就業規則とは会社と従業員(全体)との契約書である。確かに、就業規則の内容次第では、従業員のモチベーションをアップさせたり、企業理念を実現したりすることもできる。また、経費削減も可能である。
しかし、就業規則の基本は従業員全体との契約書なのであるから、就業規則に記載してあることは、会社は何が何でも守らないといけないということを忘れてはいけない。だからこそ、何げなく設けた1条が大変なことになる。会社が結んだ契約書の内容で大損害を被るということはよくあることであろう。しかし、従業員と交わす契約書の内容がいい加減というのはおかしな話ではなかろうか?
「就業規則の内容は詳しく把握していないが、雇用契約書をきちんと締結しているので大丈夫」と思っている方はいらっしゃらないだろうか?しかし、この考え方は誤っている。就業規則の方が個別に結んだ雇用契約書より有利な内容であれば、その部分については就業規則の内容が優先される。
就業規則の内容が契約の内容となるにもかかわらず、作成するのは会社である。不利益に変更する場合を除いては従業員の同意は基本的に不要である。労働者を守るために作成された法律は存在しているが、経営者を労務トラブルから守るために作成された法律は存在しない。だからこそ、経営者は自分で作成できる就業規則にもう少しこだわっていただきたいのである。
ところで、話は変わるが、私が作成する就業規則は従業員にとって非常に厳しい内容であると言われることがある。従業員の方からそのような意見が出るのはもっともだと思う。
完成した就業規則を読むと「○○をしてはいけない」「○○をしなければならい」という内容ばかりである。これを読んだ従業員は『自分』がしてはいけないことが書かれていると思うだろう。そうすると、確かに、厳しい内容だと思うのは当然である。
しかし、これには大切な視点が抜け落ちている。その就業規則に書かれたルールは、『自分』が行ってはいけないことが書かれているだけではなく、そのルールを破った他の従業員から『自分』が守ってもらえるのだという視点である。
例えば、遅刻に対して懲戒処分を行う規定がなかったらどうなるだろうか?確かに、『自分』も気軽に遅刻をできるかもしれない。しかし、それは他の従業員にも当てはまる。もし、同じ職場の従業員が遅刻ばかりしていたら、一緒に仕事をしている『自分』も困ることになるだろう。真面目に働いている従業員が困ることになるのである。
法律をはじめとした世の中のルールとはそのようなものではないであろうか?
私は一定の条件のもとで、就業規則の作成の一部分を従業員に参加してもらうことは良いことだと思っている。もちろん、すべての作成を無条件に従業員に任せることはできない。「もし会社にそのルールがなければ、困るのは誰か」という視点をもって話し合ってもらう必要はある。この視点をもって従業員同士で話し合ってもらうと従業員の皆で会社全体のことを考える機会になる。ルールを自分事として考える機会になる。「最初は厳しく思えた就業規則の内容が全く違うものにみえるようになった」というようなことはよくあることである。
フェスティナレンテ社会保険労務士事務所 小嶋 裕司