社員の海外赴任に付帯して発生する「年金保険料の二重負担」
日本に国民年金や厚生年金保険の制度があるように、他国にも “その国の年金制度” が存在する。そのため、自国独自の年金制度を持つ国に日本企業が社員を赴任させる場合には、「日本の年金制度」 と「赴任国の年金制度」 の両方に加入しなければならないという問題が発生する。例えば中国の場合、2011年10月から中国で就労する外国籍者は、「中国の被用者基本老齢保険」という年金制度に加入することが義務付けられた。そのため、中国に赴任を命じられた社員に「日本の厚生年金保険」 と「中国の被用者基本老齢保険」の両方に加入し、保険料を納めなければならなくなった。これが「年金保険料の二重負担」という問題である。
協定により赴任後5年間は「中国の年金制度」への加入が免除
このような問題を解消するため、2018年5月、日中間では「社会保障に関する日本国政府と中華人民共和国政府との間の協定(通称「日・中社会保障協定」)」が批准され、翌年9月1日に発効された。この協定により、日本企業が社員を中国に赴任させる場合でも、原則として5年間は「日本の厚生年金保険」にだけ加入すればよく、その間は「中国の被用者基本老齢保険」への加入は免除されることになったのである。
同様に、赴任から5年が経過した後は「中国の被用者基本老齢保険にだけ加入」し、その間は「日本の厚生年金保険」への加入が免除される。つまり、赴任中は自国か赴任先の国のいずれか一方の年金制度にだけ保険料を納めればよいことになり、二重負担問題は解消された。
協定を利用する際の3つの留意点
このように、中国展開を行う日本企業にとって、「日・中社会保障協定」という非常にありがたい仕組みがスタートしたのだが、制度利用上次のような3つの留意点も存在する。(1)中国当局に『適用証明書』を提出しなければならない
「年金保険料の二重負担」を回避する「日・中社会保障協定」のメリットは、自動的に適用されるわけではなく、中国展開を行う企業側に一定の手続きが義務付けられている。具体的には、日本の年金事務所に申請し、「適用証明書」の交付を受ける必要がある。
「適用証明書」とは、日本の年金制度に加入中であることを公式に証明する書類である。社員が中国に赴任した後、この証明書の原本を中国の社会保険料徴収機関に提出して初めて、「中国の被用者基本老齢保険」への加入が免除される。届出を行わない場合には、加入は免除されないので注意が必要だ。
(2)2019年8月31日以前の期間は、協定の対象にならない
「日・中社会保障協定」の基本的な考え方は、「中国赴任開始から5年間は“日本の厚生年金保険”にだけ加入する。その間は、“中国の被用者基本老齢保険”への加入は免除される」というものである。
ただし、中国の制度への加入が免除されるのは、あくまで協定が発効した2019年9月1日以降の期間についてだけである。協定発効の前から中国に赴任している社員の場合、同年8月31日以前の赴任期間にさかのぼって「中国の被用者基本老齢保険」への加入が免除されるわけではない。
(3)現在、中国との間で「加入期間の通算措置」は行われない
現在、日本は20カ国と社会保障協定を締結しており、そのうち多くの国と「加入期間の通算措置」を約束している。加入期間の通算措置とは、日本と赴任国の年金加入期間を合算し、老齢年金の受給権を発生させる仕組みである。
例えば、日本企業が社員をアメリカに6年間赴任させ、その間はアメリカの年金制度に加入したとする。アメリカの年金制度は10年以上加入しないと老齢年金の受給権が発生しない原則があるため、6年間だけアメリカの年金に加入しても、その社員はアメリカの老齢年金をもらう条件を満たさないことになる。しかしながら、日米間では社会保障協定を結んでいるので、上記のようなケースでも、日米両国の年金制度の加入年数を合算して10年を超えていれば、アメリカの老齢年金を受け取れる措置がなされる。このような仕組みを「加入期間の通算措置」という。
一方、中国の場合は、「被用者基本老齢保険」に入り老齢年金を受給するために必要な加入年数は15年とされている。しかしながら、「日・中社会保障協定」には「加入期間の通算措置」がない。従って、中国の年金制度への加入期間だけで15年に満たない場合には、原則として老齢年金は受け取れないのである。
2018年10月1日時点で、海外に進出している日系企業は7万5,531拠点にのぼる。国別では中国が最も多く3万2,349拠点である(「海外進出日系企業実態調査」平成30年要約版/外務省)。この数字を見てもわかるように、「日・中社会保障協定」が中国展開を進める日本企業に与える影響は、決して小さなものではない。拠点を設ける際は、この「日・中社会保障協定」のメリットを享受するため、各種手続きを忘れずに取ってもらいたい。
大須賀信敬
コンサルティングハウス プライオ 代表
中小企業診断士・特定社会保険労務士