部下のマネジメントや育成、組織力強化などに悩みを抱えている上司やリーダーは多いはずです。アドラー心理学は、そうした悩みを解決するだけではなく、職場における人間関係、仕事における貢献についても役立つヒントを与えてくれます。今回は、アドラー心理学の火付け役ともなったベストセラー書籍『嫌われる勇気』の著者であり、哲学者でもある岸見一郎氏に、上司やリーダーがどのように部下と接するべきか、対人関係を中心にお話しいただきました。
嫌われる勇気 ~アドラー心理学からみる職場の人間関係~

対人関係のトラブルは、人の課題に土足で踏み込むこと、踏み込まれること

組織とは人の集合体です。ですから当然、組織では人との関係があります。人間関係が上手くいっていないと、たとえ仕事が面白くても、職場に行きたくなくなるというのはよくある話です。対人関係でつまずいてしまうと、仕事に対するモチベーションも上がらなくなり、生産性も上がりません。

アドラー心理学の特徴は、格好いい言葉は使わず、「話し合いによって結末を予測するためのお手伝いをする」というような言葉を使うことです。ある時私は、アドラーの講演後、聴衆から「今日の話はコモンセンス(当たり前のこと)ではないか」と言われ、「コモンセンスのどこが悪い」と答えました。このように、アドラー心理学を知ると「考えてみれば、当たり前だ」という話はたびたび出てきます。

アドラー心理学では、よく「課題分離」という言葉が使われます。「あることの最終的な結末が誰に降りかかるか」あるいは、「あることの最終的な責任を誰が引き受けなければいけないか」と考えたときに、そのあることが誰の課題かが分かります。最も分かりやすいのは、家庭での親子関係です。たとえば、子どもが勉強しないとします。勉強をしなければ成績は上がりませんし、自分が目指している学校にも進学できません。その結末が誰に降りかかるかと言えば、それは子どもです。勉強しない責任も子どもが取らなくてはいけません。すると、勉強をするかしないかは子どもの課題です。親の課題ではありません。親から「子どもが勉強しないのですが、どうしたらいいですか?」と聞かれますが、答えは簡単です。「親の課題ではないので、子どもの課題に口を挟まなくていい」ということになります。

対人関係のトラブルは、人の課題に土足で踏み込むこと、踏み込まれることです。子どもたちも、勉強をしなくていいとは思っていません。勉強をするべきだとは思っているのに、親から「勉強をしなさい」と言われたら、逆にやる気がなくなってしまいます。

自分に価値があると思えるときにだけ、勇気が持てる

嫌われる勇気 ~アドラー心理学からみる職場の人間関係~
しかしこれが、職場の対人関係に適用できるかというと、残念ながらできないのです。若手社員の成績が一向に上がらない場合、一般的に、上司は部下に対して働きかけをすることになります。これは部下の課題だから上司といえども口を出ししてはいけない、とは言っていられません。組織に対して、一般の人は、個人を見ないはずです。ベテラン社員であっても若手社員であっても、何か失敗をしたら、その企業の問題として捉えます。ですから、失敗ばかりで成績が上がらない若手社員に対して、上司は改善を求める必要があるのです。

親子関係では、子どもが親から成績表を片手に「今のままだと将来、どうなると思うのか?」と言われると、子どもは皮肉や威嚇、挑戦としか受け止めませんが、企業の上司はあえて、それをしなければなりません。これが、「話し合いによって結末を予測するためのお手伝いする」ことの意味です。失敗を未然に防ぐことが、上司なりリーダーの大きな仕事になってきます。ですから、上司は「今のままだったら将来どうなると思うのか?」というような言い方をしても、皮肉や威嚇、挑戦と思われない人間関係を、日頃から築いておく必要があるのです。部下が従順であり、何を言っても逆らわなかったとしたら、問題は簡単に解決しますが、なかなかそのようなわけにはいきません。

