それは私と同年齢の中年女性の数奇な運命です。彼女は現地で旅行社を経営しており、それまでのキャリアは、戦時中の青春時代に故国日本から、満州へ花嫁集団として送られ、現地で夫が戦死、日本に帰国してから、再び南米へ移民団として渡り、アマゾンの流域で農業に励み、不幸にも夫が病死、マラリアに罹患する人の多いその場所が恐ろしく、次第に南下して、今の土地に住み、やはり農業をする人と一緒になっていましたが、次第にイグアスの滝を見に来る日本人観光客が増え、そこで彼女は旅行社を経営し、社長として成功したのです。
日頃は案内役として出ることはないそうですが、日本人女性が来たというので、今回は案内役を買って出たとのこと。同じく貧乏な昭和初期の育ちで、同じ年令なので、強い共感を覚えました。
この海外旅行から帰国後、こんなに長い間、会社を留守にしていいのかと心配しましたが、それは無用で、みんなが元気に日々の運営をしっかりとやってくれていました。その年は、丁度、創立20周年目にあたり、祝賀行事の企画や記念セミナーの開催もプランされていて、アセスメント技法に続いて、DDI社から共感的理解を示す対話を中心としたIMというプログラムが紹介され、以後、続いて、次々と同社の新商品が提供されまた。
1975年に国際婦人年の世界会議で決まった日本の男女雇用機会均等法の成立が1985年にあり、実施のガイドラインが1986年に発布され、そのためのセミナーも多くなりました。その頃、NTTの影山裕子さんが、「梅島社長を励ます会」を丸の内の工業倶楽部で開いてくれ、来客の一人が「伝統ある工業倶楽部と女性社長との取り合わせは珍しい」とコメントし初年度はそんな出発でした。
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