「働き方改革法」が成立した。今後、「ブラック企業」or「ホワイト企業」という言葉に、企業も従業員も、より一層、敏感になる時代になると思われる。法令遵守は当然のこととして、今、必要以上に「ブラック企業」or「ホワイト企業」という問題に労使双方が疲弊し、結果として企業の発展を阻害しているので無いかと危惧している。対立を深めるのではなく、企業発展のための「労使の新しい関係性」を築いていくことも重要では無いだろうか。
Black or White?

「ブラック企業」という言葉に疲弊する組織

先日成立した「働き方改革法」について、マスコミ報道では「高度プロフェッショナル制度」が過労死を増加させ、時代に逆行するものであることが指摘されている。内容としては時間外労働の罰則付き上限規制が適用されるなど、全体的に、企業側に厳しい改正となった。

昨今、過重労働等の労働法制違反の象徴として「ブラック企業」という言葉が飛び交い、そのレッテルを貼られることが企業にとって大きなリスクとなっている。今後、あらゆる面から企業に対し、「法令遵守」が一層求められていくであろう。

しかし、「ブラック企業」という言葉が一人歩きしてしまい、企業側が必要以上に敏感になっている部分もある。例えば、パワハラ、セクハラ、マタハラといった問題についても同様である。「いったいどこまでがセーフで、どこからがアウトなのか?」と、そのような相談が多くなってきた。

例えば、「その程度であれば通常の指導教育ではないか」と考えられるものでも、「パワハラではないか?」と心配し、なかなか、思うような指導教育が出来ていないケースが見受けられる。

また給与における残業手当の計算方法や支払方法についても、従業員から細かい指摘を受ける企業も出てきている。従業員から「労基法違反ではないか?」との指摘が入ることを恐れ、より正確に適確な給与計算を行うため、日々神経を磨り減らしている担当者も増えてきているように思う。

「ブラック企業」についても同じような状況だ。勿論、法令は遵守しなければならない。健康を害するような過重な労働はさせてはならないし、精神的苦痛を与えるパワハラ、セクハラ、マタハラなども許されない。残業手当も、合法に正しい方法で計算され、支給されなければならないし、その体制作りも必要である。

ただ、その対応に必要以上に神経質になることにより、企業の生産性が阻害され、また管理職や、人事労務担当者が、精神的に追い詰められていることにも、目を向けなければならないのではないだろうか。

「 企業」vs「従業員」ではなく、労使間協議の活発化を。 

戦後の高度経済成長期の日本企業において、労働組合の果たした役割を評価する声も多い。特に昭和30年代~50年代にかけて、企業に親和的な労働組合と企業が対等の立場で協調しながら企業を育て、それが日本企業の成長に役立った、という意見である。

同時に、平成以後、その労働組合と企業の蜜月関係が、バブル崩壊後の企業活動や、グローバル化等の変化への対応を阻害したとも言われる。以降、労働組合の存在は、企業活動の阻害要因であると考えられることも多いようだ。そもそも、中小企業の殆どでは労働組合も無い。

しかし、価値観が多様化し、世代間のギャップも大きくなり、労働法制の問題が大きくなってきている今こそ、企業と従業員との労使関係を活発にする必要があるのではないだろうか。そこで必要なのは、労使間が対等であることである。

「ブラック企業」に疲弊させられる従業員も減らさなければならない。「ブラック企業」というレッテル貼りに疲弊させられる企業も減らさなければならない。しかし、お互いが対立し、法に盾に争ってばかりいては、日本企業の成長はないのではないだろうか。

例えば、働き方改革で、より一層重要になる「三六協定」においても、中身を十分に協議すること無く、毎年同じ内容の協定を締結し、その結果論だけを見て、労使の問題が起きていることも多い。

労働組合の有無にかかわらず、時間管理、同一労働同一賃金、パワハラ・セクハラ・マタハラ、服務規律、福利厚生等々、様々な在り方について、労使が対等の立場で話し合い、協議する場を設ける。従業員側も指摘すべきところはきちんと指摘し、企業も、経営状況等を説明しながら、出来ることは出来る、出来ないことは出来ない、とはっきりと主張する。

このように、双方の納得を可能な限り得た上で、企業活動を進めていくことが求められるのではないか。

企業の規模にかかわらず、労使間の関係についても見直していく「労使関係改革」。働き方改革を進めるとともに、こちらの改革も同様に進めることが必要では無いかと考えるが、いかがであろうか。
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