首藤社長率いる5人で始めた会社は、創立以来の絶え間のない努力により、20年の間に社員が100名にもなっていました。1986年に私は首藤社長から会社を引き継ぎました。社長に任命された22期の初めに、社員会を開いて挨拶をし、首藤会長の掲げた「人間尊重、自主独立、国際化」の基本と路線を継承し、それに加えて、梅島は社員の皆さんに「進取、創造、誠実」な行動を期待することを述べました。徳丸副社長と坂田専務は、梅島社長と3人で助け合ってトロイカ方式で経営を進めていくから安心するようにと言葉を添えてくれました。
第14回 社長業の7年間
社員への発表が済むと、首藤会長と2人で訪米し、DDI社に行ってバイアム博士に社長交代を告げました。その後、首藤会長とメキシコに行き、そこで会長は帰国しましたが、私はブラジルにあるサンパウロ市のDDI社の支店や、同市にある日本企業の支店を数社訪問しました。その時、ある日本企業の支店の人事の方が、イグアスの滝にご案内下さり、あの素晴らしい巨大な瀑布を見ることができました。その時、思いがけない出会いがあり、今でも雄大な滝の思い出とともに心に残っています。

それは私と同年齢の中年女性の数奇な運命です。彼女は現地で旅行社を経営しており、それまでのキャリアは、戦時中の青春時代に故国日本から、満州へ花嫁集団として送られ、現地で夫が戦死、日本に帰国してから、再び南米へ移民団として渡り、アマゾンの流域で農業に励み、不幸にも夫が病死、マラリアに罹患する人の多いその場所が恐ろしく、次第に南下して、今の土地に住み、やはり農業をする人と一緒になっていましたが、次第にイグアスの滝を見に来る日本人観光客が増え、そこで彼女は旅行社を経営し、社長として成功したのです。

日頃は案内役として出ることはないそうですが、日本人女性が来たというので、今回は案内役を買って出たとのこと。同じく貧乏な昭和初期の育ちで、同じ年令なので、強い共感を覚えました。

この海外旅行から帰国後、こんなに長い間、会社を留守にしていいのかと心配しましたが、それは無用で、みんなが元気に日々の運営をしっかりとやってくれていました。その年は、丁度、創立20周年目にあたり、祝賀行事の企画や記念セミナーの開催もプランされていて、アセスメント技法に続いて、DDI社から共感的理解を示す対話を中心としたIMというプログラムが紹介され、以後、続いて、次々と同社の新商品が提供されまた。

1975年に国際婦人年の世界会議で決まった日本の男女雇用機会均等法の成立が1985年にあり、実施のガイドラインが1986年に発布され、そのためのセミナーも多くなりました。その頃、NTTの影山裕子さんが、「梅島社長を励ます会」を丸の内の工業倶楽部で開いてくれ、来客の一人が「伝統ある工業倶楽部と女性社長との取り合わせは珍しい」とコメントし初年度はそんな出発でした。
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