上司としては部下が問題行動を起こした場合、感情的になり叱ってしまうものです。ですが、そのような対応をしたときに、部下が一体どのように捉えるか、を考えなければいけません。アドラーは「自分に価値があると思えるときにだけ、勇気が持てる」と言っています。ですが、「私なんか、大した人間じゃない」と自分に否定的な評価を与える人が多いのも事実です。このように自分の価値を低く見てしまう人は、自分のことがあまり好きではありません。ですからその場合、「自分に価値がある」と思えるように周りが援助をしてあげる必要があります。

あらゆる悩みは対人関係の悩みである

勇気には2つの側面があります。1つは「仕事に取り組む勇気」です。仕事である以上、結果を出さなければなりません。結果を出すことを恐れる人がいます。まずは、結果を出すことを恐れずに、出た結果を出発点として研鑽を重ねていくことが必要です。部下が失敗ばかりしていて成績が上がらないという現実があるとすれば、それは上司の責任ですので、自分の指導の仕方を棚に上げて、部下を攻め立てることは恥ずかしいことと言えるでしょう。

もう1つの勇気とは、対人関係の中に入っていく勇気です。対人関係の中に入っていくと、何らかの摩擦が生じます。人から嫌われたり、憎まれたりすることがあるのは当然です。そうしたことを避けたい人は、対人関係の中に入って行こうとしません。アドラーも「あらゆる悩みは対人関係の悩みである」と言っています。人との関係が上手くいっていなければ、人は幸せにはなれないと言っていいほど、対人関係は不幸を形成します。その一方で、生きる喜びや幸福を感じるのもまた、対人関係の中だけと言っても間違いではありません。

人は1人で生きているわけではなく、絶えず人とのつながりの中で生きています。結婚を例にとれば、相手と結婚すれば幸せになることができると思ったからこそ、結婚に踏み切ったわけです。摩擦が生じることが分かっていても、自ら対人関係の中へ入って行く勇気を持たなければならない、とアドラーは言っています。

ここで言う対人関係は仕事の内容によって分けることはできません。仕事の中身そのものが対人関係であるからです。上司やリーダーは、部下がその中に入っていく援助をしなければならないのです。この援助がなくては、自分に価値がないと思っている人はなかなか対人関係の中に飛び込めません。「私自身を好きになることができないのに、どうして他の人が私を好きになってくれるだろうか」と思わなければならないのです。

ですが、むしろこれまでの教育方法は、人が自分に価値があると思わせないような働きかけをしてきました。人から叱られた場合は、自分に価値があると思うことができるかどうかがポイントです。たとえば、上司が部下を叱る際に、「おまえは、いつだってそうじゃないか」という言葉を掛けると、部下は自分に価値があるとは思えなくなります。そうすると、仕事に取り組む勇気も、対人関係の中に入って行く勇気も持てなくなります。叱ってしまうと対人関係の距離が遠くなってしまい、それをそのままにして援助しようとしても、到底無理なこと。上司が言っていることが正論であっても、あるいは正論であればあるほど、部下は反発するものです。そこを乗り越えて対人関係の距離を近くしなければ、部下を援助することはできません。

自信がある上司は部下を叱ったりはしない

嫌われる勇気 ~アドラー心理学からみる職場の人間関係~
叱ることの一番の問題は、部下が上司の顔色をうかがうようになってしまうことです。失敗もせずに問題も起こさない部下は優秀ではありますが、叱られないことをいつも考えているあまり、スケールが小さく、独創性を発揮しなくなってしまいます。そのような部下が増えると、組織は発展しません。仕事をする以上、部下が自分の独創性を発揮し、ときには失敗をすることはあっても、自分の考えで動くことができる人材を育てることが、上司の責任です。感情的になって叱っている上司から、部下は何も学びません。感情的になって理不尽な言い方をせず、穏やかに、理路整然とした言葉で説明してくれる上司のほうが、はるかに頼りがいがあると思ってくれるはずです。

