「今、なぜ『キャリア権』なのか」 組織と個の関係性の変化の中で、双方にメリットをもたらす羅針盤

法政大学 名誉教授/日本テレワーク協会アドバイザー 諏訪康雄氏

インタビュアー:ProFuture株式会社 代表取締役社長 寺澤康介

横並びの一括採用や年功序列に象徴される日本型雇用システムが崩れつつある中、組織と個人の関係性も大きく変わってきている。時代は「組織」中心の雇用の考え方から「個」を「軸とした対応へと移り変わりつつあるが、そこで羅針盤となるのが、「キャリア権」という概念だ。果たしてそれは、組織・個人双方に何をもたらすのか。「キャリア権」の提唱者である法政大学 名誉教授 諏訪康雄氏にお話を伺った。

組織対個人の在り方に変化

弊社ではHRプロというサイトを運営し、多くの企業の方々から人事に関するさまざまな課題やお悩みをお聞きしておりますが、ここ最近、これまで当たり前だった日本型の雇用慣行に大きな変化が起きているように感じます。経団連の中西会長やトヨタ自動車の豊田社長など経済界の重鎮が相次いで終身雇用の維持は難しいと発言し、話題になりました。一方で、新卒一括採用や横並びの処遇も見直すべきであるという議論が起こっています。まずはこうした一連の動きについて、諏訪先生はどのようにお感じになられますか?

諏訪氏

時代の変化の中では、トヨタ自動車ほどの大企業でさえ、20歳前後で採用した人を65歳、あるいは70歳まで責任を持って雇用し続けるのは難しいということです。目立った動きとしては、新卒一括採用の見直し、さらには終身雇用の限界や定年の引き上げなど、入口(採用)や出口(定年)が従来と大きく変わってきています。しかし入口と出口は変わりつつあるのに対し、真ん中の部分、つまりキャリアを構築する過程に変化が起きていません。私はここに大きな問題があると感じています。

もう一つの大きな変化として、企業と従業員の関係性があります。戦後日本では、企業が従業員の面倒を責任を持って見るという暗黙的な関係性が築かれてきました。しかし働く側の意識や価値観が多様化し、組織から個への動きが進む中、従来のような関係性に揺らぎが生じてきているように感じます。

諏訪氏

組織対個人の在り方が揺れ動くようになった一番の要因は、人口構造の変化にあると言っていいでしょう。これまで日本型雇用がうまくいっていたのは、ピラミッド型の人口構造を維持してきたからに他なりません。つまり三角形の底辺に若い世代がたくさんいて、そこが上の世代を押し上げていくという年功序列の構造がごく自然にできていました。しかもそれを個々の企業が維持できていたのは、永続的な市場環境や長期的な発展を前提としてきたからです。しかし、そういった前提条件が崩れ、人口構造が逆ピラミッド型になってきた今、それができなくなっています。

組織と個の「親子関係」が崩壊しつつある中で

これまでの企業と従業員の関係性は、親子関係に似ていると思います。要するに企業が親で、従業員が子供です。親の立場が圧倒的に強く、「言うことを聞いていれば、悪いようにはしない。お前のためを思って転勤させるんだ。そうすれば必ず成長できる」と。一方の子も親に対して不満はあるものの、「食べさせてくれるし、親の言うことを聞いていれば間違いはないだろう」と依存し、結果的に親離れが出来ない状態でした。ところがここにきて、親が突然「もう面倒は見切れない!」と宣言し、子供たちも慌て始め、それまでの関係性がガタガタと崩れてきてしまっています。

諏訪氏

おっしゃる通りだと思います。今までは組織の都合が優先で、組織が用意したレール上を進めば、然るべき昇進や昇給、定年までの雇用が保証されてきました。しかし90年代のバブル崩壊後、寄らば大樹の陰だった大企業も、すべてが永久に存続しないことがわかりましたし、存続している企業でもリストラや整理解雇、あるいは早期退職制度による肩たたきなどが行われ、それを下の世代はずっと見てきたわけです。今、子供たちは親の姿を見て、「昔のようには再生できないのではないか」と疑い、一方の親側も、「変化の激しい時代に、65歳や70歳まで面倒は見切れない。子供もそれなりに自立してくれ」と思い始めています。こうした状況だからこそ、各人が自分のキャリアは自分のものであるという認識を持ち、きちんとキャリアオーナーシップを持っておかなければならないのです。

従来の新卒採用では、初任給は横並びのスタートでした。しかし昨今では、新卒時から能力査定が導入され、AI人材などいきなり高い給料が支払われるケースも増えています。そうなると、かつてのように年齢に応じて徐々に給料が上がっていくという仕組みは機能しなくなるでしょう。組織よりも個人の状態がフォーカスされ、優秀な人がどんどん評価される一方で、役に立たない人はいきなり切り捨てられかねません。働く側からしてみれば、キャリアを人任せにしていると、そういったリスクも背負うことになるわけですね。

キャリア権とは何か?

