「学校カウンセリング」に見る“現代のカウンセリング”の問題
本稿では分かりやすい事例として、学校カウンセリングについて取り上げてみよう。学校で子どもたちの精神に悪影響を及ぼすであろう事件等が発生すると、予め制度化されているスクールカウンセラー(臨床心理士等)が派遣される。多忙な教員の仕事量を考えれば、子どもの精神的ショックや悩みをカウンセラーが引き受けること自体は問題ない。ただし、それは適切なカウンセリングや自らのソリューションで解決できる場合の話である。ところが、現実に起きていることは、いくつかの点で由々しき問題を孕んでいるように見える。まず一つ目に、最も問題なのは、スクールカウンセリングが精神科病院や心療内科診療所に子どもたちを誘導するための“入口”となってしまっていることである。スクールカウンセラーが“専門家”を名乗るのであれば、その場で問題を解決することが望ましい。しかし、彼らの役割の実態は「子どもの話を聞くこと」までであり、解決に至るケースは稀である。少しでも手に負えない場合は、直ちに精神科病院や心療内科診療所に案内してしまう。これがスクールカウンセラーの基本的な行動パターンである。
二つ目は、カウンセリングの手法を「一対一で面接をする」という個人精神療法の伝統的セッティングとしている点である。そこでは、「『権力者』対『弱者」」にも思える構図となっているが、この伝統的に継承されてきた手法は、最近では「治療文化として特異過ぎる」と言われてもいる。
以上のように、問題点の多いカウンセリングを受けた子どもたちは、まずそれによって、自らの脳に「何か悪いこと」が起こっているのではないかと思ってしまう。そして、どんどん受動的かつ依存的になる。最後には自尊心が失くなり、精神科病院に通うことになってしまうのである。
職場でのカウンセリングにおける「オープン・ダイアローグ」のすすめ
本コラムが対象とする仕事人の悩みや相談は、そのほとんどが「具体的問題を抱えてしまっている」ことに端を発する。具体的問題とは、夫婦問題(離婚など)、相続問題(争族)、金銭問題(借金、資産運用失敗)、教育問題(子育て)などである。これらの問題を解決に導くには、その「ソリューション」が不可欠となる。「離婚問題の悩みから、精神的に不調をきたしている」、「金銭問題が深みに嵌ってしまい、仕事が手につかない」、「家計が赤字続きで将来が心配になっている」などといった問題から、二次的に精神疾患を発症するケースが圧倒的に多い。そうであれば、まずはこれらの問題を解決できる専門家の門を叩かなければいけない。また、悩める仕事人は職場や家庭をはじめとする、人間関係のネットワークの中で病んでいることがほとんどである。前述のとおり、最近の精神医学では、「『治療者』対『患者』」という一対一の権力関係的手法では限界があると認識されつつある。そもそも、過去を見ると、人間社会の中にメンタル疾患を治療する人(臨床心理士や公認心理師など)が存在したことはなかった。地域のコミュニティや人間関係がその役割を担っていたのである。
筑波大学の斎藤環教授は、患者本人を交え、家族、親戚、知友人、医師、看護師、心理師などによる「オープン・ダイアローグ」による治療を提唱および実践している。これは、1980年代のフィンランドで開発・実践を続けられてきた精神疾患に対する治療的介入の手法であるが、極めて良好な治療実績を上げているようだ。詳細は割愛するが、この手法はまさに、古い時代から地域のコミュニティや人間関係の中で解決していた手法の“現代版”と言えそうだ。
「オープンダイアローグがひらく精神医療」斎藤環 著|日本評論社|2019年
「人間にとって健康とは何か」斎藤環 著|PHP新書|2016年
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