6月3日 (火) 13:30 - 14:30(提供:HRプロ株式会社)

日本が活力を取り戻すために

『雇用再生』〜持続可能な働き方を考える〜

日本が活力を取り戻すために

少子高齢化、IT化、グローバル化などの急激な環境変化に伴い、いま雇用のあり方が問われています。終身雇用、年功賃金をはじめとする日本的雇用制度や、労働市場の現状と課題を踏まえ、日本が活力を取り戻すために不可欠な付加価値や生産性を高める雇用のあり方を考えます。そしてこれから日本人はどのように働くことでさらに豊かで幸せになれるのかについて論考を進め、地に足の着いた雇用改革の方向を探ります。

経済の構造変化−少子化と高齢化の進展
経済の構造変化がいま起こっているわけですが、その変化の基底にあるのが人口です。人口の変化の予測は、長期にわたりかなり高い精度で当たります。少子高齢化が進むことは1970年代から予測されていたのですが、その予測が現実に意識されはじめたのは1980年代の後半です。1989年の出生率が1.57になり「1.57ショック」と呼ばれました。
1989年以前のもっとも低い出生率は1966年の1.58でした。これは丙午の年でした。丙午生まれの女性に関する迷信のために産み控えが起き出生率が下がったのです。ですから1966年の1.58は例外的に低い数字だったわけです。しかし丙午でも何でもない1989年の出生率が1.58を下回ったので、社会は衝撃を受けたのです。
少子化と同時に長寿化も進み、結果として65歳以上の高齢人口比率も急上昇しました。65歳以上人口の比率が7%を超えると高齢化社会、14%を超えると高齢社会、21%を超えると超高齢社会と呼びます。日本では1970年に高齢化社会になり、1994年に65歳以上人口比率が14%を超えて高齢社会になりました。そして現在は超高齢社会です。
経済の構造変化−人口規模が縮小し、逆ピラミッド型の人口構成
少子化は人口の規模縮小をもたらします。現在の日本の人口は約1億2700万人ですが、20年後には約1億1000万人になります。1500万人以上少なくなるわけです。1500万人減とは100万都市15個分の人口が消失することを意味する大変化です。65歳以上の高齢者の人口比率は、昨年25%に達し、世界でもっとも高い比率となっています。しかし20年後には33%で人口の3人に1人、2060年には40%で人口の5人に2人が高齢者になると予測されています。高齢者が多く、若年者が少ない逆ピラミッド型に近い人口構造です。
経済の構造変化−国際競争が激化し、異次元のコスト競争
企業を取り巻く競争環境も変化しています。人口の減少が進むということは、国内市場は小さくなるということです。
日本の経済成長史を振り返ると、1970年代半ばまでの高度経済成長期は内需中心でした。外需が増えたのは1970年代半ばからのことです。そして1980年代前半には日米貿易摩擦が起き、デトロイトではアメリカの労働組合員などが日本車をハンマーで壊すといったパフォーマンスまでする事態となりました。この頃から徐々に外需依存の程度も強まっていったわけです。
そして1990年前後の東西冷戦の終結によって、世界経済は大きな構造変化にさらされることになりました。東西冷戦の時代に東側諸国の多くは自国ないし社会主義圏内の経済に閉じこもっていました。工業製品のレベルも低く、社会主義圏でもっとも工業化の進んでいた東ドイツで製造されていた自動車のレベルでさえ、1960年代の西側の自動車レベルでした。つまり社会主義圏の人々は国際競争には参加していなかったのです。
ところが冷戦終結後に東欧の国々は市場経済に移行しました。中国も国家体制は社会主義のままで経済だけは市場経済に移行しました。こうして安い賃金の国々がグローバル競争に一気になだれ込んできたわけです。このため先進国は、これまでと次元の異なるコスト競争を強いられることになったのです。
経済の構造変化−IT化と付加価値生産性
IT化もきわめて大きな構造変化です。1980年代にも情報技術の進化はマイクロエレクトロニクス革命などと呼ばれましたが、その影響はまだ限定的でした。しかし1990年代から飛躍的に情報技術は発展し、1993年にスタートしたクリントン政権はIT・金融を重視した政策によって最終的にはITバブルまでもたらしました。このIT化は経済に大きな影響を与え、雇用のありかたも変えてしまったのです。
IT化によって従来の定型的な作業のありかたが変わります。社員を雇って訓練しなければできなかったような仕事でも、定型的なものは汎用ソフトを使うことによって、誰にでも容易にできるようになりました。高い賃金を得るような仕事は、より高い付加価値を生み出すような非定型的な仕事でなければならなくなっているのです。
つまり付加価値生産性を高めるということです。これは少子化への対応としても必要です。今後出生率が改善したとしても当面の人口減は避けられません。また労働時間は短くすることはあってもこれ以上長くできません。労働人口と労働時間が減る中で経済規模を維持しようとするなら、労働の付加価値生産性を高める以外ありません。
労働力率から見る女性と高齢者の可能性

