あなたの大切にしているものをもってきて
TVドラマのタイトルワークや商品パッケージ等、様々なアートワークを手掛ける、アートディレクターの森本千絵氏が運営する会社の採用が面白い。履歴書、家族や友人との写真、自作アート作品、10年後の自分への手紙等の選考を経て、面接時には“自分が大切しているもの”を持ってきてもらうという。大切にしているものは、その人の価値観や考え方を如実に表す。つまり、彼女の会社の採用選考では、大金を払っても手に入らない、その人しか持っていないもの、その人の心にある“愛”を見るというわけだ。
選ばれた人が面接に持ってくるものは、メッセージやコメントをいれた溢れるような愛情を感じる家族写真だったり、小学生のころから大切にしている、好きな言葉を刻んだ手作りの工作物だったり、好きな道を進む後押しとなった、友人から贈られた合格祈願のキーホルダーのようなものだったりする。
なぜ森本氏はこのように“宝もの”にこだわるのか。それは、自分の宝ものを持っていない人が、誰かに宝ものを提供することはできないと考えるからだ。誰かの宝ものになるような心のこもった作品づくりこそ、彼女がもっとも重要視する部分なのである。(※詳細はNHKラジオ「マイあさラジオ」サンデーエッセーのアーカイブにて聴取可能。)
さて、筆者の身近な友人たちに、自分の宝ものは何かと聞いてみると、彼らは想像以上に真剣な面持ちで考え、答えるのである。そして答えた後に、この問いに感謝さえしてくれる。改めて、自分の宝ものを確認できた、と。
例えば、金融機関に勤める女性の友人は、それは“預金通帳”だという。金融機関に勤めているからそうなったのか、もともとそのような気質だったから金融機関に勤めだしたのか…そのような「ニワトリが先か卵が先か」のような後先論争は置いておくとして、勤め先企業との価値観は一致しているようだ。その後、お金の大切さを切々と事例をあげて話してくれた。
他にも、何かに誘っても大体、「よく考えてみる、ちょっと時間を頂戴」という女性の友人がいるのだが、この質問に限っては即答だった。それは“自分自身の体”だという。高齢になってくると、物や家族への執着はもうない、とのことで、今健康で自立している状態が何よりとのこと。これもある意味、彼女が置かれている環境からすると、もっとな価値観ではないかと思う。
またある友人は、小学生の頃から大切にしている“小さな香水瓶”だと答えてくれた。それは当時、フランスからエアメールで届いたもので、良い香りとともに、ワクワクとした海外への憧れは、そこから始まったのだという。その後彼女が頻繁に海外へ行くような人生となることを運命づけた、魔法の小瓶というわけだ。これにもやはり、彼女らしい価値観が表れている。
このような個々の宝ものを、「新しい価値の創出の源」とするには、どうしたらよいのだろうか。例にあげた森本千絵氏が運営する会社は、アートワークを手がける会社なので、まさに新しい価値の創出が常に要求されるわけだが、何もこのようなアートの世界に限った話ではなく、今の日本企業は「新しい価値を創出する人材」を求めている。
新しい価値を創出する人材を養成することはできるのか
以上のことを踏まえて、新しい価値を創出する人材を養成するために、どんな方法が考えられるだろう。ポイントは三つあるように思う。一つ目はまず、教育を変えること。特に、大学での教育を変えることである。宝ものを発信する基礎的な知識やスキルは、大学で学ぶようにすればいい。
日本人は、高校時代の学力は世界のトップ水準にあるにも関わらず、大学に入ると途端に勉強しなくなる傾向があり、その潜在能力が生かされていない。今年開学した長野県立大学では、ソニーの元社長も務めた安藤国威理事長、金田一真澄学長のもとで、生活の規律、勉強習慣を徹底して身につけさせ、アクティブラーニング、考える、議論する、発表する、に重きを置いた教育をスタートした。英語は勿論のこと、ビジネスを作っていく力をつけることを重視している。このような動きが増え、大学でしっかりと企業の求める人材を育てるようになれば、採用の基準も変わり、企業内教育や研修は、これまでとは様相を変えるだろう。
二つ目は、個人の生涯を通した、継続的な学びを重視することである。現代のように予測困難な時代においては、主体的に考える力を持ち、生涯学び続ける姿勢がなくては、知識や技能はすぐに陳腐化してしまう。
三つ目は、自己肯定感を高めることである。これこそ、個人の価値の創出に深く関係する心理だ。宝ものとは、言うなれば“好きなもの”。そして本来誰もが、その好きなものを大切したいと考えて暮らしている。例えば、1番目は家族、2番目はお金と仕事、3番目は健康など。これは、気づいている人もあれば、気づいていない人もいるのだが、人はそのランクづけに従って、大切なことにとってプラスになることをやり、マイナスになることはやらないものだ。
大切なこと、好きなことを中心に生きると、人は輝く。ところがそこから離れると、人は自分自身を生きられなくなってしまう。自己肯定感が下がってしまうのだ。これは成功者や身近にいるハッピーな人をみると実感されることと思う。価値観は、人格を形成するのである。
「社員の宝もの」が、「企業の宝もの」となり、そしてそれが「誰かの宝もの」となったとき、利益としてかえってくる。長期で多様なライフステージを生きる時代に、企業も人も輝くためには、制度に加え、お互いに違った価値観を認め合い、活かし合い、新たな価値を育む職場風土づくりが、より重要になっていくだろう。
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