価値のある思考は常に「批判」である
稲垣 新聞・雑誌は「寝かせて読め」。これは名言だと思いますが、何年ぐらい寝かせると面白いんですか?楠木 5年~10年ぐらいがひとつの目途じゃないでしょうか。みんな、「歴史から学べ」と言うんですけど、『逆・タイムマシン経営論』では「近過去」、せいぜい50年とか戦後70年とか、それぐらい期間と考えています。さすがに平安時代まで逆タイムマシンで戻っちゃうと、現代には通用しない話になってしまうでしょ。「逆タイムマシン経営論」はあくまでも近過去を対象にしています。
30~40年くらいの近過去は、とても勉強になります。ウォーレン・バフェット氏が「潮が引いたあとで、誰が裸で泳いでいたか分かる」とうまい言い回しをしているんですが、何が本物で何が偽物だったかは少し時間をおいてみるとはっきりするんですね。
稲垣 我々ビジネスパーソンが、そういった「罠」に引っかからない、もしくは文脈剥離をせずに本質を捉えるために、身に着けるべき習慣はありますでしょうか。
楠木 一言で言うと「knowing」と「thinking」の違いだと思うんですね。「knowing」の場合、現代ほど情報の流通が効率的な時代はないので、多くの人が大体のことは知っている。この「知る」というのは、「いつ、どこで、誰が、何をやっているか」といったことです。「5W1H」の中で「なぜ」に当たるのが「thinking」です。
世の中は因果関係でできあがっているわけですから、「なぜ」を考えようとすると、どうしても文脈全体を見なきゃいけない。その一つひとつの因果関係にロジックがあるんですよね。そのロジックを知ることが一番大切です。しかし、現代の世の「進歩」の多くは、一言で表すと「考えるな」という方向に進んでいるわけですよ。人間が「考える」という自然な行動をどんどん阻害されているというか、人間が自然と考えなくなるような方向に、世の中が進歩しているわけですよね。デジタルデバイスという物など、その典型です。ですから、人間が「考える」という行動を取り戻すことが、非常に大切だと思うんですよね。それが「文脈全体に目を」つまり、「ちょっと立ち止まって考える」ということです。
稲垣 「日本人は、クリティカルシンキングが弱い」と言われます。例えば、会社に外国の方が入ってくると、「なぜそのルールがあるの?」といった質問を受けるんですよね。しかし、「ルールで決まっているから」とか、「新人だから」とか、「昔からこうだったから」とかいう回答しか返ってこなくて困惑している外国人の話もよく聞きます。「なぜこのルールがあるのだろう」、「時代に合わせ目的を叶えるためにはどうすればいいのだろう」と考えることが、今、必要になっていると思います。楠木先生は、大学の生徒にはどのように考えることを促すのですか?