先生は20年以上前から、自律的なキャリア形成を実現させるための拠り所の一つとして、企業の「人事権」に対して、個人の「キャリア権」を提唱されています。そもそもキャリア権とはどういったものなのでしょうか?

諏訪氏

キャリア権とは、「働く人が自分の意欲と能力に応じて希望する仕事を選択し、職業生活を通じて幸福を追求する権利」です。キャリア権という概念は確かに私が提唱したものですが、実はキャリア権を構成する基本的な要素は、昭和20年代の初頭に作られた日本国憲法の中にすでに埋め込まれていました。まず憲法13条では、個人の尊重や幸福追求権が規定され、その先の憲法26条には教育・学習権があります。また憲法22条では職業選択の自由が謳われ、さらに憲法27条では勤労の権利と義務、すなわち労働権が規定されています。このようにキャリア権とは、個人がキャリアを構築する際の法的基盤となる理念・概念であり、特定の資格や雇用形態にかかわらず、働く人すべてに当てはまるものなのです。

もともと明確な権利として認められていたと。しかしそれが日本型のシステムに組み込まれると、親子関係の中でとりあえず親だけが権利を持ってしまい、子供はただ身を預けるしかないというわけですね。

諏訪氏

おっしゃる通りです。日本型の組織中心、組織優先型の発想がすでに社会の中に根づいていましたから。したがって何が起きるかというと、キャリアを選択できるのは最初に就職先を見つけるときだけで、キャリア権はそこで止まってしまうのです。そこから先は組織の人事権に身を委ね、それに異を唱えようものなら、冷や飯を食わされるか、あるいは組織を出ていくしかありません。ちなみにもう一度だけ、キャリアを自由に選択できる機会があります。それは定年後、つまり出口のところです。しかし、それまでずっと他人任せできた人が、その年齢でいきなり自立することは難しいでしょう。

どのようなきっかけで、先生はキャリア権の必要性をお感じになられたのでしょうか。ここに至るまでの経緯について、簡単にご紹介ください。

諏訪氏

私は1980年代半ば頃から、パートタイム関係の立法政策や労働者派遣法などの研究に携わってきました。そうした中、パートタイム労働政策の検討過程で、職業能力開発、つまりキャリア形成こそが鍵になると気づき、その構造や機能、政策実現方法に目が向くようになりました。そして職業能力開発や労働市場の勉強を進めるうちに、日本型の働き方は決して万全ではない、それどころか、年齢や性別に関係なく、誰もが生き生きと働くためには、従来通りの日本型システムだとかなり無理があるのではないかと考えるようになりました。一方で、社会学や心理学など他分野におけるキャリア研究についても学び、それらをヒントに、キャリアを法の世界に取り入れたらどうなるのかという視点で、憲法を見直したところ、主要な構成要素はすでに憲法の中に入っていたことがわかりました。そこで憲法に分散的に規定された諸要素を体系化し「キャリア権」と名付け、1996年に論文を発表した次第です。

キャリア権の法的位置づけ

これまで不思議なことに、「労働法と労働基本権」、「環境法と環境権」、「情報法とプライバシー権」、「スポーツ法とスポーツ権」などの議論や学会はあるにも関わらず、「キャリア法とキャリア権」の議論は、日本はおろか、世界的に見てもほとんどなかったそうですね。

諏訪氏

そもそも法律学者は立法政策といった、法を新たに作っていく部分に関しては、それほど高い関心を示してきていません。またキャリア権はあくまでも理念であり、法律学の中では間接的な効力や宣言的な効力しかないため、なかなか議論になりづらい面もあります。一方、欧米などでは契約上、個人の主張できる領域が広く、キャリア権のようなものも文化の中に盛り込まれているため、わざわざ議論するまでもないということだと思います。

現在、法的にはどのような位置づけになっているのでしょうか?

