人事コンサルタントであり、経営者である二人の視点で、人的資本経営、人的資本開示に関する海外の動向、機関投資家が企業投資を行うにあたって、人的資本に注目するようになった背景、加えて政府・企業の動きといった世の中の大きな流れについて、これまで五回にわたって語り合ってきました。

最終回は、「競争力の源泉は、結局は仕組み」、「優秀な人材を紐解け」、「人的資本経営の話はパンドラの箱」という流れで、二人が、今こそ人的資本経営、人的資本開示がビジネスモデルや経営戦略を見直すチャンスであると捉えている理由を語ります。
【最終回】人的資本開示とは「人材を活用している姿」を開示すること。
【最終回】人的資本開示とは「人材を活用している姿」を開示すること。
株式会社ディリゴ 代表取締役
長谷 真吾 Shingo Hase


1965年生まれ。89年同志社大学経済学部卒業後、リクルート入社。95年採用コンサルティング会社を設立、代表取締役社長に就任。97年日本初のインターネット人材採用管理システムを開発。2000年、日本最大のインターンシップイベントを開催。09年(株)ディリゴを設立、EQ理論をベースとした採用、教育、配属、評価、メンタルヘルスなどコンサルティングを実施。(株)アドバンテッジリスクマネジメント顧問。

株式会社ディリゴ
組織分析事業/組織対応型メンタルヘルス事業/採用コンサルティング実業/キャリア教育事業

ビジネスモデルと人材要件のマッチング、「組織と個人の本質的価値『アイデンティティ』を明らかにする」ことを基本姿勢に、科学的採用管理手法 ・EI理論を活用し経営が求める組織や個人のパフォーマンスを最大化するためのソリューションを提供。
【最終回】人的資本開示とは「人材を活用している姿」を開示すること。
ベリタス・コンサルティング株式会社 代表取締役
坂尾 晃司 Koji Sakao


1966年生まれ。89年東京大学法学部卒業後、リクルート入社。95年組織人事コンサルティング室設立に参加。99年波頭亮の会社(XEED)副社長に就任。2000年ベリタス・コンサルティング設立、代表取締役に就任。01年3月(株)日立製作所 コンサルティングフェロー(組織人事部門)就任。(株)NTTアド顧問。米国マサチューセッツ州 Linkage, Inc. 社 公式認定トレーナー。日本人材ビジネス協議会理事。

ベリタス・コンサルティング株式会社
人事戦略構築事業/人材育成体系構築事業/マネジメント改革事業

企業における全体の成果が個人ごとの成果の総和を上回る状態、「組織・人材のパフォーマンス最大化」を機動力と柔軟性をもって実績的にサポート。欧米企業のHRテック先進事例のノウハウと情報提供も強み。

競争力の源泉は、結局は仕組み

長谷:これまで何度も触れてきましたが、概念的に言うと、ビジネス競争力の源泉で一番コアとなるのは、事業戦略、つまりはビジネスモデルです。これがどれだけ明確で、他社と差別化できているかが一番大事。ビジネスモデルがクリアであればあるほど、それを遂行するための人的資本に必要な能力と資質がはっきりします。そしてフォーミングが明らかになればなるほどに説得力が増します。

坂尾:そうです、とにかくまずはビジネスモデル。差別化のポイントと、その持続性について説明できるようにしておくことが重要です。

長谷:ビジネスモデルを語る良い例として、弊社(株式会社ディリゴ)が採用のお手伝いをした会社のお話をします。女将さんが作ったカレーが好評で、夫婦で始めた喫茶店が今や全国に1,000店舗も展開されている某有名カレーチェーン店の話です。そのお店のフランチャイズの条件は夫婦でやること、そしてオーナーの奥さんが店頭に立つことでした。出店の際のマーケティングが優れていることはもちろんですが、新店舗にはお店が軌道に乗るまでの間、本社から社員が手伝いにやって来て出店を宣伝するティッシュ配りまで行い、成功するまでの間ずっとサポートし続けるのです。社員、スタッフは本社の会長を「お母さん」と呼ぶそうです。つまり、フランチャイズ店は家族。まるで子どもが成功するまで親がお金を出して応援する家族の様です。フランチャイズ1,000店舗を越えるこの会社のビジネスモデルの源泉がそこ、「お母さん」なのです。

