某社に勤務するAさんは、「社員紹介制度」で紹介された応募者の面接をしたところ、その応募者から断りの連絡があった。事情はともかく、紹介してくれた社員には結果を伝えた方がよいのでは、と上司に進言したのだが……。上司は腹を立てていたらしく、「はあ? なんでワシがそんなこと言わんといかんのや」と突っぱねられて、Aさんは絶句したそうである。
労務トラブルの多い会社に不足している「○○」とは

社労士として労務トラブルの現場に接していると、「○○が足りないなあ」と嘆息すること頻々である。この「○○」には「謝意」という言葉が入るのであるが、上記のAさんの会社の上司も「紹介者に対する謝意」が不足している様子で、トラブル発生の臭気を放っている。

日々の実務を通じて、この「謝意」の伝え方ひとつで無用なトラブルを回避できるケースは多いと感じている。そこで今回は、【採用時】、【勤務時】、【退職時】の3つの場面に分けて、それぞれの「謝意の伝え方」とその重要性を社労士の気付きとして述べてみたい。

【採用時】
採用政策のひとつとして「社員紹介制度」を導入している会社はよく見かけるが、それがうまくいっていないケースも多いようである。前述の社員紹介制度を例に挙げてみると、採用辞退や不採用になった場合に感情的なもつれが生じてトラブルになることもある。1度でもそういったトラブルが起こると、それ以降は紹介しづらくなり、制度自体が絵に描いた餅になってしまっているケースも散見する。

こうした状況を回避するためにも、上記Aさんの言う通り、紹介してくれた社員には必ず謝意を伝えて、結果について説明し、不採用の場合は必ずフォローを入れるようにしたい。とにもかくにも「また機会があったら紹介しよう」と思ってもらえるように心を配ることが大切である。なお、この「謝意」を金品で表す場合は、違法な取扱いにならないように注意されたい(「職業安定法」第40条)。

【勤務時】
日々の社員の勤務を「当たり前」と感じてしまっていないだろうか。もし「賃金を払っているのだから勤務して当たり前」という思いが少しでもあったらトラブル注意報だ。よほど高額であるならば話は別であるが、賃金を払うことができるのは自社だけではない。その中で「自社を職場として選んでもらっている」という意識の転換が必要である。そして、その選択に報いるために、会社はより良い賃金制度や福利厚生などの処遇改善に努めるわけである。

しかし残念ながら、処遇改善は時間の経過とともに「それで当たり前」という感覚になってしまいやすく、「謝意」として伝わりにくい傾向がある。そこで、タイムリーな「+αの取り組み」をひと工夫したいところである。

その代表例が「表彰制度」であろう。勤続年数や目標達成などの節目のタイミングで「謝意」を伝えることは士気向上にとても有効な手段であり、ぜひ検討したい。なお、表彰制度に関しては就業規則の相対的必要記載事項となっており、社内のルールとする場合には記載が必要なので留意されたい(「労働基準法」第89条)。

これ以上お金は掛けられない……という場合は、ストレートに「謝意」を伝える方法もある。これは実際の事例であるが、「毎月の給与明細に社長(直属の上司)が手書きでコメントを入れる」という取り組みをしている会社もある。手書きには、メールやSNSなどとはひと味違った温かみやアピール力があり、好評のようである。真似をしてみるのも良いかもしれない。

【退職時】
ある心理学の実験によると「人は、人にしてあげた親切を、してもらった親切の35倍多く覚えている」そうである。社員から退職を伝えられたとき、「今までさんざん目をかけてきたのに……」と憤る気持ちになることは、人情として理解できる。しかし、そんなときはぜひこの「35倍の法則」を思い出して、負の感情を抑えるようにしたい。

未払い残業代請求といったの重大な労務トラブルの多くは退職後に発生しており、最後に喧嘩をするのは得策ではない。今までの勤務に対して「謝意」を伝え、笑顔で別れるようにしたい。

新型コロナウイルス感染症の影響で、急速に在宅勤務やリモートワークなどが拡大し、人と人との距離感が離れつつある今、士気向上やトラブル予防の観点から、この「謝意」の伝え方がますます重要になってくるのかもしれない。「人材育成」についての名言として有名な山本五十六の「やってみせ」の文中でも、その重要性が語られている。最後にその言葉を紹介したい。

やってみせ 言って聞かせて させてみて
誉めてやらねば 人は動かじ

話し合い 耳を傾け 承認し
任せてやらねば 人は育たず

やっている 姿を感謝で 見守って
信頼せねば 人は実らず
出岡健太郎
出岡社会保険労務士事務所
http://izuoka.net/

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