最新のデジタル技術を最大限活用してビジネスに資するサービスを提供するために、欧米のグローバル企業が人事という組織をどのような方向性に進化させようとしているのか、「HR Target Operating Model」という古くて新しいコンセプトを軸に説明します。また、HR Target Operating Modelを採用しようとする多くの日系企業にとってチャレンジとなりうる事柄について、事例をもとにご紹介します。
グローバル企業としてHRの体制・役割はどう変わっていくべきか(HR Target Operating Model)(第9回)

「HR Target Operating Model」とは

「HR Target Operating Model(HR TOM)」という用語を耳にしたことがある方は多くいらっしゃると思います。デイビッド・ウルリッチ氏(David. Ulrich, a professor at University of Michigan and a partner at the RBL Group)が20年以上前に提唱した人事組織のあり方で、人事の役割を大きく以下の3つに分類しています。

(1)HR Business Partner(HRBP)
ビジネスと人事の両方の高い知見に裏付けされた戦略的なアドバイスをビジネス部門に提供する

(2)Center of Excellence/Expertise(CoE)
人事の中でも報酬や人材開発など特定の領域で高い専門性を兼ね備え、企業としての人事制度や施策の立案を推進する

(3)HR Operation
人事データ管理から従業員への給与支払いなど、定常的な人事業務を効率よく遂行する

既に多くの欧米先進企業がグローバルレベルでこのHR TOMにもとづいた設計の人事組織に移行しており、人事に関するプロセスやシステムの標準化・効率化・高付加価値化を進めてきています。一方で、多くの日系企業においてはコンセプトとしては理解されていても、実態としては組織がこのHR TOMに即した形になっていないというケースに陥っているのも実情です。筆者がこれまでにプロジェクトで経験した、HR TOMが十分に機能していない日系企業のケースをもとに、何に苦労しているのかを次にご説明します。

「HR TOM」の日本における浸透度合い

日系企業でも、「HR TOM」を志向して人事の組織形態をデザインしている企業はもちろんあります。筆者の経験上、CoEやHR Operationについては比較的スムーズに移行できているように思いますが、HRBPに関してはまだ十分に機能しているとはいえない企業が多いのではないでしょうか。実はHRBPの立ち上げが難しいというのは欧米企業においても共通の課題ではあります。しかし、とりわけ日系企業において固有の難しさがあるのではないかと考えています。

欧米企業(特にテクノロジー業界)は経営戦略として事業領域の選択と集中を繰り返して企業を成長・発展させるということが当然のこととして根付いています。一方で日系企業はM&Aで新たに企業を買収することはあっても、文化的な背景もあって、部門ごと売却することは欧米企業ほど盛んではありません。その結果、大企業であればあるほど事業領域が多岐にわたり、親和性や共通項があまり存在しない状態でビジネスが個別に経営されているといえると思います。

また、皆様ご存じのとおり、日系企業では人材の配置戦略として、特に若いうちは企業内のさまざまなポジションを経験させるローテーション制を採用していることが多く、スペシャリストではなくゼネラリストを育成しているとよく語られています。

最初に述べたように、HRBPの役割を果たすにはビジネスへの高い知見を持っていることが前提となっています。しかし、事業領域が多岐にわたる中でローテーションしていくと、それぞれの事業を広く浅く経験する社員が多くなり、特定の事業に対して深い洞察をおこなうスキルを身につけられません。これが社内からHRBPの適性を持った社員を探すことが難しい理由のひとつです。

仮にHRBPとしてアサインしても、結局は本来の「高度に戦略的なアドバイスをおこなうパートナー」という役割を果たすことなく、「ビジネスサイドに残る人事関連のオペレーション業務(定期異動に向けた発令情報のExcelとりまとめなど)」に終始しているようなケースを、筆者も数多く目にしてきました。

Future HR Target Operating Model

日本ではなかなか根付いたとはいえない「HR TOM」ですが、欧米企業ではデジタル技術を活用してもう一歩進んだ形へと進化させようとしています。
グローバル企業としてHRの体制・役割はどう変わっていくべきか(HR Target Operating Model)(第9回)
こちらの図はデジタルによってオペレーション能力を向上させ、ビジネスにとってより重要な領域への投資が可能になるというイメージです。HR TOMを4象限(※)で表現しており、左の「従来型のモデル(Prevalent HR Model)」ではどうしても人がサポートしきれなかった領域(逆L字の濃灰色部分)がありましたが、デジタルによってHRのケイパビリティが全体的に底上げされ(右図のL字の青色部分)、より複雑で、よりビジネスに近い立場での業務にシフトしていくということを右側の「将来モデル(Future Model)」で説明しています。

※:この図の4象限の下段では、HR Operationを労働集約的な業務を担当する「HR Service Center/Shared Service」と、ビジネスの現場に残る業務を担当する「Field HR」の2種類に分けています。

ここでは、既存のHRビジネスの効率化の推進に寄与するデジタル技術として、主に以下のようなものがあげられています。

(I)RPA:採用候補者のパイプライン拡大・スクリーニング・面接などの調整、内定者の入社前手続き、給与や報酬関連のデータ作成、勤怠
(II)Chatbot:従業員からの問い合わせ対応
(III)Workforce Planning:フルタイム/パートタイム、外部リソースの要素を絡めた要員計画予測
(IV)Enhanced ESS/MSS:スマートフォンも含めた従業員の自立的なオペレーション
(V)On‐demand Reporting&Dashboard:ビジネスリーダーへの各種データ提供

