松井 忠三 氏
東京教育大学(現・筑波大学)体育学部卒業後、西友ストアー(現・西友)入社。92年良品計画へ。総務人事部長、無印良品事業部長を経て、2001年社長に就任。赤字状態の組織を“風土”から改革し、業績のV字回復・右肩上がりの成長を達成。07年には過去最高売上高(当時)となる1620億円を達成した。08年~15年、良品計画会長。現在、良品計画名誉顧問、松井オフィス代表取締役社長。アダストリア、りそなホールディングス、ネクステージなどの社外取締役も務める。主な著作として、『無印良品は、仕組みが9割』、『無印良品の、人の育て方』、『覚悟さえ決めれば、たいていのことはできる』、『無印良品が、世界でも勝てる理由』、『無印良品のPDCA』など。
海外展開と最初の挫折
弊社は1989年に設立され、1991年には早くも海外初出店を果たしました。「海外で通用しないブランドは日本でも通用しない」という創業者の言葉は、我々の大きな信念として現在も大切にしています。まずは1991年7月に英国1号店となる『MUJI West Soho』をリバティ百貨店とのパートナシップによりオープン。さらに同年11月には、香港1号店となる『MUJI Ocean Centre』をウィオングループとの合弁でオープンさせました。当初はパートナーと一緒にやっていましたが、しばらくするとビジネスに対する考え方が違ってきてしまい、やがて破綻。現在これらの店舗はありません。ここで学んだ最大の失敗要因は、パートナーと一緒に展開するリスクです。同床異夢という言葉通り、同じベッドに入っていても考えが異なってしまっては、決してうまくはいかないでしょう。さらなる苦境と戦略の転換
海外展開を始めて7年目の時点で、ヨーロッパに5店舗、アジアには7店舗を出店していましたが、ブランドの浸透は相当難しい状況でした。さらに98年にはアジアが全面撤退に追い込まれることに。しかしそれでも積極的な姿勢は変えず、「これからヨーロッパで店舗数を10倍の50店舗にし、200億円を売り上げる」という大号令を出しました。そしてこれが見事に失敗していくことになるのです。出店した店舗がすべて赤字になり、私が2001年に社長に就任したときには、これら赤字店舗の閉店処理から行わなければなりませんでした。11年間続いた赤字は、2002年にようやく黒字化。2005年あたりからは店舗数も飛躍的に伸びていきました。では、一体どのようにして実現したのか。例えばロンドンの場合、オックスフォード・ストリートという銀座通りのような場所に出店したのですが、売上は5億以上あるにもかかわらず赤字から脱却できない。なぜなのか、いろいろ考えてみました。その原因は家賃にあったのです。当時の家賃は1坪当たり9万2000円で、家賃が売上の19%を占めていました。ロンドンは王室と貴族が土地と建物のほとんどを所有しています。つまり出てくる物件が非常に少ないため、家賃は毎年上がり続ける一方なのです。家賃はコントロールが難しい。そして不動産マーケットはそれぞれの国ごとに違う。この事実に、私は社長になってから気が付きました。
成功の理由 ~イタリアの場合~
2004年12月にオープンしたミラノの店舗では、仲介業者を通さずに物件を探しました。過去の失敗から、仲介業者を通すとデベロッパーとテナントの中間で家賃を決めていくため、合理的な家賃にならないとわかっていたからです。そこでこのときはパリとロンドンから社員を送り、物件は自分たちの足で探し回りました。10件くらい見つけて、さらに3件に絞り、最終的に1件に決定。その結果、家賃は1坪2万3000円となり、売上に対する家賃比率は10%となりました。幸いこのお店は1年間ですべての投資を回収してくれました。こうしたことから、ヨーロッパではそれぞれの国と都市に1年に1店舗ずつ出店し、そこが黒字になったらまた新たに出店するという戦略に変更。そしてブランドの浸透と黒字化を同時に進行させることに成功したわけです。また、ヨーロッパではヨーロッパのデザイナーが商品を作っていましたが、MUJIのコンセプトとズレが生じるなど、品質が危うくなってきたため、衣服雑貨の最高責任者を現地へ送って対応。しかしそれもうまく行かず、結局、物づくりの企画はすべて日本で行い、それを世界で作るように変えました。
アメリカでも予想外の成功
次は世界最大の小売市場である米国に進出。2007年11月にニューヨークのソーホーに出店しました。資本主義が行き過ぎた競争の激しい国ですから、苦戦するだろうと思い、私の気持ちの中ではアメリカは最後にしようと考えていました。でもそればかりは行ってみないとわかりません。ソーホーはアジア人の多い地域なのですが、当店は開店当初からもの凄い行列ができるほど売上を伸ばし、当時世界一の記録を残しました。日本の品揃えをそのままソーホーに持っていったところ、アメリカにはあまりない小さくて性能の良い製品が評価され、見事飛ぶように売れ、結果的に予想外の大成功となりました。一度は失敗した香港への再出店
