家康は幼少時代の多くを人質として過ごしたが、それは同時に家臣にも苦労をかけることでもあった。ある日家康が一時帰郷したとき、家康は自分の境遇を嘆くことなく家臣に対していたわりの言葉をかけ、家臣達を感動させたという。「この人について行こう」そう思わせる言動を意識すべし。
第二条「時には弱みも見せよ」
三方ヶ原の戦において家康は、武田信玄に大敗し敗走するときに恥も外聞もなく家臣に泣きついたという。しかしその様子を見て家臣たちはかえって結束し、家康を助けたという。弱い部分を見せることも、時には効果的なようである。変なプライドは捨てるべし。
第三条「どっしりと構えよ」
家康はめったに家来を処分しなかったという。本来は打ち首ものの主君に対する暴言も、軽く聞き流していたそうだ。それが多様な人材が活躍できた風土を育てたともいえるだろう。批判されても腹を立てるべからず。
第四条「会議では発言を控えよ」
家康はその生涯において、率先して発言をすることがなかったらしい。一見頼りないが、しかしそれが自ら物事を考え行動できる家臣の育成につながった。家臣達も働きやすかったのではないだろうか。上司がしゃべりすぎると部下の思考や行動を拘束し、組織にとって弊害を生むこともあり得る。家康もそれと知って黙っていたのかもしれない。リーダーは口を慎むべし。
第五条「素手で刃物を獲るな」
ある日城内で乱心した男が刃物を振り回し大騒ぎになった。ある男がそれを素手で取り押さえ周囲の賞賛を浴びたが、それを聞いた家康は褒めるどころか叱りつけたという。無用なリスクを抱えてパフォーマンスに走る人材は不要であるというのがその理由だったらしい。城内は一気に冷静になったという。リーダーは周囲に流されず、物事を冷静に観察すべし。
第六条「総意を作れ」
家康は重大な決断をするときは、自ら判断してそれに従わせるのではなく、家臣達に話し合わせ決めさせたという。チームとしての総意として事に当たることで団結力を高めたのである。やらされ仕事ではない、自主的な仕事として家臣の士気も上がっただろう。リーダーは独断専行するべからず。
第7条「身内(親しい仲間)には特に厳しくあれ」
家康は天下人になった後、譜代の大名よりも外様大名の処遇を良くした。これは、自分の周辺の人物を優遇すると、全国で不満が生じ、天下が乱れると判断したものと考えられる。妙な取り巻きが現れると組織は危険に晒される。リーダーは身内には特に厳しく接すべし。
労働者過不足判断DIという指標がある。従業員が「不足」している事業所の割合から「過剰」の割合を引いた値のことで、この数値がプラスになると人手不足状態だと考えられている。そして先日、今年2月の労働者過不足DIが発表され、過去最高の「31(※)」となったことが発表された。(厚労省労働経済動向調査 ※正社員の数値。パートタイマーは「29」
)
人手不足が叫ばれるようになって久しいが、改めてその現実が深刻なものであるということが明らかになったといえそうである。
現在、企業の人材確保策として、パートタイマーの正社員化や短時間正社員制度の導入などを進める企業が増えてきている。これらハード面の取組みはもちろん大切であるが、上記7か条のようなソフト面の問題も大切であろう。部下を管理するリーダーの高い人間力を抜きにして、人材の定着は考え難い。
「宝の中の宝といふは 人材にしくはなし(徳川家康)」
この気持ちを忘れずにいたいものである。
出岡社会保険労務士事務所 出岡 健太郎