坂尾:戦略を決めて徹底するところがポイントですね。そして本社から送りこむ人材を採用し、育ててフランチャイズ店舗へ送り込んでいるはずで、それはすごい例ですね。そういった戦略が徹底された会社と違って、戦略が曖昧で適当な会社は地盤がグラグラしてくるものです。

長谷:カレー店ですから、単純にカレーの美味しさで差別化しているように見えて、実はそうではないですよね。差別化のポイントは誰かに真似されてしまうかも知れない美味しいカレーの味ではなく、育成を含めた「仕組み」があり、それを徹底して遂行していることではないでしょうか。

坂尾:例え技術力が高くなくとも、「仕組み」で回している会社はあります。提供している商品やサービスそのものではなく、そのビジネスのやり方が競争力の源泉です。そしてやはりそれを徹底することが大切ですね。

長谷:また、年収が高いことや、成果を上げた分インセンティブを支払う、それらも(ただお金で人を釣っているのではなく)「仕組み」の一つといえます。

坂尾:しかし、「仕組み」はまさに日本企業の弱いところであるのが現実です。対談を通して何度も言っていることですが、人的資本開示において、短絡的に今会社に在籍する人を大切にするとか、今いる人材をベースに戦略を考えるということではなく、あくまでも「戦略ありき」で物事を考えるべきであると、私はそこを強く訴えたいです。もちろん今そこに在籍していない人だけを前提にするのではなく、現実的には今在籍する人もベースに考えなくてはなりませんが、順番としては「戦略ありき」です。その上で人材の採用と育成に努めるべきです。

弊社(ベリタス・コンサルティング株式会社)のアプローチで言うと、事業に照らし合わせて重要なスキル、経験、知識、差別化ポイントを定義し、それに向けて今在籍している人たちを棚卸するようにアセスメントします。今いる人材だけでどれくらいできるかを見極め、足りない経験やスキルが埋められるように育成をする、必要であれば異動もあるでしょう。それでも足りないところを人材採用、または会社を買収する、そういった順番です。
【最終回】人的資本開示とは「人材を活用している姿」を開示すること。

優秀な人材を紐解け

長谷:コンサルをする上で、自社の事業で成果が上がる人は何で上がっているのか、何で売れているのかが明確に紐解けていない会社が多いことに、度々驚いています。成績の良い人が単に「優秀だから」ではないのです。分解していくと、価値観、能力、どうやれば身についてくるものなのかが見えてくるのですが、そこを理解していない。

坂尾:入社の時点での求める人材像、あるべき人材像、(場合によっては職務ごとなど)どちらも必要ですが、その策定の方法論は重要です。長谷さんの場合はEQテストやサーベイも利用していますが、我々が行うクライアントの事業に対するアプローチでは基本的にビジネスのプロセスから見て分解し、必要となるスキル、知識、マインドなどを併せて整理します。

もう一つは、いわゆる管理職クラスに求められる、リーダーシップコンピテンシー的なアプローチです。アメリカ発の、リーダーに必要なコンピテンシー(行動特性)を定義したカードを使うといったやり方があります。行動特性が記された約70種類のカードを、例えば「絶対要る」、「あっても良い」、「あまり要らない」などと企業内、部署内で分類していきます。ウェブで投票する機能もありますが、実際にカードを並べて話し合うことに面白みと意義のある、アメリカ大企業などでも実際に使われているアプローチです。その部署ごとにリーダーが必要なスキル、コンピテンシーを洗い出し、企業の社内共通言語を決めて、それぞれの企業に適した方法で整理することができます。

長谷:私が大事にしているのは、一番にクライアント企業の「顧客との接点の持ち方」について伺うことです。それはビジネスモデルについて聞いていることになります。誰が誰に対して何をどういうプロセスで売っているのか、どういう人が「売れる人」なのか、競合とは何が違うのかなど、ビジネスモデルを詳細にしていくのです。どれだけ細かく、はっきりさせるかが人材像を決める上で非常に重要だと考えています。