日本が活力を取り戻すために

雇用を考える際に、労働力を100%活用しているのかという観点はとても重要です。その活用状況を示すのが労働力率で、15歳以上の生産年齢人口中に占める労働力人口の比率を指します。20代半ばから60代にかけての男性はほぼ100%です。若年で労働力率が低いのは多くの人が高校や大学に行っているためですから、むしろ労働力の高度化を考えればさらに進学率を上げる必要もあるので、労働力率を上げる余地はありません。労働力率を上げる余地のあるのはまず女性です。女性は30代では70%と、30歳代ではほぼ7割しかその能力が活用されていません。
高齢者も同様です。60-64歳の男性の労働力率は76%、65-69歳では51%です。これは国際的には高い水準ですが、やはり60歳代前半で4分の1、後半では2分の1が活用されていません。
女性と高齢者の労働力率を上昇させることで日本経済の持続可能性を高めることができます。人口が減る中で労働力の減少を少しでも緩和するにはこれしかありません。政府の成長戦略で、女性と高齢者の活用が重点施策として取り上げられているのはこのためです。
人的資本投資という視点で雇用を考える

雇用を考える際に重要な視点は人的資本という概念です。資材は購入したての段階で一定の性能を持っており、使い続けるうちに摩耗などが起こり、性能は劣化していきます。
かし人的資本は全く違います。教育や訓練によって能力を獲得し、経済価値が高まっていきます。この人的資本理論を構築したのがゲーリー・ベッカーでした。
初期の段階では仕事能力は低く企業への貢献も低いのですが、その貢献よりは高い給与で雇用しながら教育訓練を施します。この貢献と賃金の差が投資費用です。一方訓練実施後に能力が高まり高い貢献をするようになったら、その貢献より低い給与で雇用します。この貢献と賃金の差が収益です。つまり人的資本投資は長期雇用前提の投資なのです。
「同一労働同一賃金」という考え方もありますが、これは労働を取替え可能な部品と同じように扱っている考えともいえます。投資の費用負担と収益回収を考えると同じ仕事をしていても同じ賃金とはならず、人材を「手塩にかけて育てる」のが人的資本投資です。 このプロセスは新規学卒採用のときから始まります。卒業してから就職するヨーロッパでは若年失業率が高くなり、社会も不安定となります。日本の若年失業率は国際的に極めて低く、社会は安定しています。新卒採用という雇用慣行がうまく機能しているのです。
女性が雇用を中断しなくてよい条件整備
出生率が低下しているのは特に女性にとっての子育ての機会費用が大きすぎるからです。現在大卒女性の生涯賃金は約2億5000万円と推計されています。もし働きはじめて10年くらいで辞めると若年の間は給与が安いのでたかだか5000万円くらいにしかなりません。差額の2億円が機会損失です。これは極めて大きな機会費用だといわざるをえません。
少子化対策と女性の能力活用推進のためには、女性が雇用を中断しなくていい条件を整備することが不可欠で、待機児童ゼロなどの育児支援政策などを強力に進めるべきです。
生涯現役社会の実現によって変わる生涯労働のカタチ
日本の高齢者雇用について考える際に、有り難い条件はヨーロッパなどに比べ高齢者の就労意欲が高いことです。先ほど述べたように日本の60-64歳の労働力率は76%、日本に次いで高い英米でも60%、ドイツでは50%、フランスでは20%程度です。
この高い就労意欲を活かさぬ手はありませんが、問題もあります。日本では改正高年齢者雇用安定法で65歳までの雇用が義務づけられましたが、定年を延長する企業はまだ少なく、定年後に給料を下げて再雇用するのが大半です。これは高齢者の就労意欲を大きく減退させるものとなります。もちろん採用時に賃金が大きく低下するのはその前の段階の賃金が高いためでもあります。これは日本の給与制度が年功的であることが原因です。要するに年功賃金のカーブが急なため定年前に貢献に対し給与が高すぎるのです。
そこでもう少し前の段階から年功賃金のカーブを緩やかにしていく必要があります。先輩が後輩に仕事を教える段階で先輩の給与が後輩よりも高いのは自然でありむしろ望ましいことです。しかし入社後10年くらい経って一人前になった以降は、年齢や勤続と賃金のリンクはもっと弱めるべきでしょう。
生涯現役社会では労働時間と労働年齢の長方形は、縦長から横長になります。現在は残業などで縦軸の労働時間は長く、横軸の労働年齢は短くなっています。しかしワークライフバランスを実現するために労働時間は短くなります。その代わり生涯現役で働き、労働年齢は長くなるのです。
地に足の着いた雇用改革を

