今回は、いつものインタビュー形式ではなく、私がこれまでインドネシアで蓄積した教育ノウハウの一部を公開しようと思う。日本ではうまくいっていたやり方がこちらでは通用せず、インドネシア人の教育に頭を悩ませている方は非常に多い。研修会社として人を教育することを生業としている私自身においても、2014年にインドネシアに来たときは、自分の部下さえうまく指導できないという状態で悩んでいた。大事なポイントは、このコラムで何度か書いているが、まずは「相手を知ること」だ。ここでは自分が外国人で、マイノリティーな存在。自分の意思や考えをどう伝えるかと思案する前に、何よりも、目の前の人や文化を知ることが重要だ。
第7話:インドネシアにおける従業員教育で失敗しないためのポイント
第7話:インドネシアにおける従業員教育で失敗しないためのポイント

一般論の有用性

最初にお断りしておきたいのだが、いまからお伝えする話はいわゆる一般論だ。コミュニティの文化や対処法を大まかに押さえることができるため、こうした一般論を知ることには意味があると思う。しかし、2億5千万人いるインドネシア人を十把一絡げに捉えてはいけないし、いくつかの教育ノウハウを学習したら、それだけで現場の問題が解決するわけではない。

大阪人の私が、「大阪人は会話が漫才風だから、彼らと話すときは話にオチを入れなさい」という論を聞いて、オイオイ、と感じてしまうのと同じだ。一般論だけを信じ、色眼鏡をかけて人と付き合うと痛い目に遭う。一般論を学習した上で、常に実体験を通じて、自分なりのノウハウへアップデートしていくことが大切である。

コンテクスト

アメリカの文化人類学者エドワード.T.ホールが唱えた有名な理論で、「ハイコンテクスト文化とローコンテクスト文化」というのがある。

シンプルな例を1つ挙げると、ハイコンテクストな文化の人には曖昧な言い方でも通じるが、ローコンテクストな文化の人には明確に伝えないと伝わらない。日本人はハイコンテクスト。「言わぬが花」「以心伝心」「沈黙は金なり」「あうんの呼吸」などは、まさに日本人のそうした性質を表した言葉だ。日本の文化では、明確な言葉を交わさなくても相手とわかり合えると考える。しかし、これはローコンテクストの欧米人には通用しない。ハイコンの日本人が、ローコンの欧米人に何か依頼する際は、何をどのようにやるのかなど、明確に伝えることが大事だというわけだ。

図にあるように、一般的に、日本人とインドネシア人は、ハイコンテクストな文化といわれる。曖昧な表現をお互い受け入れることができる文化だ。「会議が終わったら“ちゃんと”報告して下さい」と言ったら「はい、わかりました」と答えてくれる。しかしここが落とし穴。ハイコンテクストな文化同士だからこそ、曖昧な表現ではいけない。育ってきた文化が違うため、“ちゃんと”の具合を明確に伝えないといけないのだ。

指示を出した日本人からすると「会議が終わったら“ちゃんと”議事録を作って、その日のうちに参加者とその上司全員にメールで送ること」を想定しているかもしれないが、受け手のインドネシア人の“ちゃんと”は全然違うかもしれない。

「“ちゃんと”やるように何度も言っているのに、全然言うとおりにやらない!」というストレスを抱えている日本人の方をよく見かけるが、いま一度、「相手が動く明確な伝え方」を工夫されるとよいかもしれない。
第7話:インドネシアにおける従業員教育で失敗しないためのポイント

モノサシ・理由・メリット

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