おそらく、どれも聞いたことがあるようなものばかりだと思いますが、これらは既に多くの日系企業においても導入が進められています。つまり一定程度は人事業務の効率化、自動化は進んでおり、ある意味では、欧米企業同様に新しいHR TOMに進化する素地はできているといえるのではないでしょうか。

「HRBP」から「(HR)Business Advisor」へ

4象限それぞれについて必要なケイパビリティが定義されていますが、ここでは最も難易度の高い右上の赤い領域について触れてみます。
グローバル企業としてHRの体制・役割はどう変わっていくべきか(HR Target Operating Model)(第9回)
「HRBP 2.0」として「(HR) Business Advisor」と呼んでいますが、必要なケイパビリティに定義されているのは以下の4点です。

(1)Business Value Chain Expert
バリューチェーンの中で付加価値を生み出している/毀損している部分を本質的に理解し、ヒトという側面から適切なポイントに対してテコ入れする

(2)Capability Expert
結果としての行動と能力を区別することができ、ビジネスにとって最適な採用プロセスと能力開発プログラムに落とし込む

(3)Executive Coach
コーチとしてビジネスサイドから信頼を得ており、シニアエグゼクティブの振る舞いに影響を与える

(4)Business Advisor
ビジネス上の課題をヒトの要素にまで分解し、クロスファンクショナルにエキスパートを巻き込んで課題解決を促進する

太字部分を見ていただくとわかるように、いずれのケイパビリティにおいてもビジネスの深い理解や関係性が前提となっています。(HR) Business Advisorは、そのビジネスの最高責任者と同等程度の深い見識を持ち、HRの専門家としてビジネスをドライブするために必要な助言や施策の実施を遂行するという極めて困難な役割である、といえるでしょう。従来のHRBPですらハードルが高いのに、より高いレベルでビジネスの理解が求められるとなると、日系企業にとって、やはりこの領域に適切な人材を配置できるかどうかが、最新のHR TOMに進化することの成否の分水嶺になるのではないでしょうか。

「HRBP 2.0」として人材を育てるために

誤解を恐れずにいえば、今すぐに「HRBP 2.0」が社内・社外で見つかる日系企業は、ほとんどないのではないでしょうか。結局は中長期的な視野で育成する以外に道はないのだろうと思います。ではどのようなポテンシャルを持つ人材を抜擢し、HRBP 2.0として育成していくべきなのか、ひとつのアイデアを示します。

HRBPに必要なスペックはシンプルにすると「ビジネスへの理解」、「人事の知識」、「戦略的思考」といえます。それらをすべて高いレベルで兼ね備えた人材を見つけるのが極めて困難なのは前に述べた通りです。そのため、優先順位をつけて取捨選択をすることが必要になります。

逆説的ですが、筆者は、人事の一部でありながら人事の知識が最も優先順位が低いと考えています。ビジネスのリーダーと対峙するのにビジネス理解がないと話にならない、また、戦略的な思考は他人の助けを得ることは難しいのに対して、人事の中にはCoEという専門家集団がいてバックアップしてもらうことでHRBP 2.0として機能することが可能になると考えているからです。

一例ですが、この仮説にもとづくと、HRBP 2.0の候補としては、人事の中からではなくビジネスサイドから、エース級ないしは、一定以上の経験を積んでいて論理的に考えて迅速にアクションをとれるような人材を抜擢することが必要です。そして、人事として全面的にバックアップしていくような人材配置が、長い目で見れば最も「HR TOM」を高いレベルで機能させる手段になるのではないでしょうか。

「HR TOM」のグローバルガバナンス

ここまで人事の機能軸での「HR TOM」について説明してきましたが、グローバル企業にとってのチャレンジのひとつとして、もう一段上から俯瞰した立場から、HR TOMにもとづいて役割分担された人事組織に対し、グローバルレベルでどうガバナンスをかけるのかというテーマがあります。

これまではビジネスモデルに合わせて「事業軸」と「地域軸」の両軸の中でバランスを取る形で組織設計をしてきた企業がほとんどだと思いますが、欧米企業は比較的に事業軸の要素が強く、日系企業は地域軸の要素が強い傾向にあるようです。例えば組織図を描くときに、日系企業はエンティティごとに比較的きれいに組織のハコを整理できるものの、欧米企業では国にひもづくエンティティ単位では表現できない(例えば、ある国の事業本部長はその国の社長ではなくリージョンの事業部CEOにレポートする、など)ケースが多々あります。人事も例外ではなく、各企業は、事業軸と地域軸の中で最適なバランスを目指した組織設計に苦心して取り組んできました。

この従来の考え方に対して、人事組織を「成熟度という軸も加味して設計する」という新しい発想を取り入れる企業が出てきています。人口構成や教育普及率など、ヒトに関わる問題は地域よりもその国の成熟度によって大きく異なります。また、抱えている人事課題は、先進国同士、新興国同士の方が、共通点が多くあることは容易に想像できると思います。この考えにもとづき、例えば、APACという括りをなくして、日本は米国やドイツ、イギリスなどと一緒のグループに、中国やインド、東南アジアはアフリカや南米と同じグループに再編し、グループで共通の人事戦略を練るような組織体制に移行するのです。

「HR TOM」を取り入れる、もしくは強化するときに、必ず人事組織についても再編を検討することになると思います。その際には「事業軸」、「地域軸」という要素に加えて「成熟度軸」も考慮に加えると、これまでの日本企業にはない新しいロールモデルとなる人事組織ができるのではないでしょうか。

最後になりましたが、本稿が読者の皆様にとって人事組織を設計する際の一助となれば幸いです。
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