肉体を使う「肉体労働」、頭脳を使う「頭脳労働」に加え、感情を使う「感情労働」の比重が増している。今回は「職場の顔」と「道徳的な自分」、その対称となる「本当の顔」と「感情的な自分」から、「感情労働」を考えてみる。
あなたの本当の顔はどれですか? ~「感情労働」とこれからの人事労務管理(3)~

「職場の顔」と「本当の顔」

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人は職場に出れば一般的には「職場の顔」を持つ。個々によって程度の差はあるが、人は仕事上の顔とプライベートでの顔では異なる。仕事では笑顔を振りまき誰にでも愛想の良い営業マンでも、家に帰れば、無口で不機嫌で家族からは疎まれる存在であるようなケースもあるだろう。
「感情労働」の提唱者であるA.R.ホックシールドは、次の二つの分類を定義した。①表層演技
自身の内面の感情にかかわらず、表面の感情を表出するもの。
例示として「俳優」の演技を挙げている。「俳優」は自身の感情とは異なる感情=役柄の感情を表出させ、演技という仕事を行っている。

②深層演技

自身が経験する感情そのものを状況に適したものに変化させる事により、自然とそれに伴う表出が生まれることを志向するもの。
例示として「客室乗務員」は、内面の感情でさえ表面の演技と同じ感情を持つよう求められるとしている。不快な乗客に対しても心から笑顔を表出し、適切なサービスを行うよう訓練される。

心理的なストレス(消耗)について考えたとき、①の表層演技と②の深層演技ではどちらが大きいであろうか。この点については研究により異なった結果が得られている。
①は「仕事の顔」と「本当の顔」を明確に分けている状態である。明確に分けているからこそ、心理的なストレス(消耗)は少ないとも考えられる。一方、明確に分けているからこそ、その不一致に苦しむ、との結果もある。②は「本当の顔」を「仕事の顔」に一致させる。「本当の顔」の感情をコントロールさせ常に仕事に取り組む。「本当の顔」と「仕事の顔」の感情との間に不一致な違和感を持たずいられれば、その方が心理的なストレス(消耗)は少ないとも考えられる。
職務に対する満足度(職務満足)についても同様のことが言えるであろう。 ただし、「本当の顔」と「仕事の顔」の間に隔たりがあり、それが状態化、あるいはその隔たりが大きければ、どうであろう。「本当の顔」と「仕事の顔」との不一致が心理的なストレス(消耗)となってしまうだろう。

「道徳的な自分」と「感情的な自分」

人は道徳的に振る舞うこともあれば、道徳に反して感情的に振る舞ってしまうこともある。感情をコントロールすることが上手な人は、道徳的であるとされる。
1960年代のアメリカでの公民権運動の際、「人種差別反対」を訴えていた白人紳士が、自宅の隣に引っ越してきた黒人に対して「出て行け!」と怒鳴ったという逸話を聞いたことがあるが、常に「道徳的な自分」でいることは中々難しいことかも知れない。

会社においても会社組織において求められる倫理・行動規範というものがある。(これらの行動現象をまとめていくと昨今の評価基準の主流である「コンピテンシー」にもつながっていくであろう)
会社における倫理・行動模範を違和感なく受け入れ、それに対する遵守意識により自身の感情を自然にコントロールできるならば、理屈の上では「感情労働」による疲弊は起こらないであろう。
その点から考えると「感情労働」により疲弊する要因として、次のようなものが考えられる。
①会社組織の倫理・行動規範が明確になっていない。
②会社組織の倫理・行動規範は明確にあるが、従業員に浸透していない。
③会社組織の倫理・行動規範に対して違和感を持っている。又は、受け入れられない。

また、例えば、社員Aが会社組織の倫理・行動規範を違和感なく受け入れ自身の感情を自然にコントロールしながら仕事をしていたとしても、同僚の社員Bがそうでなければ、社員Aと社員Bとの間に、「感情的な葛藤=感情労働による疲弊」が起こり得る。
更に、複数の会社組織の倫理・行動規範を経験する中で、人は自分自身の仕事上の倫理・行動規範を身につけていく。中途入社者が多い職場では、人によって仕事上の倫理・行動規範が異なるケースも多い。その場合においても、「感情的な葛藤=感情労働による疲弊」は起こりうるだろう。
では、自社の倫理・行動規範はどのように機能しているだろうか? 
社是や経営方針・行動指針(更に落とし込めばコンピテンシー等)という形で、会社組織の倫理・行動規範を明確にしている会社も多い。また最近では、就業規則等に自社の倫理・行動規範も取り入れている会社も出てきている。しかし、それがどの程度現実に従業員の間に浸透しているのか、あるいは機能しているのか、確認する機会はあまり無いかも知れない。
 さらには、会社組織の倫理・行動規範の実践を表層演技として求めるのか?又は、深層演技として求めるのか?あるいは実際に実践している従業員がいたとして、その従業員が表層演技として行っているのか?深層演技として行っているのか?
そのような視点から自社の倫理・行動規範を見直してみることも必要かも知れない。

 ただ、会社側からの一方的な明示だけで、倫理・行動規範が形成されるわけでもない。更に倫理・行動規範を超えた従業員間の「感情的」葛藤が職場を活性化することもある。その点について、次回以降考察してみたいと思う。


オフィス・ライフワークコンサルティング
社会保険労務士・CDA 飯塚篤司

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