映画やアニメを見ることから始めることで、身近に感じられる

稲垣 宗教リテラシーの必要性がよくわかりました。では、まったく宗教に無関心で、知識のない人が、その第一歩を踏み出すにはどうすればよいのでしょうか。

小原 我々が普段接している映画や漫画にも、実は宗教的な要素は入っています。映画『マトリックス』はその典型です。あの作品は基本的に全部キリスト教の世界観や用語でできていますので、キリスト教の知識があると見方が正反対に変わってくるんですよ。単に未来社会ではなく、例えば、主人公のネオにはメシア的なイメージが想定されていたり、人類の最後のとりで・理想郷としてザイオンが設定されたり、いろいろなキリスト教の仕掛けが、このハリウッド映画には組み込まれています。日本でも、ヒットしている漫画は魅力的な世界観を持っているのですが、それもまったくゼロから作者が考え出したというよりは、文化や宗教の世界観を借りてきていることが少なくありません。

わかりやすい例を挙げると、宮崎駿監督が描くような世界観。日本のアニミズム的な世界観が下地にあります。『となりのトトロ』や『もののけ姫』では、自然と人間の関係が生きいきと描かれています。『千と千尋の神隠し』では、多数の神々が登場していますよね。我々は伝統的な宗教をそれとして学んではいないけれども、アニメや漫画、あるいは映画のようなサブカルチャーを通じて宗教性の末端に触れているんですよ。触れることによって納得し、満足しているので、我々は宗教から離れているわけではないのです。知らず知らずのうちに宗教的世界観からエネルギーをもらっているとさえいえます。ヒットし、人々の心をとらえた映画というものは、多くの場合、非常に豊かな宗教性を含んでいます。見ている人はそれに気づかないこともありますが、でも気づかずしてそこからエネルギーをもらっているんです。

『もののけ姫』の場合には、製鉄技術が始まった時代を描いていますが、それによって森が脅かされ、人間と自然との関係が変わる時期に果たして人間はどのようにして山の生き物達と向き合ったらよいのか、といった問いが、映画を見る者に投げかけられているわけです。そのような問いかけに触れることによって、「山の中にもさまざまな命があるんだな」とか、「木々にも生命が宿っているんだな」といったことを感じて、普段忘れているものに気づくこともできます。

『ポケモン』とか『ドラゴンボール』などのアニメは海外でも広く視聴されていますが、これらも、日本の宗教性を色濃く反映しているといえます。『ドラゴンボール』では、悟空が死んでも、あちらの世界に行って、また特訓して戻ってくるとか、向こうの世界とこちらの世界が存在するとかいったことが当前のように設定されています。あちらの世界には神様がいたり、その神様も複数存在していたり。そのような異世界を大前提にしていても、誰も奇妙だとは思いません。かえって、そういう世界を描くことによって、物語全体の奥行きがグッと増しているわけですよね。単にこの世界にかぎって「強い弱い」、「勝った負けた」、「死んだらお終い」というだけではなく、死んでもなお修行できるとか、ドラゴンボールを7つそろえることによって死者を復活させることができる、とかね。これらは宗教的な世界観をたっぷりと含んでいます。

それから『ポケモン』。これは一部の宗教圏では禁止された例がありますが、やはり日本的な文化特性を含んでいます。ポケモンは、フシギバナのように異なる生物を組み合わせたり、岩石のような物体にも命も与えたり、そこかしこに実に多彩なアニミズム的生命観が見られます。また、ポケモンとトレーナー達との友情も大切なテーマになっていますね。人間と人間以外の生物が友情関係を持つというのは、西洋ではほとんどありません。西洋では、動物は人間のための資源であって、とりわけデカルト以降、動物は機械的なものとして見られてきました。動物はモノであり、せいぜい機械なのだから、とりたててそれを大事に扱う必要はないとうことになります。もちろん、西洋でも、近年は、動物観が大きく変わってきています。

日本の場合には、室町時代の頃から、道具にも命が宿ると信じる文化がありました。「付喪(つくも)神」はその典型で、100年近く、長い間使った道具にはおのずと魂が宿って、それが夜な夜な動き出す、そういった説話を描いた絵巻物『百鬼夜行絵巻』がありますね。道具にも魂が宿るし、いわんや動物達をやで、魂はあります。さらに、鬼とか河童とか、空想的な生き物にも当然命があって、人間とやり取りをするんです。『ポケモン』の場合、この世に存在しないような生き物と人間との間で友情が成立しているわけですが、このようなきわめて日本的な世界観が、世界中で自然に受け入れられているというのも、グローバル化のおもしろい点だと思います。

インタビューを終えて

これまで、宗教とは、自分には深く知る必要がないものだと思っていたし、そもそも理解できない概念だと思っていた。しかし、これは正反対だったようだ。グローバル化が加速していくこれからの社会では、「宗教リテラシー」は必須であるし、その深みには到底到達できないかもしれないが、自分なりに理解・解釈もできる概念であった。このコラムを読んで興味を持っていただいた方は、小原教授の『世界を読み解く「宗教」入門』(日本実業出版社)をおすすめしたい。今までは外国の方々と信仰について話すことを避けてきた自分がいるが、これからはもう少し自分の言葉で話ができるように思う。そのためには必要なことのひとつが、さまざまな宗教観を知ることだ。来月からの対談で、4つの宗教に詳しい方々とその奥深さを感じてみようと思う。
第11話:日本人がグローバル化する鍵のひとつは、宗教リテラシーである
取材協力:小原 克博(こはら かつひろ)さん
1965年、大阪生まれ。1989~91年、マインツ大学、ハイデルベルク大学(ドイツ)に留学。1996年、同志社大学大学院神学研究科博士課程修了。博士(神学)。現在、同志社大学神学部教授、良心学研究センターセンター長。宗教倫理学会会長、日本宗教学会常務理事等を務める。一神教学際研究センター長(2010~15年)、京都・宗教系大学院連合議長(2013~15年)、京都民医連中央病院倫理委員会委員長(2003~09年、2010~18年)、宗教倫理学会 会長(2016~18年)等を歴任。専門はキリスト教思想、宗教倫理学、一神教研究。先端医療、環境問題、性差別などをめぐる倫理的課題や、宗教と政治の関係、および、一神教に焦点を当てた文明論、戦争論に取り組む。単著として『ビジネス教養として知っておきたい 世界を読み解く「宗教」入門』(日本実業出版社、2018年)、『一神教とは何か──キリスト教、ユダヤ教、イスラームを知るために』(平凡社新書、2018年)等、共著にとして『人類の起源、宗教の誕生──ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』(平凡社新書、2019年)等がある。

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