2つの人材ポートフォリオ
企業の人事担当者は人材マネジメント戦略の1つとして「人材ポートフォリオ」というものを考えます。自社が必要とする人材をタイプ分けしてとらえ、その採用や組み合わせを考える手法です。一般的な人材ポートフォリオ分析を下に描きました。多くの企業は人材構成をとらえる場合、このようなスキル観点で分析します。スキルの種類やレベルに応じて人材タイプを決め、それぞれについて正社員として採用し育てるか、非正社員で充てるか、外部のタレントを都度で起用するかを検討します。
各タイプのおおまかなイメージは───
<タイプⅠ>発展的移転の性向:「ピカソ」型
「ワーク・ディベロップメント意識」が強く、すなわち、働くことを豊かに見つめる就労観を持ち、仕事を通じて自分を成長させていくことに積極的で、かつ、転職や留学などキャリア形成環境の変化リスクを気にしない人たちです。このタイプは動き回って機会をつくり出し、らせん状に発展的にキャリアを展開させていきます。通称「ピカソ」型。ピカソは生涯、絵を描く環境をどんどん変え、作風をどんどん進化させていった仕事人です。<タイプⅡ>深耕的定住の性向:「耕一さん」型
「ワーク・ディベロップメント意識」が高く、かつ、環境変化リスクの大きいキャリア選択には慎重という人たちです。このタイプは「耕一さん」の名のとおり、一つの場、一つの職に留まって深く耕していく姿勢になります。化学者の田中耕一さんは、一つを耕していったら、ノーベル化学賞(2002年受賞)にまで行ってしまった人です。<タイプⅢ>保守的定住の性向:「ゆでガエル」型
このタイプの人は「ワーク・ディベロップメント意識」が弱く、すなわち、働くことは生計を立てるためといったような割り切った就労観で、かつ、保守的に無難にその場での職を保持する姿勢になります。厳しい表現になりますが、既知の世界で変化を避け、挑戦を怠けて平穏に浸っているうちに、手足をもがいても現状から抜け出せなくなる「ゆでガエル」リスクのあるキャリア態度です。<タイプⅣ>選り好み的流転の性向:「タンポポの種」型
「ワーク・ディベロップメント意識」が弱く、かつ、転職などのキャリア環境の変化にあまり抵抗を感じない人たちです。仕事の内容よりも、好条件の待遇を常に探し回る態度になります。フワフワと居場所を変える「タンポポの種」状態になりやすいタイプです。組織にどんな就労観を持った人間を集めたいか
どの組織にもこれら4つのタイプの人たちが存在します。さて人事部門としての問題は、どのタイプの人たちを組織に多く集めたいかです。それは当然ながら、上半分のⅠとⅡ、すなわち働くことを肯定的に見つめる就労観を持ち、自律的・自導的に仕事に向き合う人たちではないでしょうか。それとは逆に、下半分のⅢとⅣ、すなわち冷淡に割り切った就労観を持つ他律的・従属的な人はあまり歓迎できません。多くの企業において人事部門は離職率に神経質です。離職率が同業他社に比べてあまりに高い場合は問題ですが、ある割合の人の入れ替わりはむしろ健全な新陳代謝とみるべきでしょう。人が定着することを無条件に喜んでいいわけではなく、どんな性向の人が居付き、どんな性向の人が去っていくのかに注意を払わねばなりません。
Ⅰのタイプの人材はどのみち流動的です。組織を出て行くことになっても、絆ができていれば、その後も何かしらの形で協業することもあるでしょう。また、中途採用で入社してくるⅠタイプの人たちは組織に新しい風を送り込んでくれます。
むしろ懸念すべきは、ⅢやⅣのタイプの人が組織に増え、居付いてしまうことです。彼らは組織を硬直化させ、気風をどんよりとさせ、ⅠやⅡの人を去らせてしまうことにもなりかねません。若いうちはⅡだったのが、歳とともにⅢに性向が変わっていくことはよくあることです。能力的な成長の限界感や仕事のマンネリ感などによって、働くことに対して惰性が生まれ、仕事機会を掘り起こすことをやめるからです。また、Ⅳの人がⅢに変化することも起きます。30代前半までは転職先も見つけやすく、より好条件の会社に移れたものの、能力的に実績不足のⅣタイプの人ですから、さすがに30代半ば以降は選り好みできようもなく、定住を決め込みます。
成果主義やジョブ型採用が強まるほど就労意識醸成が重要になる
こうしたことからすれば、人事部門は「スキル観点の人材ポートフォリオ」とともに「就労意識観点の人材ポートフォリオ」に無関心ではいられません。自社の従業員について上半分(タイプⅠ、Ⅱ)が優勢になるか、下半分(タイプⅢ、Ⅳ)が優勢になるかはきわめて重要な問題です。真に活力があり、持続的に発展できる組織とはどういった組織でしょうか。スキルに長けた人材を集める組織でしょうか。しかし、採用時にいくらスキルに長けていても、年月が経つうちにそのスキルが陳腐化し、就労意識も冷めるというのは人間によく起こることです。国内ではジョブ型採用の流れが強まり始めていますが、組織は人の手やアタマ(=スキル)だけに目を向けて採用するという感覚でよいのでしょうか。経営学者のピーター・ドラッカーは次のように言っています。
人事部門が行う真の人材育成とは、手やアタマを研ぐだけの研修実施ではなく、従業員の「ワーク・ディベロップメント意識」を育むということです。
この「ディベロップメント(development)」に込めているニュアンスは、開発、発展、進化、豊かにすること、広げること、耕すこと、意味づけすることなどです。成果主義やジョブ型分業のもとでは、定量化された評価軸によって自分の仕事のよしあしが決められます。そんな中にあっても、仕事や働くことには達成数値以外の要素も多分にあり、自分の可能性を無限に引き出す機会になりうるととらえる。そして実際そう試みる心の姿勢が「ワーク・ディベロップメント意識」です。
「ワーク・エンゲージメント」はどちらかというと熱中、没頭、献身といった心の活性状態に着目した概念です。それに対し、本書で用いる「ワーク・ディベロップメント」は働くことに対する取り組みに着目する点が異なります。目の前の仕事を広げようとする、深めようとする、何か貢献につなげようとする、その結果、心が活性化されてエンゲージド(engaged)状態になる。「ワーク・エンゲージメント」を高めようとすれば、その根っこにある「ワーク・ディベロップメント意識」にはたらきかけをしなければなりません。
成果主義やジョブ型採用が強まれば強まるほど、就労意識の醸成が重要な人事テーマになるでしょう。事業組織は従業員が持つスキルの固まりである以上に、就労意識の固まりでもあるからです。
(執筆者:村山 昇)
※本記事は『GLOBIS 知見録』に掲載された記事の転載です。
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