近年、日本企業の中にも、繰り返し多くのM&Aを経験し、関連する豊富な知見が社内に蓄積されている様子が見受けられるようになりました。一方で、M&Aの成否という面から見ると、必ずしも期待されたような成果をあげられていないケースが多いといえます。特に、最近大型の案件が目立つ海外企業に対する「クロスボーダーM&A(In-Out案件)」においては、さまざまな要因から目標達成のハードルが高くなります。本稿では、こうしたM&Aを成功に導くために人事部門が取り組むべきことのうち、その重要性に反して見落とされがちな経営陣の見極めと、ガバナンスの確立についてご紹介します。
「クロスボーダーM&A」の成功に向けた人事部門の役割~経営陣の見極めとガバナンスの確立~(第10回)

人事統合を志向する欧米企業と「人事はノータッチ」の日本企業

人事の側面から見たとき、M&Aの目的達成に向けたハードルのひとつは、「買収先企業の社員に対するマネジメントの確立」だといえるでしょう。一般的に、グローバルで事業展開している欧米企業においては、他社を買収した場合、可能な限り自社(または自社グループ)の人事制度・ポリシーに統合をはかろうとします。買収により新たに迎え入れた社員の能力や職務を自社の尺度で把握し(グレーディング)、同じ基準で成果を測り(パフォーマンス・マネジメント)、同じポリシーにもとづいて報いる(報酬)ことで、人事面からがっちりとマネジメントし、買収の目的実現に邁進させることが狙いであると考えられます。

一方、日本企業においては、グローバルで共通の人事制度やポリシーを持つ企業は、増えてきたとはいえ少なく、そうした動きはまだまだ一般的とはいえません。特に「In-Out案件」では、既存の現地経営陣にその企業の経営や事業運営を引き続き委ね、買い手である日本企業は定期的に結果の数字について報告を受けるだけといった例も見受けられます。当然、社員に対するマネジメントも、既存の経営陣を介した間接的なものとなります。

M&Aプロセスを通じた経営陣の見極めとガバナンス構築

もちろん既存の経営者に経営を委ね続けることが、必ずしも悪いわけではありません。彼ら/彼女らが買い手たる日本企業の戦略を十分に理解し、その実行にあたって最適な能力・スキル・経験を有し、それらを惜しむことなく発揮してくれる状況にあれば、それが正解でしょう。しかし現実には、M&Aのプロセスにおける膨大なタスクとスケジュールの中で、既存の経営陣の続投が本当にベストな選択なのかを検証するために、十分な時間と労力が払われていないケースが多いのではないでしょうか。

また、買い手としては既存の経営陣のポテンシャルを最大限発揮してもらえるように努め、一度は続投の判断をした人材であっても、必要とあらば交代に踏み切ることが出来るようなガバナンスの体制を整えておく必要があります。こうした経営陣の見極めとガバナンスの構築を、しっかりと事実にもとづいた意思決定の下でおこなっていくためには、M&Aプロセスの中で各段階においてすべきことを定めたうえで、着実に実行していくことが必要です。

前述したように近年ではM&A実行の知見が蓄積された企業も多く、人事部門でも自前で人事デュー・ディリジェンス(HRDD)やPMI(買収後の統合)に取り組む例もあります。一方で、上記のような観点はその重要性に反して、意外と見落としがちなポイントであるといえます。EYでは、例えば下の「図表1」のように、M&Aの各段階において経営陣見極めのためにおこなうべきことを整理しています。
「クロスボーダーM&A」の成功に向けた人事部門の役割~経営陣の見極めとガバナンスの確立~(第10回)

M&Aの各段階で、できる限りのことをする

経営陣をアセスメントする観点としてはさまざまなものが提唱されていますが、ここでは最大公約数として、「経験」、「リーダーシップ」、「資質」の3つに整理しています。そのうえで、各観点においてチェックすべき要件を定め、それらを見るために取り得る手段を、M&Aの段階毎に整理しています。

デュー・ディリジェンス(DD)においては、対象会社にリクエストして得た情報の精査に加え、デスクトップ・リサーチを通じて、周辺情報を含めた経営陣の実績や評判に関する情報を、可能な限り集める必要があるでしょう。リーダーシップや資質については(アセスメントなども含めた)本人との直接的なコミュニケーションを通じた把握によるところが大きく、DDの段階でそこまで踏み込んだ調査ができることはまれです。そのため、トップ同士の面談の機会を活用するなどして把握をはかります。
晴れて契約締結がなされた後からDay1までの間(クロージング期間)は、DDではアクセスできなかった情報を含め、更に踏み込んだ精査を続ける期間といえます。100日プラン・統合計画の策定における行動観察に加え、継続的なトップ面談も必須になるでしょう。クロージングが完了して無事にDay1を迎えると、対象となる経営陣との関係性のうえで専門業者が提供する外部アセスメントの活用が容易になります。そのため、なるべく早い時期での実施が推奨されます。トップ面談を通じてより多面的に経営陣の見極めを行うことが可能になります。

加えてDay1以降は、図表1に示すような視点から定常的な情報収集を継続する必要があります。そうした日々の情報は、経営陣に対するガバナンスにおいて最も強力な「交代(任免権の行使)」というカードを切るために必要かつ重要な評価根拠となります。

ここで示したのはあくまで一例であり、各段階で実施できる事項はM&Aの態様や対象会社との関係性によっても大きく異なってきます。重要なのは、経営陣の評価にあたり、その客観性・適時性・妥当性を担保するために、自社としての観点や選定基準、そして案件の状況に応じた「最低限やるべきライン」と「理想的なライン」を定めておくこととです。

M&Aの成功に向けて人事部門が取り組むべきこと

M&Aをおこなう企業では、その成功に向けて、人事部門でも人事デュー・ディリジェンス(HRDD)やその後のPMI(買収後の統合)に、(程度の差こそあれ)大きな力を注いでいるはずです。その努力を確実な成果に繋げるためにも、買収先の企業や事業をリードする経営陣には、買い手の戦略を理解し、その実行に最適な能力・スキル・経験を持った人材をあてる必要があります。M&Aの初期の段階から経営陣の見極めとガバナンス構築いう観点を持ち、自社なりの「To-do」を整備しておくことをおすすめします。
日本企業のIn-Out案件においては、既存の現地経営陣に引き続きその企業の経営や事業運営を委ねるケースが多いことに鑑み、本稿では、ある種の「セカンドベスト」としてその経営陣を見極め、ガバナンスを効かせるためのアプローチをご紹介しました。一方で、企業が追求するM&Aの目的によっては、買収先企業の現地経営陣を通じた間接マネジメントのみで、人事制度・ポリシーはノータッチというアプローチでは限界があることも事実です。この限界を乗り越えるためには、グローバルで事業展開している多くの欧米企業がそうであるように、グローバル(グループ)共通の人事制度・ポリシーを整備(※)したうえで、それを拠り所にした自社のPMIのあり方を模索していく必要があります。こうした点についてはまた別の機会にお伝えできればと思います。


※グローバル人事管理については、本連載の第6回「グローバル人材マネジメントの実現に向けた必修科目『ポリハー』とは何か」でご紹介しています。
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