理不尽な言い方で部下を叱る上司には、一つの理由があります。それは、本人も自覚していないかもしれませんが、自分よりも部下のほうが有能だと薄々知っているからです。自分が部下よりも無能であることを見透かされると思った上司が、部下を支戦場に連れ出す、とアドラーは言っています。支戦場があれば、本戦場もありますが、本戦場こそ仕事の本来の場面です。部下よりも無能な上司は、仕事とは関係のない支戦場に部下を呼び出し、理不尽に叱りつけて、優位に立とうとします。もし本当に有能で自信がある上司なら、部下を叱ったりはしません。この世の中に、強制できないことが2つあります。それは、愛と尊敬です。「私のことを尊敬しなさい」と言っても、誰も尊敬しません。自分を尊敬して欲しければ、ただ仕事で有能であればいい。そのような側面があることを知っておいていただきたいと思います。

対人関係は対等の横の関係でなければいけない

一方で、叱ることよりも褒めることは、はるかにいいこととされていますが、本当に適切かどうかは、立ち止まって考えなければなりません。褒めるという行為は、対人関係で言えば上下関係にあり、能力のある人が能力のない人に対して、上から下に評価をくだすものです。子どもといえども、対人関係で下の立場に置かれることを人は極度に嫌います。これは、叱ることも同じで、言葉でしっかり説明すればいいことを、頭ごなしに叱りつけるのは、相手が自分より下だと思っているからなのです。アドラーは、「対人関係は対等の横の関係でなければいけない」と言っています。

叱るという方法でも、褒めるという方法でも、対等の横の関係であるとは言えず、結果それをされたほうは自分に価値があると思うことができません。自分に価値があると思ってもらえる方法は、2つあります。

1つは、本人が短所だと思っていたことを、長所に置き換えてあげることです。たとえば、「自分は集中力がない」という人がいたら、「あなたは集中力がないのではなく、散漫力がある」と言います。同時に何かができることは、仕事には必要な能力です。あるいは、「飽きっぽい」という人には、「決断力がある」と言います。自分が今、していることが、自分に向いていないことが分かったら、それを止めることには強い決断力が必要です。そうして、短所を長所に置き換えることで、自分に価値があると思ってもらえるように援助することが必要です。

もう1つは、「貢献感」を与えることです。人は自分が誰かの役に立つと感じられたときに、自分に価値があると思うことができます。例えば、褒めるのではなく、「ありがとう」と言えば、相手は貢献ができたと感じることができます。そうすれば、自分に価値があると思うことができますし、自分のことを好きになることができるでしょう。すると、対人関係の中に入って行く勇気を持つことができ、幸せになることができます。上司はそのような援助をしていかなければなりません。ですから、上司の方は「ありがとう」や「助かりました」という言葉をぜひ、部下に掛けてください。

成長していく人を見抜くのが人事の仕事

嫌われる勇気 ~アドラー心理学からみる職場の人間関係~
感謝の言葉を掛けるためには、「行為」ではなく、「存在」に声を掛ける必要があります。もっと言えば、生きていることそのものに「ありがとう」と言うのです。少し、紛らわしい言い方になりますが、「同じ行為の適切な面に注目することが、同時に同じ行為の不適切な面に注目しなくてもよくなるような注目の仕方をするべき」です。その際の基本的な考え方が「存在」となります。これは、生きていることそのものに注目するということです。たとえば、遅れて出社して来た若い社員がいたとします。ここでは、通勤電車で混雑して大変だったにも関わらず、ちゃんと出社してきてくれたことに注目し、「ありがとう」と言うといいでしょう。失敗ばかりして、成績が上がらない部下でも、出社してくれたことはありがたいことです。その若い社員にも、可能性はあります。ですから今後、成長することを含めて、そのままの姿で認めていることを伝えなければいけません。

