この連載では、多摩大学大学院のキーコンセプトである「イノベーターシップ」について述べている。今回は、その5つの力のうちの「パイ型ベース」について。
第5回 イノベーターシップの深みを出す「知の交差点と実践的教養」:パイ型ベース
 これまでの4回では、まずイノベーターシップのコンセプトと今なぜ必要かを明らかにしたうえで、その5つの要素を順に説明してきた。まず一つ目は、日本人が得意としてきた顧客起点の罠から脱して、目線を上げて社会起点に切り替える「未来構想力」。二つ目が描いた未来を実現するためのしたたかな実践知(Practical Wisdom)。そして三つ目が前回述べた、壁にぶち当たっても前に進むレジリエンスである、「突破力」だ。こうした表の力に対して、それを支える裏の力となる二つの力のうち、今回は「パイ型ベース」について解説したい。

 パイ型ベースとは、ギリシャ文字のパイ(π)の形に例えられる知見の深さと広さだ。すなわち、ひとつの専門分野において深いだけなく、複数の専門分野(パイの二本の足)と、幅広い教養(頭の横棒)を持つことをイメージしている。
 個人がイノベーターシップを発揮する原動力には「一流になりたい」という強い思いがある。自分の得意分野で一番になりたい、一流のスキルを身につけて一流の貢献をしたい、真のプロになりたい・・・このような自分への挑戦であり、社会への積極的関与への熱意だ。これが世界を変えるイノベーションの原点にあるのは、今の若い起業家やソーシャルイノベーターたちを見ても明らかだ。イノベーターシップと単なるリーダーシップ(状況の変化に応じた変化対応力という意味で)、またマネジメントとしての単なる問題解決との違いである。

 このような「一流のことを成し遂げたい強い思い」「一流のプロになりたいという強い思い」が専門分野を突き詰める原動力であり、弛まぬ自己鍛錬に通じる。プロの世界は厳しいし、世界を変えるインパクトを持つアイデアを出すにはまずは自分の得意分野を定め、その道を極めないことには話が始まらない。
 しかもスポーツやアートと違い、ビジネスの世界で一流になるには、ひとつの専門分野だけでは難しいのも事実である。そこには「知の交差点」が必要だ。スティーブ・ジョブズがMachintoshを創りだしたときに、世界で初めて多様なフォントを使えるようにしたのは、彼が大学時代に、カリグラフィーというアルファベットの書体の研究にのめりこんでいたからだ。ITとはまったく違う分野の知が、ITと交差して、美しいフォント機能を持つPCができ、人々を魅了した。

 一流の経営者であれば、モノづくりだけではなく、コトづくり、ヒトづくりについても深く思考を巡らせているはずである。モノづくりの専門だけでなく、社会学、心理学などのマーケティング領域、経理や人事管理などの経営機能、さらにはアートの世界といった、一見ビジネスとは無関係なさまざまな複数の専門分野への知見を持つことが重要になる。その懐が深いほど知の交差点を形成しやすくなる。これがT字型ではなく、π字型で足が複数ある意味だ。
 したがって部門間ローテーションや転職、シャドーワーク、海外勤務など多くの場を経験することはチャンスだ。しかし、それを知の交差点ができるほどの深い経験にできるかどうかは、異なる世界に対して知的好奇心を持ち、パイ字型の足をつくる意識を持ち自覚的にとらえられるか否かにかかっている。
第5回 イノベーターシップの深みを出す「知の交差点と実践的教養」:パイ型ベース


 このような知的好奇心は「教養への関心」から生まれるのではないだろうか。教養への関心とは、考えてもたやすく答えの出てこない問いを考え続ける好奇心であり、人類の知の営みの歴史から学ぼうとする謙虚な心でもある。私たちを取り巻く環境を歴史的文脈で見る。地政学的文脈で見る、宗教のダイナミックスの文脈で見る、哲学の文脈で見る、などの複数の視点を持つことが、自分のビジネスの「目的」を考えるときには必ず必要になるはずだ。
 またリーダーとして、企業トップとして、社会的目線でのメッセージ性が求められる今、そのような大きな視点を欠いては、人々から尊敬されない。教養が役に立たないと思うのは、短期的な問題潰しにはまっているからだ。
 かつてソクラテスは言った。

 <我々にとって、最も瑣末なことは、我々が最も頻繁に考え語っているものであり、最も重要なことは、最も考え語られることの少ないものである>

 教養がなくても問題解決はできるが、それが真の解決かどうかは教養がなくては判断できない。多くの問題が複雑化した今、解決策は時代の審判に託される場合が多い。そうだとすると、教養などいらないとうそぶいて、消費者ニーズだけ、利益だけを追い求めるのは社会への冒涜ではないだろうか。
 ハウツー本、ノウハウ本が流行る時代だが、それはサイモン・シネックのいう「HOW」にすぎない。自分のWHY、すなわち目的を大きな文脈で見出すには、考え続ける知性、教養が重要なのだ。そのような教養がなければ、自分はどこに行くべきか、社会をどう変革したいのかという答えが出せるはずがない。パイ型ベースとはイノベーターシップの土台を形成するのである。

 それゆえ、パイ型ベースでは以下の3点が重要だ。
①複数の分野での一流の専門力
・グローバルに一流の専門性を持っているか?
・複数の専門分野を持っていて、他者に専門的見地を語れるか?
・知の交差点で何かを生み出そうと試しているか?

②目的形成につなげる広い教養
・教養の分野で自分の得意分野はなにか?
・自分の目的は時代の流れの中で、教養的視点で見ると、どのように分析できるか?(例:歴史、世界、哲学などの視点で、どう正当化されるのか?)
・自分の仕事は、教養に照らすと、どのような価値を生んでいると説明できるか?(例:歴史、世界、哲学の視点で見ると、自分のやっていることは正しい方向なのか?)

③知のベースとなる情報収集力
・新聞を毎日、読んでいるか?
・問題意識のリストをつくって、見聞きするニュースなどを当てはめているか?
・日常に起きた出来事や、触れたニュースをベースにセルフコーチングを行っているか?

 これらの3点を実行するために、忙しい中でもそれなりの時間を生み出して、新たな知の再武装を試みてほしい。
  • 1

この記事にリアクションをお願いします!