坂尾:正にそうですね。どのアプローチもビジネスモデルの検証を詳細に行なうためのものです。

長谷:(長年コンサルタントをしていく中で)日本企業の課題、大問題があると感じています。それは、経営陣が分かっていないというケースです。我々がクライアントの「顧客接点」と「売れているトップセールス(営業マン)」の話を聞けば鮮明になる、その会社に適した人材像について、経営陣が実は一番知らない、分かっていないのです。採用の際に人材像を間違う理由もそこにあります。経営陣がトップセールスがどんな人かを把握していなかったり、経営者の視点が「今」ではなく「未来(の理想論)」だけにあったり、そして組織の悪い部分に目を向けがちだったりします。つまりは、いない人を欲しがって、先のビジネスのことを言っているのです。そういった経営陣の言うことを聞いて採用を行うとミスマッチが起きてしまいます。難しいところではありますが、やはり人的資本経営の根本はビジネスモデル。それを細かく分解し、業績との相関の高い行動特性、能力に紐づけられるかです。
【最終回】人的資本開示とは「人材を活用している姿」を開示すること。

人的資本経営の話はパンドラの箱

坂尾:その上で、事業の本質にマッチした人材をいかにして採るか、育てるか。弊社のコンサルの場合、営業職であれば営業のマニュアルを作成して、実際の仕事に使うだけではなく、育成に使用します。マニュアルを見てその人に足りないところを学習してもらうのです。学習する体制を「見える化」して人材を育てること、育成を実行すること。採用もそうですが、モデル、マニュアルを作るだけで満足してしまっては意味がなく、それをどう実行するか。その「HOW」を持っていない会社が実に多いのです。

人的資本経営の話はある意味パンドラの箱を開けるようなものです。投資家に人的資本経営の内容を見せた瞬間に「本当にやっていますか?」と疑念を抱かれますよね。採用、育成、他のファクターにしても、継続的にそこへパワーを割き続けなくてはいけません。その覚悟はあるのか、という話ですね。

長谷:売り上げを上げたいならば、本来やるべきことばかりですよね。

坂尾:人事施策にパワーを割くことを嫌がる経営者、管理者が多いのも事実で、目標設定訓練などを実施して一番多く聞くのは「面倒くさい」という言葉です。「部下の数が多いので、いちいちそこまではできませんから」と。

長谷:もっとひどいケースは教育研修担当者の評価が「昨年対比で何%研修費を削減できたか」であったりすることです。育ったかどうかを検証するKPIではなく、費用として見てコスト削減で評価するなど、本末転倒もいいところでしょう。

坂尾:結局コストとして捉えているということですよね。また、部下の評価結果をメールで告知しただけで「フィードバックした」と勘違いしている上司が多いことには呆れてしまいます。それでは部下の方はフィードバックをもらったと思っていませんから。

わかりやすいところで、有名な例ですがアメリカのゼネラル・エレクトリック社でいうと、上級管理職になったら必ず年間のうち2週間は後輩のマネージャーを育てるために時間を使うとか、ジャック・ウェルチ(1981年〜2001年までゼネラル・エレクトリック社のCEOを務めた伝説の経営者)は自分の業務時間の40%を人事に使っていたという話があり、北米では人事施策にパワーを割くことが文化として定着しています。ちなみに我々がいた時代のリクルートもそれに近い社風で恵まれていましたね。人的資本経営の前にやることはたくさんあります。会社としてのマネージメントを回すことは大前提です。

長谷:そして、人材要件がクリアになればなるほど、採用上の競合との差別化戦略が明確になります。こんな人が欲しい、なぜならば「うちはこういうビジネスモデルだから」と採用上で相手に伝える、伝わるということは非常に重要です。しかし、ビジネスモデルや人材要件が伝わらないコンセプトの下で採用広報を行ってしまい、「自分たちがすごいでしょ?」というスタンスの打ち出し方をする企業が実際にはよくあるものです。

坂尾:また、仕事の本質、ネイチャーを踏まえた人材要件は一般的なそれと何が変わってくるのか。「仕事の経験を本人にとってどう意味づけるか」、「仕事の意義と意味」、それらが繋がっていることがとても大切です。本当に大事なことをわかっている会社は業績が継続的に良く、株価もつきます。わかっていない会社は人的資本どころか人的施策をコストだと考えています。そんなふうに面倒くさがっていると企業はすり減っていく一方です。

長谷:当たり前のことほど出来ていないものです。改めて、競争力の源泉、ビジネスモデルに立ち返るべきではないでしょうか。

連載最終回まで拝読くださったみなさま、誠にありがとうございました。
【最終回】人的資本開示とは「人材を活用している姿」を開示すること。
【最終回】人的資本開示とは「人材を活用している姿」を開示すること。
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