諏訪氏

2001年にキャリア権という考え方をベースにして、雇用対策法や職業能力開発促進法が改正されました。そこでキャリアという言葉は「職業生活」、キャリアデザインという言葉は「職業生活設計」と訳され、その後急速にキャリアに関するさまざまな政策が生まれてきたわけです。2015年には職業能力開発促進法が改正。これにより、労働者は「職業生活設計」を行って、それに沿って職業能力を開発していくことが努力義務となりました。さらに事業主にはそれを支援していく努力義務が課せられ、国にはこれらを巡る国民への教育の推進が求められています。もしキャリア権という基礎となる考え方がなければ、こうした一連の法改正も実現しなかったでしょう。

キャリア権はユートピアではない

私はこの業界に入ったばかりの頃に先生とお会いして、初めてキャリア権について知り、興味を持ち始めました。ところがその後、人事の領域に詳しいある方と話した際に、「キャリア権なんて主張されたら、経営や人事は堪らない。従業員が勝手に自分のキャリアの権利を主張したら、経営、人事は成り立たない。ユートピア的な考え方だ」と言われました。

諏訪氏

そもそもキャリア権は、人事と対立するための道具ではありません。むしろ経営や人事に多くのメリットをもたらします。日本は欧米と比べると、従業員エンゲージメントが低く、仕事に対して受け身の人が多いと言われていますが、これは昨日今日に生まれた気運ではなく、実は高度成長時代から見られるものでした。日本では雇用こそ保証されど、キャリアの途中段階でその人の得意不得意や希望も聞き入れずに、一方的に異動させることが少なくありません。そのような経緯で与えられた業務は他人事でしかなく、やがてモラール・ダウンを招きます。もちろんやる気がなければ、生産性も落ちるでしょう。このように自立性を欠いた受け身の姿勢では、イノベーションを生み出すことや、変化の激しい時代を乗り切ることはできません。こうしたことからも従業員の自立的なキャリア形成が経営にとっていかに重要かがわかると思います。

企業は運命共同体から「プロジェクトチーム」へ

これまで多くの日本の経営者は、どんなことがあっても従業員のクビは切らない、雇用を維持することこそが経営責任であると考えてきました。そういった意味では、親として非常にモラルがあったとも言えます。しかしそれは、子供たちに対して長期的な雇用とそれにもとづく生活設計を約束することができたからこそ可能だったわけです。高度成長期では経営の目標を達成するためには、これまでの親子主義のやり方がある種の必勝パターンだったかもしれませんが、時代は移り変わり、勝つための戦略も変わってきました。そうした中、従業員にキャリアを自律的に選択させることは、経営戦略上、非常に重要になってきていると感じます。

諏訪氏

日本型の雇用慣行が揺らいでいる最大の原因は、やはり人手不足です。労働の供給側のバーゲニング・パワーが上がり、働き手のさまざまな思いに配慮をしないと思うように人材が採れなくなる、あるいは採ったとしてもリテンション(人材保持)ができません。したがってこれからの企業は徐々に、従来のような親子関係という一種の「運命共同体」から、プロフェッショナルで構成される「プロジェクトチーム」のような形に変わっていくと思います。個々のキャリア形成を促しつつ、内部に然るべき人材がいなければ、外部からも調達し、最強のメンバーを集めて、切磋琢磨しながら付加価値の高いサービスを提供していく。そんなチーム型の最先端を走っているのが、GAFAのような企業でしょう。こうした企業では人の出入りも激しく、一つのプロジェクトが終わると別の会社に移り、また新たなプロジェクトが発足すると再招集されるようなケースも少なくありません。またそうなると、働く側も自分を守らないといけませんから、より一層、自己研鑽や人脈づくりに励むわけです。

「人事権」×「キャリア権」でキャリアを作る

今後、企業側・働く側双方は、キャリア権をどのように活用し、またキャリア形成やキャリア支援をどのように進めていけばよいのでしょうか?

