 謙一(きのした けんいち)
1969年生まれ。CG、インダストリアルデザインのプロダクションを経て、1997年ラナデザインアソシエイツを設立。資生堂や大手出版社のデジタル戦略を担当するほか、インスタレーションやテレビ番組用のデータビジュアライゼーションなどに及ぶ。中心はデジタルクリエイティブだが、松任谷由実のCDジャケット、マーチャンダイズも手がけ、トータルなクリエイティブディレクションをする。2003年には国際広告賞「NYフェスティバル」、2007年と2015年にはグッドデザイン賞を受賞。現在は、社員数がラナデザインアソシエイツで37名、グループ全体で70名を超える。
チームとしてクリエイティブな仕事をできるようにする
株式会社ラナデザインアソシエイツは、東京港区に本社を構え、Webサイトの構築・運営・コンサルティングを中心にイラストや映像制作など、クリエイティブ事業を幅広く手掛けている。同社はクリエイターとして実績を重ねた木下社長が1997年に立ち上げた。創業以来、順調に成長を続けており、2020年5月時点での従業員数は約37名。グループ企業を合わせると約70名にものぼる。そんな会社を着実に成長させた木下社長には、組織作りにおけるポリシーがあった。「社員が10人ほどになった時から、管理職の育成に力を入れてきました。私がいつまでも最前線にいては、組織をつくることができませんから。私はその頃からクリエイターとして、ひとりのプレイヤーとして仕事をしつつ、社長としてマネジメントに力を入れてきました」(木下社長)
クリエイティブ業界は実績を積んだクリエイターが独立するケースは多い。しかし、多くは経営者とプレイヤーの二足のわらじを履き、自ら最前線で指揮を執る。これは、クリエイターの個性を活かした経営手法といえる。木下社長はそのような経営のあり方に、同業の経営者として敬意を払う一方で、システマチックに組織を動かすことで、会社として、チームとしてクリエイティブな仕事ができるようにすることを重んじてきた。
そう考えるようになったのは、クリエイティブ業界の組織のあり方や労務管理に疑問を感じたからだ。センスが先行するあまり、育成がないがしろにされるケースがある。管理職も育て、組織をつくっていくことが、個々の能力の底上げになり、会社の成長にもつながると考えたという。業界のルーズな面を放置すれば、社員の定着率を下げ、組織として業務を遂行するのは難しいと捉えてもいた。
労務管理のテコ入れで、残業時間の削減を実現
創業して数年後、さっそく業界の体質を変えていくために、全社で労働時間の管理を徹底させる残業時間の削減をめざした。社内全体や各部署、個々の社員の状況を見つつ、組織づくりに向けて、次の2つに注力した。【1】労働時間の管理を徹底させ、残業時間を削減する
【2】就労場所や労働時間を社員自ら選ぶことができるようにして、柔軟な働き方を実現する
まず創業して数年後に、毎週1回、全社員が残業時間を管理部に報告する取り組みを実施した。その後、残業時間の報告が社内に浸透したのを機に、2008年からは、全社員の稼働時間をより正確に把握するための施策に取り組んだ。担当するプロジェクトごとに社員一人ひとりが、パソコンへ労働時間を入力するようにした。
「1日の出退社の時間を記録するだけでは不十分だと思いました。月末に残業時間を見ればいいというわけでもありません。全社員の全就労日の労働時間を毎日、全員が一覧で見えるようにしてこそ、適切な管理ができると考えました。1ヵ月の途中経過を見ることができるようにもしたかった。随時見ることで、その時点で特定の社員に仕事が増えていることもわかるんです。その場合は、プロジェクトの状況や進捗を早急に把握し、改善を図るようにしています」(木下氏)
詳細な労働時間の管理によって、残業時間が減ってきたことを見計らい、2009年からは、定型業務が少ないクリエイティブの仕事の特性に合わせた専門業務型裁量労働制を導入した。労務管理のテコ入れをしていくことで、2008年は月平均残業が40時間程だったが、2009年には26時間まで残業時間の削減を実現。2020年の現在も、残業時間は月30時間以内に抑えられており、改革の成果が続いている。
社員それぞれの状況に応じた「在宅勤務」を導入
木下氏は、柔軟な働き方の実現にもこだわった。環境や時代の変化に合わさなければ、社員の離職や生産性の低下を招き、組織づくりに影響すると考えたからだ。2011年からは、東日本大震災の発生を機に、働き方の見直しを図り、社員が社外からでも仕事ができる体制を整えた。パソコンをデスクトップ型からノート型に変え、社外からでも円滑にコミュニケーションが取れるようにスカイプやWeb会議システムの利用も始めた。IT環境を整えることで、所属プロジェクトリーダーの許可のもと、自宅や社外のカフェなどで仕事ができる「在宅勤務」や「リモートワーク」が可能になった。「労働生産性を上げるためにも、IT環境を時間とコストをかけて整備し、在宅勤務ができるようにしてきました。今は出勤と在宅の就労環境に差はほとんどないので、社員の成果物を正しく評価できます。人事評価システムを整えたことで、在宅勤務にスムーズにシフトすることができました。人事評価のあり方も試行錯誤をしながら、よりよきものにしてきたつもりです」(木下氏)
現在、同社は新型コロナウイルス感染症の感染拡大に伴い、原則として全社員の出勤禁止の措置をとっている。2月中旬より全社員対象に在宅勤務を推奨し、社員の多くはすでに約4ヵ月間、自宅で仕事をしている。速やかな在宅勤務への切り替えが行えたのも、以前から柔軟な働き方を認め、リモートワークでも会社と変わりなく仕事ができる環境を備えていたからだ。
社員の希望に寄り添った副業も解禁
2015年からは、時代に合わせた働き方も取り入れ、全社員を対象とした副業も許可した。社長は希望者に対して、1時間の面談を行い、「本業との関係や情報漏洩への対策」、「ノウハウなどの流出防止」、「副業の相乗効果」、「今後の働き方」、「労働時間が負担となる可能性」などを確認している。同業他社での就労は禁止するが、本人の希望に、可能な限り添えるようにしているという。また、副業の期間や報告は設けていないが、労働時間の管理には注意を払っている。現在同社では、実際に副業をしているディレクターがいる。月に3日ほど、着物の着付けの仕事に携わっているそうだ。働き方については裁量労働制を導入しており、出社や退社時間は本人に任せ、自分の裁量で副業にも励んでいる。現在は1名のみ副業を行っているが、過去には、アパレルメーカーの役員を兼務する営業社員もいたという。最後に、これまで取り組んだ数々の施策について社長に振り返ってもらった。
「この業界で私のような試みをする人はまだ少ないですから、参考になる事例が少ないのです。クリエイターには個性派が多いし、多少わがままな人もいます。個々のクリエイターの持ち味を生かしつつ、組織をつくるのは本当に難しい。創業者として会社をつくっていくことはものすごくクリエイティブな仕事だと実感しています」(木下氏)
近年、多くの企業が働き方改革に取り組んでいる。だが、事前に調査や準備をすることなく取りかかることで、わずか半年から1年で中断してしまうケースも少なくない。そのような中、ラナデザインアソシエイツはPDCAを回しながら、順調に施策の成果を残している。「在宅勤務」や「副業」については、社員自らが働き方を選択できる環境をつくり出している。今回の同社の取り組みは、社員を巻き込んだ組織づくりや、継続性のある施策の運用を実行するうえで、参考になる好事例と言えるのではないだろうか。
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