一度はアジアから全面撤退していましたが、「カムバックしてほしい」というお客様の声がたくさんあり、そこで再出店をすることに。かつて失敗した要因は、ずばり家賃でした。香港は安い家賃で再出店できましたが、3年後に契約更新となり、家賃が3倍に跳ね上がったのです。3倍だとさすがに厳しい。要するに「出ていってください」と言われているようなものですから。そこで我々はその近くに新しい店を出店しました。ヨーロッパでは契約を長くすると失敗し、アジアでは契約を短くすると失敗するということを学んだわけです。躍進する中国での展開
今や世界のマーケットの中心となっている中国。現在中国では150以上の店舗を展開中です。やはり上海や北京は店舗数が多いですが、広大な中国全土にむらなく、全38都市にわたって展開しています。しかしここに至るまでには厳しい道のりがありました。我々は長年“偽物”でした。というのも、商標「無印良品」と「MUJI」が25類という衣料品すべてで不正に先行登録されていたのです。そこで彼らと真っ向から戦う決断をしました。21世紀経済報道に「厳正声明」を掲載。さらに人民日報にはイメージ広告を掲載。日本政府からは、「そんなことをすると、君たちは中国で生きていけなくなる」と言われました。それでも私たちは戦い、ついに上海から「3店舗だけ作ってよい」という許可をもらったのです。そして2007年には日本企業としては初めて、このような戦いで全面勝訴。以後、中国に本格的に出店していきました。グローバル化を成立させる条件
これはブランド、ビジネスモデル、オペレーション力の3つに分けられます。1つ目のブランドに関しては、禅や茶道といった日本文化をベースにしています。つまりMUJIというブランドは、禅や茶道のように、余分なものをそぎ落とし、最後に残った価値だけで物を作ることがコンセプト。極めてシンプルで簡素な和の特徴を商品開発に活かしています。2つ目のビジネスモデルは、生活雑貨に特化しているところです。グローバルな相手はIKEAしかありません。自分たちですべて発注し、メーカー利益まで持っていくハイリスク、ハイリターンなビジネスモデル。そしてもう1つの特徴は、投資回収が速いこと。これも海外展開において強みになるでしょう。
3つ目のオペレーション力(実行力)も重要です。世界にグローバル・マーケットはありません。あるのはローカル・マーケットのみ。イタリアにはイタリア、ドイツにはドイツ、中国には中国の人たちの商習慣や好みがある。よって日本流を貫くのではなく、ローカルに適応していくしかないのです。ちなみに我々は海外展開にあたっては「出店基準評価表」をもとに、一定の基準を満たさないと出店しません。評価基準通りに点数を付けていって、オペレーションを改善させていきます。
海外展開のための人材育成
日本企業が日本流をそのまま持ち込んでしまうジャパンリスクには注意が必要です。ジャパンリスクでは、社長として誰を送るかによって、現地のビジネスが成功するか失敗するかが決まります。ではジャパンリスクをどのように回避するのか。その仕組みとして取り組んでいるのが、人材委員会です。組織力の強化と適材適所を目的に、課長100人、部長40人、計140人を対象に、幹部を養成。半期に1回、全役員で決めていきます。またOKY=「お前、こっちで、やってみろ」を回避するための教育も行います。課長は100人いますが、そのうち8割は海外経験がありません。そこで海外経験のない彼ら彼女らを毎年海外に出すのです。いかに海外でビジネスをするということが大変か、身に染みてもらう。これでOKYはなくなっていきます。
そして採用の仕方も変えました。例えば中国では、北京大学と精華大学から将来の幹部候補生を採用しています。海外には身分制度があり、彼らは「売り子、販売員は私たちがやる仕事ではない」と言うのですが、それでは幹部は育ちません。そこで中国採用でも3年間は日本へ連れてきて、日本のやり方や哲学を徹底的に学んでもらいます。
業務標準化~MUJIGRAM~
私たちにはMUJIGRAMという販売オペレーションマニュアルがあります。これは売り場のディスプレイから接客、発注まで、店舗運営に関するすべてのやり方をまとめたもので、「売り場づくり」や「レジ業務・経理」など業務ごとに13冊に分かれ、総ページ数は2000ページにもおよびます。内容は毎日変わり、それをほぼ100%実行。これにより業務の標準化と見える化を実現させています。ちなみに海外においては、国が変わると日本のものは半分くらいしか使えません。台湾と中国では同じ中国語圏でも仕事のやり方が違うのです。その国のオペレーションは、その国で作り上げなければ、うまくはいかないでしょう。次に在庫のコントロールについても説明させていただきます。我々の商品は大半が中国やASEANで作られており、それらをグローバルに回していかなくてはなりません。ですから在庫を残さず、各国の気候に合わせ、売り切っていく仕組みを作る必要があります。地域の気候に応じたガイドライン、仕入予算を作成し、さらに各国の法規制も調査。このようにして在庫コントロールを徹底させています。
最後に2015年度の出店計画をご紹介します。海外は47店舗(うちアジアは44店舗)で、合計348店舗(アジアは272店舗)に。日本は24店舗で、合計425店舗になりました。2015年度は海外売上高965億円、連結売上高構成比33%を達成。今後もグローバル企業としてますます成長していきたいと思っています。本日はご清聴ありがとうございました。
- 1