主体的なキャリア形成支援というと、経営者からは「そんなことになぜ会社が積極的に取り組まなければならないのか」「できる従業員ほどさっさと辞めてしまうのではないか」、現場の長からも「今ある仕事で手いっぱいなのに、そんなことをしている余裕はない」という声がまだよく聞かれるのが現状だ。人事部門では、その必要性が認識されているところも増えてきているが、会社全体ではまだまだといったところだろう。だからこそ、厚生労働省がこのような表彰制度を設けて、企業に対して推奨しているわけなのだが。
逆に社員の側から見ると話はわかりやすい。高度成長期の日本では、終身雇用を前提に社員は会社の言われるがままにしていても会社にずっと籍を置くことができた。しかし、今のような経済成熟期の日本で、しかも変化の激しい産業構造下においては、業績不振や業態変化で社員はいつ会社を追い出されるかわからない状況になった。追い出されなくても倒産で放り出されることもある。会社に寄りかかってキャリアを会社任せにしていてはいけない時代になってきたのである。
会社としても、労働市場の流動化が進む中で、自主的にキャリアを作ることができる職場にすることで優秀な人材を採用できる可能性が高まる。逆に、業績不振や業態変化が起こった時に、社員の外部市場価値を高めておくことで辞めてもらいやすくなる可能性もあり得る(ちょっと表現が難しいが)。要は、会社にもメリットがあるわけだ。経営者も短期的な視点でなく、社員の自律的なキャリア形成を支援する意識を持ってほしいところである。
伊藤忠商事は民間企業として初めて「キャリアカウンセリング室」を2002年に設置した。先のキャリア支援企業表彰での取り組み内容の説明として、「専任のキャリアカウンセリング有資格社員が常駐。階層別研修時に、人事・総務部室長クラス及び社内キャリアカウンセラーによる個別面談を実施し、きめ細かなキャリア支援を推進」と書かれている。
このキャリアカウンセリング室の初代室長である、同室シニアアドバイザーの浅川正健氏に話を聞くと、立ち上げ時にはなかなか社内の理解が得られず、大変だったようだ。それでも粘り強く活動を続け、研修時のカウンセリングの時以外でも相談に来る社員が増えていったという。
社員一人ひとりが様々な個別の事情~仕事上だけでなく、家庭や健康、介護などを含めて~のなかで、どう自分のキャリアと向き合うか、考え悩んでいる人は少なくない。
「外から見ればエリートに見える人でも、悩みはあるものです。そうした人の話を、社内でいつでも聞いてくれる人の存在がまずは重要なのです。キャリア支援とは一方的に押し付けるものではありません」と浅川氏は言う。
自律的なキャリア形成支援という言葉だけを聞くときれいごとのように聞こえるが、そこには様々な環境の中で、考え、悩み、苦しんでいる生身の社員たちがいる。経営者を含む会社全体がそれにどう向き合うのか、会社の姿勢が問われる時代になってきたと言えるだろう。
HRプロ 代表/HR総合調査研究所 所長 寺澤康介