楠木 そもそも大学の教育というのは、常に「考える」ことを促すようにできていますし、そうあるべきです。考える上では、「批判」というものが非常に大切なんです。私は「自分の考えを提供する」ということを仕事そのものにしているので、ちょっとバイアスがかかっているかもしれませんが、「本当にそうなのか?」という批判的な視点で物事を見ることが大切ですね。私の仕事の場合だと、みんなが「Aだ」と言う時に、「やっぱりAですね」と繰り返しているだけでは商売にならない。常に「本当にそうなのか?」と疑うことが仕事そのものなんですよ。『逆・タイムマシン経営論』という著書ひとつとってみても、1ページ目から終わりのページまで、「本当にそうなのか?」と言い続けています。思考の中にあるさまざまなタイプのうちで批判的な思考が大切です、という意味ではなくて、価値のある思考は常にクリティカルなものだと思います。本来、教育というものは、批判的な思考を与えるものなんですよね。大学院の時も徹底的にトレーニングされるのは批判です。非難のようなネガティブなものではなくて、「クリティカル」であるということなんですね。
稲垣 そうですね。「批判的思考」という言葉自体にマイナスの意味が含まれているように感じてしまいがちですが、「クリティカルシンキング」ということなんですね。大学院は常に、「なぜ」や「別の視点だとどうなるか」を考える場所なんですね。
楠木 そうですね。教室でのディスカッションでは、「こうだ」という意見の人がいると、すぐに「いや、そうじゃないんじゃないか」という人が現れ、これで議論になります。ベースにあるのは「クリティーク」なんです。
ダイバーシティという「同時代性の罠」に陥らない方法
稲垣 日本は労働人口の減少を受け、大企業では「ダイバーシティ推進委員会」とか、「ダイバーシティンクルージョン部」という機能を作り、多様性を受け入れる取り組みを進めようとしています。年齢やジェンダーだけでなく、昨今では外国人材も増えてきました。実際、経営陣は、日本人の50代以上の男性のままほとんど変わらないという会社が多いですが、構造上日本の多様性は否が応でも加速していくわけです。この「ダイバーシティ」もバズワードなのでしょうか。どのような点に気を付けてこの課題に向かうべきなのでしょうか?楠木 一般論として、ダイバーシティはあったほうがいい。まずはその方が社会的に自然だからです。しかし、もっと大きな理由は、「そうした方が得だから」です。だって、人口の半分は女性なんですから、男性ばかりで会社を運営するのは、「利用可能な人的資源があるのにそれを使わない」という意味で「損」ですよね。ピュアに損だと思うんです。ということは、反対に「ダイバーシティを推進すれば、ピュアに得になる」ということ。平たく言うと「そっちの方が儲かりやすい」。当たり前の話です。
外国人材の採用もまったく同じことで、これだけグローバルにビジネスを行う時代になって、潜在的な従業員として見る対象が日本の外にも開かれれば、当然人材がたくさんいる。つまり「シンプルに得だ」ということですよね。ビジネスに限定すればという話ですが、それ以外の理由はないと思うんですよ。さまざまな社会的な問題や人権、法律……そういう観点ならば話は変わりますが、「商売」という視点では、なぜ必要かというと、「その方が儲かりますから」という理由になりますよね。「経営」としてより有利に、得であるということです。
ただし、これは一般論であって、個別の企業で本当に経営に役立てて成果を出していくならば、やはり、個々の会社の文脈というものがあります。「あなたにとってのダイバーシティとはなんですか?」という、また一歩ミクロの問題になってくるわけです。ここに「同時代性の罠」といったトラップが発生する危険性は十分にあると思います。
一般論としては、外国人材に目を向けた方がいいに決まっているんですが、「文脈剥離」や「手段の目的化」を起こすと、「外国人だったら誰でもいいのか」とか、「インド出身者がいい」とか、いろいろな思惑あるじゃないですか。では、「インド人がなぜいいのか?」と尋ねると、「計算ができそうだから」と返ってくるような。全般的な傾向としては正しいのかもしれませんが、「この特定のインドの方は、本当にそうなんでしょうか?」という場合、また話は別です。ですから最終的には「自分にとってはどうなのか」という「当事者として考える」ことが大切なんです。個別特殊解としては、「いや、うちの会社は日本人で運営した方がうまくいく」というようなケースも十分考えられる。そこが「多様性」という概念のトリッキーなところですね。