諏訪氏

若いうちは、キャリアと言われても、あまりピンとこない人もたくさんいると思います。したがってキャリアの初期段階では人事権が前に出て、企業がしっかり教育訓練をしながら、基本的な能力を身につけさせる必要があるでしょう。そして30代半ばくらいになったら、今度は個々人が持つキャリアデザインを尊重し、学習支援などを徹底することです。日本では40代半ばくらいから昇進から外れるなどして、モラール・ダウンする人が増えていきます。そうなる前に当人のやる気を起こすことが重要です。また、海外での調査によると、一つの仕事を習熟するまでの期間は、平均で11年から12年くらいで、そこから先はゆっくり下降していくと言われています。よって企業は、例えば22歳で入社した人が34〜35歳になって自分の習熟の一つの水準に達したとき、そのスキルがそれ以上落ちないように支援してあげることも大切です。

30代半ばから40代にかけてが、自律的なキャリア形成のターニングポイントになりそうですね。

諏訪氏

おっしゃる通りです。OECDが実施した「大人の学力調査」によると、大人の学力は25歳〜29歳をピークに少しずつ落ち始め、とりわけ55歳以降に落ち込みの程度が高くなっていきます。しかしそれでも、日本でも調査国全体でも人の60〜65歳はピーク時水準の約9割を維持しているそうです。ということは、健康管理を徹底し、年齢を重ねても威張らず、円滑な人間関係を築ける人であれば、かなりの能力を発揮できるはずです。しかも知的能力を9割も維持しているわけですから、逆算すると、25〜29歳の人が100時間かけて身につけるものなら、111時間くらいかければ身につく計算になります。ちなみにその際にポイントとなるのはアンラーニング(学習棄却)です。今までの慣行や経験をいったん脇に置いて、新たなものにチャレンジしていくという前向きな姿勢がないといけません。日本でチャレンジ精神というと、若い人の話のように聞こえますが、本来チャレンジ精神を持たなければいけないのは40代半ば以降、さらに50代、60代の人たちなのです。

Win-Winの関係を目指し、すり合わせを

つい、「人事権」対「キャリア権」という構図で考えてしまいがちですが、ある程度の年齢までは人事権を優先し、会社がしっかり育成する必要があるということですね。そして30代半ば以降は、個々にキャリアのオーナーシップを持たせて、自律的なキャリア形成を支援していく人事の運営を心掛けると。一方の働く側も、会社にぶら下がり続けて最後に嘆くことのないように、できるだけ早い時期から必要に応じて学習棄却をしながら、新しいことにどんどんチャレンジしなければならない。キャリア権は、まさにそのための重要な基盤になると感じました。

諏訪氏

個々人のキャリアを尊重するというのは、決して人事権をなくすことでも、組織を解体することでもありません。ある程度の年齢に達したら、一人前として組織に貢献してもらい、それに対して組織の側も、然るべく支援などをしていくことを実効的にする考え方だと思います。仮に人事権とキャリア権が対等な関係にあったとしても、そこで必要なのはすり合わせることです。人事権があるからといって、あまりにも不人情なことはできないでしょうし、キャリア権があるからといって、組織の要員計画等に反してまで自分の意向を押し付けることもできないでしょう。重要なのは、Win-Winの関係になること。そのためには、一方的に権利を主張し合うのではなく、納得できるまでしっかりすり合わせて、個人と企業が同じ方向に進む必要があると思います。

諏訪 康雄氏
法政大学 名誉教授 /
日本テレワーク協会アドバイザー

1970年に一橋大学法学部卒業後、ボローニャ大学(イタリア政府給費留学生)、東京大学大学院博士課程(単位取得退学)、ニュー・サウス・ウェールズ大学客員研究員(豪州)、ボローニャ大学客員教授、トレント大学客員教授、法政大学大学院政策創造研究科教授、厚生労働省・労働政策審議会会長等を経て、2013年から法政大学名誉教授。主な著書に『雇用政策とキャリア権』(弘文堂・単著)、『雇用と法』(放送大学教育振興会・単著)、『労使コミュニケーションと法』(日本労働研究機構・単著)、『労使紛争の処理』(日本労使関係研究協会・単著)、『外資系企業の人事管理』(日本労働研究機構・共著)など。

HRサミット2019での講演情報
L15 9/20(金)12:55-13:55 政府が推進する社会人の学び直しをめぐる現状と課題
L16 9/20(金)14:10-15:20 今、なぜキャリア権なのか?
メディアパートナー
企業と人材
人事実務
人事マネジメント
労政時報
月刊総務
経済界