日本が活力を取り戻すために

雇用改革に魔法の杖はありません。雇用改革を行うことで、日本企業や経済の競争力を強くするという論議がありますが、経済のあり方から派生的に影響を受けるのが雇用です。雇用を変えれば経済が変わるというのは、因果関係がやや逆で期待しすぎだと思います。
また多くの施策は二律背反的です。雇用が流動化することはすでに能力を身に付けた人には有利ですが、これから能力を身に付ける、とくに若者にとっては不利です。
企業にとっても同じです。アメリカなどでも1980年代前半までホワイトカラーは長期雇用が一般的でしたが、その後に雇用を流動化させてきた結果、高い賃金でないと優秀な人材を採れない、優秀な人材に逃げられないよう高い報酬を払い続けなければならないという意味で、企業にとってもコスト高になる面もでてきました。
福澤諭吉の教えから最適均衡点を探る
福澤諭吉はサイエンスという意味での「実学」と、物事の軽重大小を判断し正しい選択をするという意味での「公智」を重視しました。「実学」の実証的分析により、軽重大小を計り、「公智」によって最適均衡点を見つけ出すということです。
福澤諭吉はまた「学者は国の奴雁(どがん)なり」とも記しています。奴雁とは雁の群れが餌を啄ばんでいるとき、一羽首を揚げて四方の様子を窺い難に備え番をする雁のことです。福澤は学者の役割も同じだと言います。時勢に流されず、歴史を顧み、現状を冷静に分析し、以て将来の得失を論じるということです。雇用改革もまったく同様です。

講師紹介

  • 清家 篤氏 (せいけ あつし)

    慶應義塾大学 商学部教授 / 慶應義塾長
    清家 篤氏 (せいけ あつし)

    慶應義塾大学商学部教授、慶應義塾長。博士(商学)。専攻は労働経済学。 1992年慶應義塾大学商学部教授、2007年より商学部長、2009年より慶應義塾長。現在、日本私立大学連盟会長、経済社会総合研究所名誉所長、などを兼務。 主な著書に『雇用再生』NHKブックス(2013年)、『60歳からの仕事』(共著)講談社(2009年)、『エイジフリー社会を生きる』NTT出版(2006年)、『高齢者就業の経済学』(共著)日本経済新聞社(2004年、第48回日経・経済図書文化賞(2005年)受賞)、『労働経済』東洋経済新報社(2002年)、『生涯現役社会の条件』中公新書(1998年)、『高齢化社会の労働市場』東洋経済新報社(1993年、第17回労働関係図書優秀賞(1994年)受賞)などがある。