人事部の方は、ソツなく仕事をこなす人材を採用したがります。「人材」という言い方は、もともとはいい言葉であると思いますが、自分を「モノ」であるかのように売り込んでくる若い人たちを採用しても、企業は発展しません。今は荒削りで失敗をするかもしれませんが、「この人は将来、きっと伸びる」という人を見抜くのが人事の仕事だと思います。あまりに即戦力ばかりに目を向けているため、本当に力がある人を見抜くことができなくなってはいませんか。人間の価値を生産性においてはいけないと思います。皆さんが年齢を重ねて働くことができなくなったとしても、この社会に存在してはいけないということにはならないのですから。

若い人たちは、上司が言っていることからは学ばず、上司自身が与えられた課題から逃げない姿を見ることで、学び、成長していきます。何かをしようとする際には、それはできないという理由を探し出さず、まず取り組んでみることが大事です。上司がそのようにしていれば、その上司の勇気は、部下や組織全体へと伝染します。

本日の話は、相手がどう変わるのかではなく、自分がどう変わるのかに終始しました。人を変えることはできません。人をいかに操作し、いかに育てるかという話ではなく、自分が部下のために何ができるのかを考えなければならないという話です。その際に、部下の責任にせず、自分の生き方、指導の仕方に改善の余地があるのではないか、と常に考えていただきたいと思います。

【質疑応答】

嫌われる勇気 ~アドラー心理学からみる職場の人間関係~
Q.本日は上司の方のお話が多くありましたが、部下が優秀であったとしても、組織の中では権限がないこともあります。そうした場合、部下はどのように上司と向き合えばいいでしょうか?

岸見氏 上司が言っていることが正しいか正しくないのかだけに注目することです。上司であっても、間違ったことを言っていれば、「それは違います」と言う勇気を持つしかありません。そのようなことをしていかないと、上司に、ただ上司であるということだけで権威を示されたら、部下は何も言えなくなります。上司の顔色だけをうかがって何も言えないでいると、自己保身に走ってしまうのです。

「嫌われる勇気」というのは、タイトルだけが独り歩きをしていますが、これは「嫌われなさい」と言っているのではなく、「嫌われることを恐れるな」という意味だと考えてください。嫌われることを恐れている限り、自分が言いたいことを言えなくなってしまいます。「No」と言わなければ、上司に認めてもらえるかもしれませんが、その人自身は不本意な人生を歩むことになってしまうので、若い人にはぜひ嫌われる勇気を持って欲しいです。本日は、上司やリーダーの目線からお話をしましたが、若い人たちこそ組織を変えていく勇気を持って欲しいと思っています。

Q.人事の世界では「怒る」と「叱る」のは違うと言われます。「怒る」のはダメでも、「叱る」のはいいと解釈していました。本日は「叱る」のはよくないとお話しされていましたが、「叱る」の定義とは何でしょうか?

岸見氏 定義と言えるか分かりませんが、「怒る」と「叱る」の区別をしないことです。「叱る」ときに感情を伴わない人はいません。そんな器用なことはできないはずです。ですから、「怒る」ことと「叱る」ことは違うと言う人や、感情をコントロールしていると言う人は、2つの間違いをしています。

1つは、そもそも叱らなくていいと思います。なぜならば、言葉でお願いすれば済むことだからです。具体的には、命令形を使わず、「~してくれませんか」と言えばいいのです。もしかしたら、相手は拒むかもしれません。それでも、言葉でお願いすることを続けていけば、相手は気持ちよく引き受けてくれます。相手が自分の要求を気持ちよく受け入れてくれる経験をした人は、あえて叱ることをしなくなるはずです。

もう1つは、「怒る」ことと「叱る」ことは違うと言っている人は、自分を誤魔化しています。「叱る」ということは、教育の方法として全く必要ないことです。怒りをコントロールすることすら必要ないと思えば、問題をシンプルに捉えることができます。ですから、私は「怒る」ことと「叱る」ことの区別を認めません。
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