私個人は、もっと女性は活躍するべきだし、もっと女性の役員や幹部が出てくるべきだと思います。しかし、仮にその意味でのダイバーシティが行き渡って日本の企業のすべてが、役員の構成比率が男50:女50になったとします。これはある意味ではダイバーシティがより進んだ社会だということになる一方、ダイバーシティの喪失でもある。企業の中に、「いや、うちは男性だけでやるから」とか、「全員関西弁で」とか、「全員喫煙者で」……というような会社もないと、「社会的な多様性」は失われますので。
稲垣 なるほど、マクロで見ると「ダイバーシティが進むと、ダイバーシティではなくなる」という矛盾ですね(笑)。
楠木 そうです。結局、1段階分析次元を上げると、多様性が高いということは、多様性を喪失することになるわけです。つまり、我々はいつも、「日本人/外国人」といったように、カテゴリカルにものを考えます。私の「逆・タイムマシン経営論」で言うと、「日本企業と外国企業」、「日本企業とアメリカ企業」、「日本企業と中国企業」……と、いつもカテゴリーで当てはめて考える。そうすると、カテゴリー観の違いにばかりに目が行って、カテゴリー内部でのバリエーション、多様性というもの見なくなる。こういうことだと思うんですよ。
当たり前のことですが、日本企業と一口に言ってもさまざまで、メルカリも日本製鉄も同じ「日本企業」ですが、その経営にはほとんど共通点はないと思います。同じように、「日本人」という中にも、非常に多種多様なバリエーションがあります。「外国人を活用しましょう! 例えば中国人を」と言っても、その「中国人」にはすごくバリエーションがありますよね。当たり前のことですが、「日本/中国」という2つのカテゴリーの間の違いよりも、カテゴリー内のバリエーションの方が大きい。
「外国人雇用」というのは具体的な経営のアクションなので、最終的には外国人材・Aさんという人を採用するかしないか、という話になりますよね。それは、「外国人」よりも「Aさんがどんな人なのか」という点が重要なんです。外国人一人ひとりの能力や、その人の得意不得意、それぞれがキャリアで実現したいことも違うでしょうから、「〇〇国人」などと一括りにしないで、これまで日本人に対して行ってきたのと同じように、その個人とのマッチングを図り、その人の能力を採用して、自社の文脈に向いているか向いてないかを判断する、という当たり前のことが大切になると思うんです。
稲垣 突き詰めていくと、「ダイバーシティや外国人ということではなく、自分の会社に向いているかどうかで判断する」という、当たり前でごくシンプルなところに戻るのですね。
楠木 当たり前のことを当たり前にやれるのが一番いいのですが、問題は「なんでその当たり前から外れていくのか?」ということで、こちらの方が重要な点です。『逆・タイムマシン経営論』では、そのひとつの理由を語っているんです。「なぜ、当たり前のことを当たり前に考えられないのか?」というと、「同時代の罠」があるからだ、という話です。
対談を終えて
楠木先生の講演や、本・コラムを読んだことがある方はわかると思うが、先生のコメントは常に「ウィット」に富んでいる。面白い視点から語られユーモアがあり、思わずクスッと笑ってしまうのだ。今回の対談で、その理由が少しわかった気がする。先生と会話していると、常に高いところから俯瞰して、クリティカルな視点でコメントをされている感じがする。決して皮肉られている感じや、揚げ足を取られている感じはなく、非常に本質的で、「そういう見方があったか!」と膝を打つような感覚だ。2021年は、いよいよ、多くの外国籍の方々が日本に入ってくることと思う。「同時代性の罠」にはまらず、クリティカルに本質をとらえた「解」を見つけていきたい。この年末年始、ぜひ、『逆・タイムマシン経営論』をご一読いただきたい。
取材協力:楠木建(くすのきけん)さん
一橋ビジネススクール 国際企業戦略専攻 教授。専攻分野は、競争戦略論とイノベーション。1989年、一橋大学大学院 商学研究科 修士課程 修了。一橋大学 商学部 専任講師、同大学 同学部 助教授、同大学 イノベーション研究センター 助教授、ボッコーニ大学(イタリア・ミラノ) 経営大学院 客員教授、同大学大学院 国際企業戦略研究科 准教授を経て、2010年から現職。主著・翻訳書に、『すべては「好き嫌い」から始まる――仕事を自由にする思考法』(文藝春秋、2019年)、『ストーリーとしての競争戦略――優れた戦略の条件』(東洋経済新報社、2010年)、『逆・タイムマシン経営論』(日経BP、2020年)など多数。
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