エジプト人技術者の教育は、初めのうちは、日立の技術者が実施していたのですが、或る時、彼らは私に「君はテキストの翻訳と通訳をやったから、後はやってくれ」と押し付けてきました。仕方なく私は、テキストを頼りにしながら、車両製造の際の溶接や鋳物の話を、今までの耳学問で理解してきたことを元に話しました。
そのうち、未知の車両製造の話が、自分にとって馴染み深い家事作業や台所の料理の仕方と一緒だと気づきました。客車の骨組構造に外板を溶接してピンとさせるのは、障子貼りと一緒です。また、鍛造で鋳物を水につける「急冷」は、茹でた「ほうれん草」に水を掛けるのとそっくり。鍛造で言う「油冷」は、八つ頭芋を煮含めて味をしみ込ませるのに当たるでしょう。このように、台所の仕事が、車両製造の理屈と何となく似ていることに気づくと、いくらか気楽になりました。
エジプト人との交流は、まさに「異文化との出会い」でした。女学校時代にミッション・スクールでのカナダ人の先生との出会いも刺激的でしたが、さらに遠い国であるエジプトのことや、初めて知るイスラム教に忠実な人達の行動に驚かされました。
例えば、彼らはラマダンの時、日中は「唾さえも飲んではいけない」ことになっています。それだけでも驚かされるのですが、「黒い糸と白い糸との見分けが出来ない時間になると飲食していい」ということになっており、夜は大パーティーが行われることにはまた驚かされました。
転職、転勤、転居などで、暮らしや仕事が変化し、学ぶことが増えるのは、「嫌」だと思われる方も多いでしょうが、働く人間にとって、それは仕事冥利に尽きます。その後、私が米国や、欧州、東南アジアなど、あちこちに出張することを躊躇しなかったのも、この頃、こうした異文化との触れ合いがあったからです。
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